刑務所で介護資格 「まだチャンスあるんかな」 第2部 更生とは何か・6

介護の資格を取得するため必死に勉強した(写真はイメージ)

 「支援を受けるつもりは一切ありません」「面会で何度来所されても私の気持ちは変わりません」。長崎県地域生活定着支援センターの事務所には、長崎刑務所で7回目の服役中の西川哲弥=仮名=から、支援を断る手紙が度々届いた。
 西川は6回目となる佐世保刑務所で服役していた頃、定着支援センター所長(当時)の伊豆丸剛史から一緒に長崎でやり直そうと言われ、目を潤ませて支援を受ける決断をした。だが、出所して支援センターが住む場所を探していたところ、所在が分からなくなり、再び空き巣を繰り返して逮捕された。
 7回目の服役までは「伊豆丸さん、いつかキャッチボールしよう!!」と、共通の趣味の野球を楽しみにしている前向きな手紙が届いていたが、常習累犯窃盗罪で懲役5年2月を言い渡され、服役が始まると一転した。
 「彼に必要なものは、どんな時でもそばに立ち続けようとしてくれる『存在』『つながり』なんじゃないか」。伊豆丸はそう思い、つながりが途切れぬよう寄り添い続けた。
 一方、西川は支援を断っても関心を寄せて年に数回、面会に来てくれる伊豆丸を不思議に思っていた。「出所後は大阪に行きたい」と自分の意見を言っても否定せず、どう実現するかを一緒に考えてくれた。「これはまだチャンスあるんかな。捨てられてないんかな」。だんだん西川にはそんな気持ちが芽生えた。
 もう一つ、西川に大きな変化があった。長崎刑務所の職業訓練で初めて取り入れられた介護福祉科の1期生に選ばれた。外部の講師を招き、修了すれば介護の資格を得る。これまで別の刑務所で何回か職業訓練に応募したが、てんかんの病気があるからか、落とされてきた。
 今回は刑務所をからかうつもりで応募したので想定外だった。選ばれたからには刑務官の後押しを受け、ラストチャンスのつもりで半年間、実技やリポート、テストなどに必死に取り組んだ。
 無事に介護福祉士実務者研修を修了したころ、伊豆丸は東京へ赴任することが決まった。初めて民間公募した厚生労働省の矯正施設退所者地域支援対策官として採用が内定した。
 「ぼくも東京で頑張るから、西川さんも残りの刑期をしっかりと務めてください。不安なことがあれば刑務所の職員や支援センターの人たちに相談してください」。伊豆丸が赴任前に最後の面会に行くと、西川はうつむいたまま「ありがとう」と小さく口を動かした。(敬称略、連載7へ続く)

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