<社説>施政権返還50年(10)未来の沖縄 私たちの意思で決める

 米国が沖縄の施政権を日本に返還(日本復帰)してから50年を迎えた。 県民が復帰に込めた思いは、基本的人権の回復であり、平和憲法の下で「基地のない平和な沖縄」の実現であった。しかし、米国は施政権を日本に返還するが、日本政府の同意を得て沖縄の米軍基地の自由使用権を手放さなかった。

 50年前の5月15日、屋良朝苗知事は記念式典で「沖縄がその歴史上、常に(日米の)手段として利用されてきたことを排除」すると述べた。沖縄県民には自らの未来を自ら決める権利がある。その権利を行使することを誓う日としたい。

 復帰後も沖縄に米軍専用施設の70.3%が集中する。屋良知事は退任の際、記者会見で「基地のある間は沖縄の復帰は完了したとは言えない」と述べた。県職員に対しては、手段として利用されている沖縄は「仮の姿」だと指摘した。では「仮の姿」から脱却するために何が必要か。

 まず、沖縄関係予算を国に委ねる一括計上方式を変更してもらいたい。この方式は国のさじ加減で要求額が増減し、基地を黙認する懐柔策に利用される。他県と同様に自らの力で予算を獲得する方式に改めることで「仮の姿」から脱却する第一歩にしたい。

 地方分権改革によって国と地方の関係は「対等・協力」に改められた。これまで基地を巡る政策に沖縄の意向は反映されなかったが、これからは政策決定過程に沖縄県を参加させるよう求める。

 名護市辺野古の新基地建設は、特定の地域に不公平な負担を押し付けるにもかかわらず、移設決定の手続きに住民が参加していない。地方自治を保障している憲法の理念の無視である。新基地建設反対の民意を無視して新基地建設を強行する政府の姿勢は、民主主義の否定であり、地方主権の侵害である。改憲論議の前に憲法が沖縄に適用されることを強く求める。

 沖縄戦を経験した沖縄は「軍事力で平和は実現しない」と身にしみて知っている。1945年1月、大本営は沖縄を日本防衛のための「前縁」と位置付け「極力敵ノ出血消耗ヲ図」る方針を決定した。県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦は、「本土決戦」に備えるための時間稼ぎだった。

 「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓から県民は「人間の安全保障」を要求してきた。だが、日本は米軍との軍事一体化を強化し、尖閣や台湾有事を想定して自衛隊を南西諸島に重点配備している。これでは過去の大本営方針のように、沖縄が最前線(前縁)となり再び戦争に巻き込まれるリスクは避けられない。

 世界平和に貢献し沖縄と日本の安全保障につながるために国連機関の誘致を実現したい。沖縄の基地を抜本的に減らすには、基地が要らない環境をつくることが肝要だ。沖縄はそのための信頼醸成の場になれる。

 基地のない沖縄を実現し、未来を構想するために人材育成が欠かせない。県に対し今後10年間、教育費を従来の2倍以上とすることを提言したい。これを原資に県立高校までを完全無償化し、県内で大学や高専、専門学校に進む学生には給付型奨学金を支給してほしい。希望する誰もが高等教育を受けられるようにする必要がある。

 こうして育った人材に未来を託したい。例えば、経済の自立を確立するという沖縄の目標はまだ途上だ。復帰後の沖縄経済は基地、公共事業、観光の3K経済と言われた。これからは環境や健康、教育、海洋、交易など沖縄が優位性を有する新たな「K」を育て、観光に続くリーディング産業の確立が鍵を握る。若き人材が先頭に立ってほしい。

 復帰を知らない世代が6割を占める。沖縄人としてのアイデンティティーに誇りを持ちつつも、しまくとぅばを話せる人が減少している。言語の危機は、アイデンティティーの危機である。継承、普及への方策として公教育にしまくとぅばを積極的に取り入れる方策が必要だ。沖縄の現代史をはじめ足元を深く掘れば、未来が展望できるだろう。

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