【沖縄復帰50年】川崎沖縄県人会、差別乗り越え地域に根「文化や魅力伝えたい」

新年会で郷土の音楽に合わせて踊る川崎沖縄県人会のメンバーら=2017年1月、川崎市川崎区

 沖縄が米統治下から日本に復帰して15日で50年を迎えた。関東大震災の翌年に発足した「川崎沖縄県人会」が拠点とする川崎市川崎区では、かつて沖縄からの移住者が差別的な扱いを受けることもあった。しかし、同会は地道に交流活動を続け、地域に根ざすようになった歴史がある。会長を務める金城宏淳さん(72)は「今後も沖縄の文化や魅力を伝え、先人の努力に報いたい」と決意を新たにする。

 「はいさい!川崎賞 沖縄本土復帰50年記念」─。

 4月8日。川崎競馬場(同区)で沖縄の本土復帰50年を記念した冠レースが開催され、場内でオリオンビールが販売されるなど節目を盛り上げた。招待された金城さんは、大型スクリーンに表示されたレース名を目にし、感慨にふけったという。

 同競馬場と沖縄には縁がある。競馬場は1950年、富士瓦斯紡績の工場跡地に建設された。工場の工員は沖縄からの移住者も多かったため、周辺には沖縄出身者のコミュニティーが形成され、1924(大正13)年に同会が発足していた。競馬場は県人会の原点につながる場所という。

 「計らいがうれしかったし、沖縄が地域に溶け込んでいると感じられた」と話す金城さん。そして、こう続けた。「先人たちが差別を乗り越えた歴史を思えば、歓迎ムードは余計に胸に迫る」

 戦前に本土への移住者が増えたが、同区では沖縄出身者のアパートなどへの入居が難しく、飲食店で入店を拒否されることもあったという。同会は、移住者への仕事の紹介や、郷土芸能による交流活動などに取り組み、差別に直面しながらも支え合ってきた。そうした地道な活動が実を結び、地域に根ざすようになったという。

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