ロニー田中は見た!伝説が生まれる瞬間、新宿ロフトの暴威(BOØWY)初ライブ  41年前の今日 ― 1981年5月11日 BOØWYの原点をその目で見た!

レディースの先輩からのメッセージ「5/11 ロフト 19時」

いわゆる “伝説” が生まれる瞬間に遭遇したことがある。

最初から鳴り物入りのトリッキーなタイプや、後に評価されるが初期は日の目を見なかったパターンなど色々ある中、今回の話は、たまたまそこに居合わせたことが希少な価値を持つパターンである。

私の通っていた都立高校は “自主性を重んじる” 校風のもと、私服で授業も選択制だった。これは学校を終え、ライブや映画に行くのに非常に好都合だった。当時、私の通学私服は基本古着とデザイナーズブランド。これが他校のいわゆる不良の目に留まり呼び出しを受けた。

「あの南京錠付けてる女、駅で化粧して網タイツで帰って行くから裏番に違いない」

裏番というのは “裏の番長” の意味だ。レディース暴走族のリーダーが街中のメンバーを80人くらい引き連れ私を取り囲む。

私は「裏番なんかじゃない! 私はライブや映画に行きまくってるだけ」と主張すると、「お前、イカれてるけど悪い奴じゃなさそうだ」とリーダー格で高校中退スナック勤務の暴走族の隊長に名前や住所、電話番号を聞かれ、無事解放された。そして、敬意を込めて “先輩” と呼ばせて貰う許可も貰った。

ホッとしたのも束の間。ある日帰宅すると固定電話の脇にメモがあった。

「5/11 ロフト 19時」

母親に尋ねると、先輩からのライブの誘いだと判明。先輩の連絡先は知らないし、何より断ったら後が怖い。それにしても、先輩と新宿ロフトが全く結びつかない。前回の呼び出しの時に先輩は「洋楽は英語分からないし歌謡曲しか聴かない」と言っていたのに一体何なんだ?

新宿ロフトで “暴威” のライブ、ミッションは盛り上げ役

一週間悩み、行かなかったら後が怖いから私は新宿ロフトに向かった。遅刻しないよう早めに着いて本日のライブの告知を見ると “暴威” と書いてある。

もうこの漢字の組み合わせからして嫌な緊張が走る。暴力の “暴” に威力の “威” だ。

程なくして、くわえタバコでリーゼント風の頭にハチマキみたいにショールを巻いた先輩と荷物持ちの先輩の仲間登場。挨拶して恐る恐る尋ねると――

「群馬の仲間がデビューするんだよ。盛り上げ役はお前な! 恥かかせんなよ!」

今夜の私のミッションは、盛り上げ役。

慣れ親しんでる新宿ロフトはガラガラの客入り。Wikipediaによると、「13人(男9人 女4人)の客」とある。この女4人の内3人は私と先輩とその連れである。

解散後も語り継がれる伝説の存在、6人の暴威はBOØWYに!

1981年5月11日―― 暴威のデビューライブは始まった。

狭いステージにメンバーが6人出て来た。ギターの人大きい! が第一印象。“暴威” から連想した不良感は殆どなくニューウェーブな感じ。サックスが要所で入り、盛り上げ役の私は、一曲も知らないが最初から最後まで拍手したり踊りまくっていた。

ヴォーカルの人は「曲がまだ無いから」と同じ曲を2回演奏した。「NO.NEW YORK」というキャッチーな曲で、その2回目にはサビで「ニューヨーク! ニューヨーク!」って一緒に歌い、盛り上げ役任務を遂行できた。振り向くと先輩は上機嫌でニコニコしていた。眉毛の無い、いつもしかめっ面の先輩が綺麗に見えた。

40分くらいでライブが終わり先輩に挨拶し、「キャッチーな曲と見た目のポップさで、きっと大人気になりますよ」と言ったら、「そうかい、ありがとよ」と自分のことのように照れていた。

その後、先輩から連絡は無く、6人の暴威は変遷してBOØWYになり、あの日観客で来ていた高橋氏がドラムに参加、武道館をライブハウスにし、解散後もその存在は伝説として語り継がれている。

※2018年4月11日、2018年10月07日、2021年5月11日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: ロニー田中

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