戦火のウクライナ取材、ドキュメンタリー作家の小西遊馬さんが語る戦争とサステナビリティ

キーウで小西さんが滞在していた場所から800メートルに位置する爆撃された集合住宅。2022年3月18日

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって2カ月以上が経つ。SDGsが“世界の共通言語”とされ、人権や環境が大きな課題とされる今この時に、それと逆行する世界が現出したことは紛れもない事実だ。サステナブル・ブランド ジャパンでは、戦火のウクライナで取材をし、3月30日に帰国したジャーナリスト・ドキュメンタリー作家の小西遊馬さん(24)に、オンラインインタビューを行った。小西さんが見たウクライナ政府の記者たちへの対応や同国・リビウやキーウの人々の様子、そして現地を実際に見たからこそ考える「サステナビリティ」の意味を伝える。(尾髙温)

砲撃されたウクライナの軍事施設を背景にする小西さん。2022年3月17日

――なぜウクライナ行きを決めたのですか?

日本のメディアが入っていないということもありましたが、大きな理由は、友人である香港のジャーナリストが現地入りしていたことでした。彼らとは香港の民主化運動の取材をして、地元の人たちの自由が奪われ、さらにその後に人々の関心が薄れていく様子も一緒に見てきました。その彼らがどのような視点でウクライナを取材するのか、見てみたいと思ったのです。

――取材の行程をお聞かせください。

3月11日に電車でポーランドからウクライナ入りし、リビウに到着しました。リビウにはプレスセンターがあり、そこでプレスカードが発行されるのを待っている間に、首都キーウやウクライナ東部から避難してきた人たちが滞在していた劇場の取材をしました。その後、15日に車で移動を開始し、16日にはキーウ入りしました。キーウには27日まで滞在し、リビウからバスでポーランドに出て、30日には日本に帰国しました。

Thitima Thongkham

――現地にプレスセンターが置かれるなど、ウクライナ政府は取材に協力的なのですね。

はい、現地入りした当初はそうでした。プレスセンターからは「何日のこの時間にこの場所で、現地の人がコーラス隊を組んで、亡くなった人のための追悼の歌を歌います」など、かなり具体的な情報をもらえる状況でした。ただしそれは、手っ取り早く情報を得たい場合には便利かもしれませんが、裏を返せばウクライナ政府が見せたいところを見せている可能性もあり、気をつけて行動しないといけないと考えました。僕はドキュメンタリーが専門ということもあるので、自分の足で撮りたいものを撮ることを選びました。

――現地の人々の様子はいかがでしたか。

とにかく各自、できることをしているという感じでした。はじめに取材したリビウの劇場のオーナーは、各地から逃げてきた人のために椅子を解体してベッドにするなど、劇場を避難所として提供していました。キーウでも、高齢だったり身体が不自由だったりして避難できない人たちのために、食糧や薬を運ぶボランティアをする人たちがいました。

――キーウの人々はすぐに戻れると思って避難したのでしょうか。

少なくとも開戦したばかりの頃は、すぐに戻れるかどうかも考えずにとにかく逃げるという状態だったようです。

――キーウでは、ライフラインはどうなっていましたか。

電気、ガス、水道などは止まっていませんでした。ただ、学校はやっていませんでしたし、必需品以外のビジネスは止まっている状態でした。やっているのはスーパーや街のコーヒー屋さんくらいで、洋品店などは閉まっていました。

――多くの報道では、家族の絆や別れなどが取り上げられていますが、単身の人はどうしているのでしょうか。

これは一例ですが、戦争前はウクライナの家族とコンタクトを取っていなかったのに、国のために戦おうとドイツから戻ってきたという青年に会いました。

逆にウクライナ国内にいる人たちは、助け合いの輪の中にいないと、単身で逃げるにはリスクが高い状況です。介助の必要な人なども同様です。そういった事情から残らざるを得ない人たちもいました。

また家族がいても、キーウに残ると選択した人もいます。ある86歳の女性は、家族はポーランドに避難しましたが、自分は第二次世界大戦でも逃げまどった経験があるのに、また戦争で逃げたくないと、ひとり残りました。薬も飲まなければならない高齢の自分が、慌てて逃げることになった家族について行き、負担をかけたくないとも思ったそうです。

――取材後半になると、ジャーナリストへの市民の反応が変わってきたそうですね。

はい。ゼレンスキー大統領の顧問をしているアレクセイ・アレストビッチ氏が、「ジャーナリストやブロガーが写真をメディアにアップするために、軍事関連施設の場所がロシア側に特定されてしまう、そのためにロシアが攻撃しやすくなる、もしくはその中にロシアのスパイが紛れ込んでいる可能性もある」という趣旨の発言をしました。その発言はグループチャットなどを通して広まり、そこから市民がジャーナリストに対して敏感になってきました。実際、そういった緊張感が肌を通して伝わってきたこともあり、取材を切り上げ、日本に帰国する決断をしました。

――日本のメディアが伝えている情報と、実際に現地で見てきたこととの温度差はありますか。

僕が現地にいた頃はまだ日本のメディアがほとんど入っておらず、情報自体が事実か事実ではないかという以前に、ウクライナの情報がきちんと伝えられていなかったと感じています。つまり「戦争とは何か」が伝わっていなかったと。戦争はいかなるものかというのは、やっぱりその人が行って書かないと伝わらないと思います。

