日本初の世界王者誕生から70年 1952年5月、白井義男が快挙

1952年5月、ダド・マリノ戦で日本人初の世界王者となった白井義男(左)=東京・後楽園球場

 70年前の1952年5月19日は日本ボクシング界にとって忘れられない日である。

 「世界タイトルをこの手に」の悲願を一身に受け、白井義男は世界フライ級チャンピオン、ダド・マリノ(米国)に東京・後楽園球場で挑んだ。

 もちろん日本初の世界戦。51年12月、敵地ホノルルでの前哨戦で7回TKO勝ちしている白井は自信を持って臨み、洗練されたテクニックで文句なしの判定勝ちを収めた。

 敗戦で意気消沈している日本人に勇気と夢を与え、一躍国民的ヒーローとなった。

 白井は23年11月23日、東京都荒川区の三河島に生まれた。戦時中の43年、軍隊に入ったとき、体力で困らないようボクシングジムの門をたたいた。

 デビュー後、8連勝したところで軍隊に召集された。終戦後にカムバックするが、復帰初戦はTKO負け。軍隊で座骨神経痛を患っており、選手生活を半ばあきらめていたという。

 そんなある日、銀座の日拳ホールで練習していると、初老の米国人に声をかけられた。 「君のパンチはナチュラルタイミング。将来性は十分にある。専属のコーチがいなければ私に任せてくれないか」

 白井の素質を見抜いたのはGHQ勤務のアルビン・カーン博士。白井は栄養満点の食事も提供され、見違えるように元気を取り戻した。

 48年から快進撃が続く。フットワーク、ジャブを生かしたアウトボクシングで日本フライ級、バンタム級の2階級を制覇。52年、王者マリノへの挑戦が実現した。

 予想は白井有利だったが、初の大舞台で実力を発揮できるかが鍵だった。

 白井は落ち着いていた。初回から自分のペースを守ったが、最大のピンチは7回。マリノの左フックを浴び、体が揺れた。コーナーに戻るとカーン博士から檄が飛んだ。「ウエークアップ(目を覚ませ)ヨシオ」

 この言葉に発奮。歴史的な勝利をつかんだ。

 新しい時代の幕を開けた意義は計り知れない。その後、4度の防衛に成功。54年に王座を失うが、白井に続けとファイティング原田、海老原博幸らの精鋭が世界の頂点に立ち、日本のボクシングは黄金期を迎えることになる。

 タイトルを獲得した5月19日は「ボクシングの日」として制定されている。

 日本ボクシングコミッション(JBC)も白井の世界挑戦に合わせて設立されており、こちらも記念の70年。今年はいつも以上に功績をたたえる行事が予定されている。(津江章二)

© 一般社団法人共同通信社