巨人ドラフト1位…2度の「育成落ち」から挽回し中継ぎの柱に 北陸高校出身の鍬原拓也、エース菅野智之から得たヒント

4月27日のDeNA戦で、8回に登板し1回無失点だった巨人・鍬原拓也=横浜スタジアム

 プロ野球・巨人5年目の鍬原拓也投手(26)=福井県・北陸高校出身=が中継ぎの柱として、セ・リーグ首位を走るチームを支えている。ドラフト1位で入団後、プレッシャーやけがに悩まされ1軍に定着できず、昨季オフに2度目の“育成落ち”を経験。「正直クビも覚悟した。失うものはもうない」。不屈の精神ではい上がり、才能を開花させようとしている。

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 ■八回の男

 4月27日のDeNA戦。巨人リードの八回、今季恒例となったアナウンスが球場内に響く。「ピッチャー鍬原」

 内角低めの153キロの直球で先頭打者を空振り三振。その後、1安打を許したものの、3番ソトをカットボールで中飛に打ち取るなど1回を無失点で抑えた。

 今季32試合のうち13試合に登板。セットアッパーとして八回を任せられることが多く、リーグ2位の7ホールドと安定感が際立つ。好調の要因について鍬原はこう話す。「前だけを向いて常にポジティブにやれている」

 ■「どん底」

 プロの壁は想像以上だった。「プレッシャー、緊張感、球場の雰囲気は(外から)見る世界と全然違った」。中央大では東都大学リーグ通算165回で157三振を奪い、「東都のドクターK」と称された。プロ入り後も三振は取れたが、課題の制球力が改善されなかった。

 プロ2年で1勝。「試行錯誤した」。オーバースローからサイドスローへのフォーム改造を決断。しかし3年目の8月に右肘の肘頭(ちゅうとう)骨折が判明し、育成契約となった。治療を終え「勝負の年」と位置付けた昨年。悔いのないようにとオーバースローに戻し、肘への負担が少ないカットボールを磨いた。8月に支配下登録を果たすも1軍登板はなかった。戦力外通告も覚悟したところで、2度目の育成契約を打診された。「悔しかった。どん底からはい上がるしかない」と誓った。「自分の中の反骨心が原動力」となって精神面で一皮むけた。

 ■エースの金言

 支配下昇格を再び勝ち取るため昨オフ、エース菅野智之に志願し、沖縄での自主トレに参加した。そこで技術面でのヒントを得た。

 「『点』で投げるのではなく『線』で投げるように意識してみたら」。菅野の助言に従いキャッチボールから見直した。鍬原は言う。「それまでは脱力したゼロの状態から(リリースの瞬間に)100に、一点に集中してずっと投げていた」。それが体のぶれや投球の乱れにつながっていたという。

 「線」で投げるイメージで、ボールを長く持つように意識を変えると「コントロールも球威も安定した」。平均球速は150キロを超え「出力がかなり上がった」。キャンプの実戦で結果を残し、開幕前に支配下登録を果たした。自身初の開幕1軍スタートだった。

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 鍬原は振り返る。「プロ入り後の4年間は決して無駄ではなかった」と。「第二の故郷」と語る福井県のファンの応援も力になっているという。巨人の今季のチームスローガンは「不屈」。その言葉を体言する26歳の苦労人は将来をこう見据える。「これからもいろんな壁にぶつかると思う。それをしっかり乗り越えて成長したい」。その言葉は自信にあふれていた。

鍬原拓也

 くわはら・たくや 岡山県生まれ。3歳で奈良県に転居し、小学3年で野球を始めた。中学時代は橿原磯城(かしはらしき)リトルシニアで全国大会3位。北陸高では甲子園出場はなかったが1年生秋の県大会で準優勝。中央大時代には最速152キロの直球、シンカーを武器に東都大学リーグで速球派として活躍。2017年のドラフト1位で巨人入り。178センチ、85キロ。右投げ右打ち。

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