――「戦争とは何か」ということが自分の目で見て伝えられていなかったということですよね。

そうです。現地に行くと、記者を含めて誰もが危機感を感じざるを得ません。離れた場所でどこからか伝え聞いて、「こういうことが起きた、ああいうことが起きた」と伝えるのではなく、自分自身も死ぬかもしれないという恐怖感から出た言葉ではないと、ちゃんと伝わらないのだと思いました。

――同じ場所にいたポーランドメディアの記者が爆撃に遭って亡くなったそうですね。

はい。僕も3時間前にその場所にいました。戦争に行って取材をするということは、自分が一部当事者にならざるを得ません。その点はすごく重要だと思います。震災などの取材では、すでに災害が起こった後に現地に入るので当事者にはなりません。そのため、記者はその現場に浸るように努力しなければならないと思いますが、戦争の場合は、いつでも帰れるという点ではまったく状況が違いますが、少なくとも自分自身も死ぬかもしれないという恐怖感だけでいえば、一部当事者になり得るので、危険性を肌身に感じて取材をすることになります。その点では、現地に入ったというだけで書くものが違ってくるのではないでしょうか。

――ウクライナのこれからを考えるにあたって、現地の人たちにはどのような懸念があると感じましたか。小西さん自身はどう感じているでしょう。

終わり方についてはわかりませんが、現地の人たちは、戦争が終わった後にどうやって国を立て直していくかを心配していますね。現在はゼレンスキー大統領がスター的な存在になっていますが、過去の歴史から見ると、そういった政権はその後、必ずといっていいほど汚職が問題になってくる。そのようなことが繰り返されないか人々は心配しています。

僕自身は、今後もし戦争が終わったら、ウクライナで起こったことが忘れられてしまうのではと、それが怖いなと思います。僕が香港で見てきた時と同じように、人々の関心が薄れていく日がいつか来ると思います。人々がウクライナのことを忘れていくのを見ることになるのは、憂鬱な気持ちです。

――最後に、戦争を目の当たりにした後で、サステナビリティやSDGsについてどう見えていますか。

僕というより、SDGsについて取材している人たちなどは、ウクライナが侵攻されて人が殺されている中で、企業が「今年はSDGsのこういう目標を達成しようと思っています」というような発言を聞くと、虚しくなってくると言っていました。それは多くの活動が現実に即していないことを、どこかで分かっているからだと思います。

企業のCSR担当をしている人たちも、自分たちのやっていることが本質的には意味がないと思っている節があるのではないでしょうか。誰かのためと言いながらも、それは企業の利益につなげなければならず、たいして現場の役に立っていない、けれど見栄えとしてはとても立派なことをしているように見せなければならない。そんな矛盾の中を生きられる自分の残酷さに辟易しているのではないでしょうか。いままでは自分たちのやりたいSDGsの活動のために、矛盾を納得づけられる「リアル」らしい情報、つまり見たいものだけを見るという情報の選定をしてどうにか保ってきた。でも圧倒的な戦争というリアル(現実)を突きつけられると、もうその矛盾から自分を擁護していくことは難しいと感じるのだと思います。

企業なので利益を生んでいかなければいけないというのはわかります。ただその中で、社会的な責任を果たしていくというならば、パフォーマンスではなくちゃんとやってほしいと思います。正解のない問題に取り組む大人の姿を、子どもたちはよく見ています。もし大人が本気ではなく物事を「なあなあ」にしていれば、それを見て育った子どたちは、何を信じたらいいのでしょう。きっと彼らもそうやって物事をなあなあにしていくことが、”大人になっていくこと”だと、すべてを受け入れたかのように、実際には諦めて生きていくでしょう。社会的責任とは、活動そのものが残す結果だけの話ではないと最近考えているんです。偉そうなことを言えるような崇高な人間ではありませんが、僕もちゃんと背筋を伸ばして、次の世代の人たちにいい背中を見せられる大人になりたいと、いま努力しています。

SNSを見ていると、人々は絶対的な悪を見つけたがっているように感じます。「これは嘘でこれは本当で」とやるのも大事ですが、それ以前にもっと大切なことがあるのではないでしょうか。今考えるべきことは、国としてのウクライナとロシア、どちらが正しいかや、どっちの側につくということではなく、力のない人、罪なき人が死んでいるということについてではないかと思います。まずは声なき声の側に立たなければならないと思います。苦しんでいるのはウクライナの人でもあり、ロシアの人でもあるのです。

誤解を恐れずに言うのであれば、僕は戦場に足を運んで、自分自身の中に戦争を見ました。何かの拍子に僕が誰かを殺すことを選んだり、お国のために武器を取ったりするようなことだって起き得るのだと。人はいつだってとても危うく、暴力的な部分を持っています。それは歴史を見れば一目瞭然です。いくらグローバル化が進み、高度な文明をもって科学技術が発展しても、本質的な暴力性を発揮する人が後を絶ちません。だからいま一度、僕たちは戦争、つまり私たち自身を見つめ直さないといけないのだと思います。

小西遊馬 (こにし・ゆうま)
映像作家、ジャーナリスト
1998年千葉県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部に在籍中。世界中を飛び回ってドキュメンタリーを制作。これまでにバングラデシュのロヒンギャ難民キャンプ、フィリピンの路上で暮らす擬似家族、香港民主化デモなどを取材。国内外で賞を受賞。
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