<金口木舌>県民が育んだ豊かさ

 「『国鉄の金田以上だ』と太鼓判を押された」「寒さが骨にしみ、こたつを抱いて寝て同僚に笑われた」。1951年3月の「うるま新報」が県出身で初のプロ野球選手となった金城政夫投手の動向を伝えている

▼金城さんは50年11月に東急フライヤーズ(現在の日本ハム)に入団した。しかしプロ2年間の通算成績は5試合で0勝1敗、9回(1試合)に取られる平均点を表す防御率は14.63に終わった

▼それから70年余。ソフトバンクの東浜巨投手が無安打無得点試合を達成した。2017年に16勝で県勢初の最多勝に輝いたが近年は肩の故障や肘の手術などが続いていた。鮮やかな復活だ

▼1964年に県勢初勝利を挙げた安仁屋宗八さんは「努力のたまもの」とたたえた。通算119勝の安仁屋さんも成し遂げていない快挙だ

▼東浜投手に抑えられた西武の4番、山川穂高選手は県勢初の本塁打王。復帰まで数えるほどしかいなかった県勢は今、多彩な活躍で球界を盛り上げる。世替わりの苦難を歩んだ県民が半世紀をかけて育んだ、沖縄の豊かさの一面だ。

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