夭折したジェフ・バックリーが残した永遠に色褪せない不朽の名作『グレース』

『Grace』(’94)/Jeff Buckley

少し前の記憶になるが、北京冬季オリンピックのフィギュアスケートを観ていたら、ペアの競技で日本勢初入賞7位に入った三浦璃来(りく)、木原龍一組が演技の際、音楽に「Hallelujah / ハレルヤ」を使っていた。女性ヴォーカルによるバージョンで、気になった私は演技そっちのけですぐさま調べを開始し、ふたりのスケーティングが終わらないうちに、それがカナダ出身のシンガーソングライター、K.Dラングによるものだったことが分かった。そうか、ラングだったのかと、彼女のいくつかのアルバムを愛聴したくせに気づかなかった我が身を恥じながら、過去に「Hallelujah」を歌った人たちがあれこれ浮かんだ。

オリジナルはやはりカナダのシンガーで作家としても知られるレナード・コーエンが書いた曲で、彼の『Various Positions』(’84)に収録されている。ちなみにコーエンについては以前にこのコラムでも紹介しているページがあるので、この機会にぜひお読みください。

私の脳裏に咄嗟に浮かんだのは、レナード・コーエンと今回の主役、ジェフ・バックリーのバージョンである。それを含んだバックリーのデビュー作『Grace』(‘94)は90年代を代表する…だけでなく、ロック史に残る傑作アルバムと言っていいだろう。

オリジナルのレナード・コーエンが断然素晴らしいと思っていたところに、バックリーのものを耳にした瞬間、あまりの素晴らしさに全身が硬直したようになり、身じろぎもせず聴き入ったものだ。物悲しく、壮絶なまでの美しさに満ちた声。まるで絶望の中で見つけた一条の光のようだった。同時に初めてその歌声に触れた時、胸をかきむしられるような焦燥感、胸騒ぎも覚えたものだった。祈り、というよりは鎮魂歌のように聴こえた。

たぶん、私はこのアルバムが出た同年、4月5日に世を去ったカート・コバーンのことを勝手に思い浮かべていたのだろう。実際にコバーンが死んだのは、ジェフがニューヨーク・ウッドストックにあるべアズヴィル・スタジオでのレコーディングを含む、本作を制作している時期だった。『Grace』は8月にリリースされる。バックリー、27歳の時のことだ。
※ニルヴァーナとの関連で言えば、『Grace』はあの『Never Mind』でミキシングエンジニアを担当したアンディ・ウォレスがジェフと共同でプロデュースを担当している。

※余談だが、私は2001年頃にニューヨーク・ウッドストックにあるべアズヴィルスタジオを訪問したことがある。ボブ・ディランのマネージャーだったアルバート・グロスマンが建てた由緒あるスタジオで、ザ・バンドやトッド・ラングレンゆかりのスタジオとしても知られる。休憩室のようなスペースの壁には、ここでレコーディングされ、ゴールドディスクを獲得するなどしたアルバムのジャケットが飾られていて、その中にジェフの『Grace』があったことを今も覚えている。

この時系列の通り、彼がアルバムデビューした時期というのは、オルタナティブ、グランジと呼ばれたりするノイジーなロックが吹き荒れている時代だった。バックリーもその流れの中から出てきたひとり、というふうに紹介される記事もあったし、私もそんなふうにとらえていた、実際、彼はレッド・ツェッペリンなども愛聴していたというから、多くのグランジ系バンドの出自と同様に、10代の頃は“ヘヴィーメタルキッズ”だったのだろう。

生まれながらに“伝説”をまとった ジェフ・バックリー

ジェフ・バックリー(Jeffrey Scott Buckley)は1966年、カリフォルニア州アナハイムで生まれている。父親はティム・バックリー。ジャズに接近した独自のフォークスタイルと比類なきヴォーカリゼーションで、60年代を代表するシンガーのひとりである。しかし、ジェフが生まれた時には彼の母親とティムは離別しており、出産の事実も知らされなかったという。その後、ジェフが8歳の頃に一度だけ父子は会ったことがあるそうだが、その1年後にはティムはドラッグのオーバードーズにより急逝している。

