きょう復帰の沖縄〈50年前きょうの1面〉5月15日「変わらぬ基地 続く苦悩/いま祖国に帰る」―琉球新報アーカイブから―

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。  

 「沖縄の復帰を告げるサイレンと汽笛が十五日午前零時を期していっせいに鳴り響いた」
 日本「復帰」した1972年5月15日の琉球新報1面は、通常と異なるレイアウトとなった。紙面横幅いっぱいに通した「変わらぬ基地 続く苦悩」との見出しに、
中央に縦位置で「いま 祖国に帰る」との見出しで、縦横見だしでT字型になった紙面レイアウトだ。そで見出しには「沖縄県 きびしい前途/なお残る『核』の不安」と掲げている。記事では「政府は『国家の慶事』として那覇と東京で復帰記念式典を開催するが、県民の心は重い。極東一を誇る嘉手納基地をはじめとした基地は存続され『太平洋のキー・ストン』になんの変化もみられないからだ」と伝えている。
 さらには「日本国民しての主権を回復し、平和憲法が適用されたとはいいながら、屋良初代県知事がいうように『完全な解決への第一歩』にほかならない。政府は『国家の慶事』としているが、新生・沖縄県づくりの前途は自衛隊の配備、公用地法に基づく土地の強制収用、本土の大資本による攻勢を受けながら他県との較差を埋めるため経済基盤づくりと課題は多く、多難である」と指摘する。
 復帰にあわせて屋良朝苗主席の談話と政府声明を併せて掲載している。
 屋良主席談話は「解決へ大きな一歩」との見出しで「私どもが実に二十七年間にわたってひたすら願望し、求め続けてきた沖縄の祖国復帰は、きょう五月十五日まさしく実現し、沖縄県民は名実ともに日本国民として地位を回復することになった。これは実に百万県民のたゆまざる、そして真剣なご努力とご苦労が結実したものであり、心から経緯を表するものである」と述べている。さらに「国もその政治的、道義的責任において、沖縄の振興開発、福祉の安定のため、いろいろ施策を展開するであろうが、私ども県民自体がまず自主、主体性を確立して、この世紀の大事業と取り組む決意を新たにしなければならないと思う」と結んでいる。
 政府声明は「平和で豊かな県づくりを」との見出しで「沖縄は本日、祖国に復帰した。心からこれを喜びたいと思う。顧みれば戦後二十七年に及ぶ沖縄の祖国復帰への道のりはながく、まことに困難なものであった。あらゆる苦難にたえ、たゆまぬ努力を続けてきた百万同胞のご労苦をねぎらうとともに、よくこのことをなしとげた国民各位に対し心から敬意を表する」と評価。「政府は、沖縄の自然と文化を生かしはぐくみつつ、沖縄海洋博覧会の推進をはじめ、沖縄の開発発展を国民的課題として、今後とも積極的に取り組む決意である」と記している。
 「きょうから通貨交換」と、復帰に伴う通貨交換も始まるとの記事も紹介している。
 復帰にあわせて米軍基地の状況について「米軍基地、平常通り動く」との見出しで、米軍機の動きは変わらず続いている状況を伝えている。
 復帰に際して沖縄などが求めた「核抜き」について「確約は完全に履行/核抜きで米国務長官が書簡」と米国側の態度が示されている。
 
 
 
 
 ◇  ◇  ◇
 
 琉球新報デジタルは沖縄の日本復帰から50年となる2022年1月から、1972年5月15日の日本復帰に向かう沖縄の様子を日々伝える当時の琉球新報紙面を、琉球新報アーカイブから転載して紹介していきます。

© 株式会社琉球新報社