ジェフは母親マリーに育てられるのだが、彼女もピアノやチェロを弾く人で、音楽環境には恵まれていたようだ。ティーン・エイジャーになるころにはロックからフォーク、ジャズ、ブルース、さらにシャンソン、民族音楽まで手当り次第に聞き漁り、バンド活動も始めたようだ。高校卒業は音楽学校に通い正式な音楽教育も受けつつ、ホテルで働きながらバンド活動を続けるものの、まったく芽は出ず、また誰も彼のヴォーカリストとしての魅力にも気づかなかったようだ。下積み生活を続けるうちに、意を決して彼は亡き父親の元マネージャーに連絡を取り、デモテープを送ったり、レコード会社に自ら売り込んだりする。しかし、なかなか契約には至らない。だが、その元マネージャーからある日、一本の電話がかかってくる。それが、1991年4月26日、NYブルックリンの聖アン教会で行なわれたティム・バックリィのトリビュートコンサート「Greetings from Tim Buckley」についてであり、電話はジェフへの出演依頼だった。母と自分を捨てた父への葛藤から、ふたつ返事で出演を承諾…ということはなく気持ちは逡巡したようだが、最終的にはジェフは出演をオッケーし、ニューヨークへ向かう。結果、ティム・バックリーを偲んで会場に集まったファンは、ジェフの驚くべき才能を目にすることになる。父親譲りとしか言いようのないヴォーカリゼーションには、まだパフォーマーとして未熟でありながらも、ティムのDNAが確かに息子に受け継がれ、とてつもない歌い手になるかもしれないという期待感を抱かせたのだ。

このあたりの情景は『グッバイ・アンド・ハロー 父からの贈りもの』(2014年公開)と題され、映画化された、ジェフをモデルとした伝記ドラマをご覧になるといいだろう。

以降、ジェフはニューヨークを拠点にし、クラブやカフェを中心にライヴ活動を繰り返す。その時期にイーストヴィレッジにあるクラブ「Sin-é」での弾き語り4曲を収録したものが『Live at Sin-é』(’93)としてコロンビア傘下のインディーズから出る(ジェフの死後、2003年にレガシーエディションとして2CD+DVDで再発されている)。このアルバムあたりから日本でも「ティム・バックリーの息子ジェフが…」と音楽雑誌でも取り上げられ始めたと思う。私が彼を知ったのもそんな頃だ。そして、ついにジェフは業界大手のコロンビアレコードと契約、時を置かず『Grace』のレコーディングが開始される。

アルバムは発売後、爆発的に売れて…とはいかなかったようだ。それどころか、売上は最初、芳しくなかったという。実際、年間チャートを見ると、トップ10に入ったのはオーストラリアぐらいで、自国のビルボード200でさえ149位ぐらいにとどまっている。ところが、「ティムの息子」という話題性も含め、ジェフのヴォーカルのすごさ、巧みなギター演奏、ソングライティングに対し、評判が評判を呼び、次第にチャートを駆け登り始める。それも世界中で。また、評論家筋、それからポール・マッカートニーやエルトン・ジョン、ジミー・ペイジ、U2、エルヴィス・コステロ、デヴィッド・ボウイ、ボブ・ディランといった名だたるミュージシャンがこぞってこのアルバムを絶賛し、ジェフのコンサートは瞬く間に軒並みソールドアウトとなるのだ。そして、ゆっくりと時間をかけ、アルバムは米英、フランス、イタリア、オーストラリア、カナダ、他で軒並みプラチナ、ゴールド・ディスクに認定される。1995年1月には来日公演も行なわれている。

アルバムからは「Grace」「Last Goodbye」「So Real」「Eternal Life」がシングルでヒットする。また、レガシーエディションに収録された「Forget Her」が2004年にシングルとして出てヒット、本稿の冒頭で書いた「Hallelujah」にいたっては2007年になってシングルカットされ、全英チャートで2位を獲得する。本人の死後、それも数年たってなお、チャートに上ったりするとは、普通は考えられないことだ。
※「Forget Her」は本来はオリジナルアルバムに収録されるはずだったが、ジェフの“個人的な理由”で「So Real」に差し替えられたという経緯があった。

発売から10年後、 新たなフォーマットで蘇った新装版 『Grace』

2004年10月にレガシーエディションとして、『Grace』はオリジナルアルバム(デジタルリマスター)+ボーナスCD+ボーナスDVDという3枚組でリイシューされている。特にボーナスCDやDVDからは、レコーディングの際の試みが立体的に伝わってくるように工夫されているほか、ジェフの音楽的バックグラウンドが分かる習作、カバーが多く収められるなど、非常に興味深い内容だ。

特にボブ・ディラン、ブッカ・ホワイト+ロバート・ジョンソン、ニーナ・シモンといった秀逸なカバーからはジェフのシンガーとしての表現力の凄さを知ることができるだろう。同様にオリジナルアルバムの収められたレナード・コーエンの「Hallelujah」もそうだし、『Live at Sin-é』に収録されているヴァン・モリソンの「The Way Young Lovers Do」もぜひ聴いてみてほしい。“オリジナルを超えている”と書いたのでは先人に失礼になるかとは思うのだが、ジェフの一連のカバーを耳にすると、これはある意味、“オリジナルである”と言いたくなるほどの、“自分のものにしている”感が激しく伝わってくるのだ。

また、DVDにはスタジオレコーディング映像、ライヴ・パフォーマンスとともに、ジェフをはじめ、プロデューサー、バンド仲間など、当時このアルバム制作に関わった人々による証言からなる、名盤『Grace』の誕生秘話が語られるドキュメンタリーとなっている。さらにプロモビデオ、凄まじいほどに才能がほとばしるシカゴでのライヴパフォーマンスも収録されている。こうした映像からジェフの、繊細でストイックなアーティストとしての一面、純粋かつ情熱的、強烈な個性が記録されている。

オリジナルアルバム『Grace』だけでもいいが、いくつかの曲を聴いてもっと彼を知りたいと思われた方は、ぜひLEGACY EDITION『Grace』、原石のようなピュアなジェフの才能の煌めきが感じられるLEGACY EDITION『Live at Sin-é』をお求めになるといい。

ここまでの文脈からジェフがすでにこの世の人ではないことはおわかりかと思う。彼は1997年5月29日夜、レコーディングのために滞在していたメンフィスの、ミシシッピー川で遊泳中に溺死する。友人と食事をした後、ドライブに出かけ、なぜかブーツを履いた状態で川に入って泳いでいたが、同行者が目を離した瞬間に姿が見えなくなったという。地元警察らによって捜索活動が行われたものの見つからず、5日後の6月4日に地元住民が遺体を発見する。不可解な死だった。飲んではいたが泥酔するほどではない。ドラッグの使用も疑われたが、同行者はそれを否定している。自殺の線も考えにくい。単なる事故なのか…。今ほどインターネットが普及している時代ではなかったが、遺体発見の報を受け、ラジオが伝える速報を耳にした時は愕然としたものだ。父親のティム・バックリーは28歳で亡くなっている。そんなところまで同じ夭折の血筋を辿らなくてもいいではないか、と当時そんなことを思ったものだ。

世界中から期待される、『Grace』に続く2ndアルバムの制作は難航していたと言われる。ひと通り完成させた録音を、なぜか彼は没にしている。新たに仕切り直しをするべく、マット・ジョンソン(Dr)らバンドメンバーをニューヨークから呼び寄せることにする。何ということか、メンバーはメンフィスに到着したその日に、ジェフの行方不明を知らされるのだ…。

ジェフの死の翌年、製作途中だったアルバム『Sketches for My Sweetheart the Drunk(邦題:素描)』が遺作として発表されている。プロデュースを努めたトム・ヴァーラインとのセッション、ジェフがひとりでメンフィスの借家で録音したものなどを中心に構成された2枚組を聴くと、なぜ彼がこれを没にしたのか分からない素晴らしい作品が詰まっている。彼には彼の考えがあったのだろうと思うしかないのだけれど。同作は98年度グラミー賞の「最優秀男性ロック・ヴォーカル賞」にノミネートされている。

生きていれば、56歳になろうかというジェフ・バックリー。こうして音源を振り返ればなおのこと、その早すぎた死、運命のいたずらを恨まずにはいられない。
※もうひとつのとてつもない才能、父親ティム・バックリーに触れるスペースがなかったが、別の機会にぜひ紹介したいと思う。

TEXT:片山 明

アルバム『Grace』

1994年発表作品

<収録曲>
1. モジョ・ピン/Mojo Pin
2. グレース/Grace
3. ラスト・グッドバイ/Last Goodbye
4. ライラック・ワイン/Lilac Wine
5. ソー・リアル/So Real
6. ハレルヤ/Hallelujah
7. 恋人よ,今すぐ彼のもとへ/Lover, You Should've Come Over
8. コーパス・クライスティ・キャロル/Corpus Christi Carol
9. エターナル・ライフ/Eternal Life
10. ドリーム・ブラザー/Dream Brother

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