40年前の大ヒット!ポールとスティーヴィーの「エボニー・アンド・アイヴォリー」  ポール・マッカートニーがR&Bで踏み出した新たな一歩!

「エボニー・アンド・アイヴォリー」ポールとスティーヴィーだけで全楽器を演奏

19歳のスティーヴィー・ワンダーのドラムソロで映画は幕を開けた。寡聞にしてスティーヴィーがドラムを叩くのを観たのはこれが初めてだったかもしれない。

アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞とグラミー賞の最優秀ミュージック・フィルム賞のW受賞を記念してこの4月に凱旋上映された『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放送されなかった時)』。撮影されながらも長年陽の目を見なかった、“黒いウッドストック” とも称される1969年夏の『ハーレム・カルチュラル・フェスティバル』を描いたこの作品は、音楽映画としてもドキュメンタリー映画としても実に見応えがあり、W受賞も納得の充実作であった。昨今 “R&B(リズム&ブルース)” という言葉に置き換えられている、“ソウル” = “魂” ミュージックという黒人音楽の呼称の意味するところが、実感を伴って熱く伝わってきた。19歳のスティーヴィーも当時の黒人の置かれた境遇に憤りを隠さず、また実際に活動していた。

13年後の1982年3月にリリースされたポール・マッカートニーとのデュエット「エボニー・アンド・アイヴォリー」でもスティーヴィーはドラムを叩いていた。否、この曲では全ての楽器を、ポールとスティーヴィーという2人の天才だけが演奏していたのである。

全米7週連続1位、年間チャート4位!

It was 40 years ago today.
40年前の今日1982年5月15日付で、ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダーの「エボニー・アンド・アイヴォリー」がアメリカのBillboard Hot 100(シングルチャート)で1位に立ち、実に7週連続でこの位置をキープする。年間チャートでもジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの「アイ・ラヴ・ロックンロール」に続き4位に輝いた。

イギリスでも3週連続1位を記録し、年間チャートでも9位となっている。意外や意外、ポールのソロシングルで英米揃って1位になったのは現時点でこの曲だけなのである。

アメリカではポールにとって「カミング・アップ」以来2年振り8曲めのNo.1。スティーヴィーにとっては「サー・デューク」以来5年振り7曲めであった。7週連続1位はポールのソロにおいてもスティーヴィーにとっても最長記録だ。

そして翌1983年のグラミー賞では、受賞は逸したが “年間最優秀レコード”“年間最優秀楽曲”“最優秀ポップ・パフォーマンス(デュオ / グループ)” の3部門にノミネートされている。

実に華々しい記録続きだが、もう一つ名誉な記録がある。この曲はBillboardのHot Soul(Black)Singles(現:Hot R&B / Hip-Hop Songs)チャートでも最高8位を記録したのだ。これはビートルズのメンバーにとって初めてのブラック・チャート入りだったのである。

ソウル(ブラック)チャートでも8位を記録!止まらない快進撃

 黒鍵と白鍵
 完全な調和のもと共に生きている
 ピアノの上で隣同士
 ああ神よ、なぜ僕らにできないんだ?

ピアノの鍵盤に例えて黒人と白人の融和を願ったこの曲を書いた時、デュエットの相手としてポールが真っ先に思い付いたのがスティーヴィーであった。

ビートルズの「恋を抱きしめよう(We Can Work It Out)」のスティーヴィーによるカヴァーをポールは高く評価していた。1973年のウイングスのアルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』のジャケットには、スティーヴィーへのメッセージとして点字で “We Love You” と打たれていた程だ。

デモテープを聴いたスティーヴィーは「押しつけがましくなく」「上品に訴えている」と共演を快諾。今は無きモントセラト島のスタジオでレコーディングが行われた。2人ともマルチプレーヤーなので、楽器もコーラス、ヴォーカルも全て2人だけで録音。ポールがベース、ギターを弾き、スティーヴィーがドラムを叩き、ピアノ、シンセサイザー、パーカッションは2人がそれぞれ鳴らした。

プロデュースとポールとの共同のアレンジャーでクレジットされているのは、ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティン。ポールとがっちり組むのはビートルズ以来のことであった。

この曲がソウル(ブラック)チャートの、しかもトップ10に入ったのだから快挙であった。しかし快進撃はまだ止まらない。

もう1曲あった共演作品「ホワッツ・ザット・ユアー・ドゥーイン」

「エボニー・アンド・アイヴォリー」が収められたアルバム『タッグ・オブ・ウォー』には、実はもう1曲ポールとスティーヴィーの共演曲がある。4曲めの「ホワッツ・ザット・ユアー・ドゥーイン」である。

この曲はスティーヴィーとポールの共作。ロキシー・ミュージックのアンディ・マッケイがリリコンという電子管楽器を吹き、コーラスもポールの亡き妻リンダを始めとして数名が参加しているが、やはり大半の楽器をポールとスティーヴィーで弾いていて、今回はポールがドラムを叩いている。

アレンジは「エボニー・アンド・アイヴォリー」同様ポールとジョージ・マーティンとクレジットされているのだが、これがアップミドルテンポの、コッテコテのブラコンなのだ。「エボニー・アンド・アイヴォリー」が “R&B” ならばこちらは正に “ソウル” の呼称が相応しい、むんむんとするナンバー。

そしてこの曲は、翌1983年のグラミー賞でなんと “最優秀R&Bパフォーマンス(デュオ / グループ)” にノミネートされたのだ。やはり受賞はならなかったが、「エボニー・アンド・アイヴォリー」のソウル(ブラック)チャートトップ10入りを納得させるに十分な快挙であった。

R&Bで新たな一歩を踏み出したポール・マッカートニー

改めて今日のR&Bの隆盛を考えると、やはりポールは時代を先取りしていたと言えるのではなかろうか。この後もポールはマイケル・ジャクソンとの共演等でもBillboardのブラック(R&B)シングル(ソング)チャートにランクインし、1983年のマイケル・ジャクソンとの「ガール・イズ・マイン」、2015年のリアーナ、カニエ・ウェストとの「フォー・ファイヴ・セカンズ」では1位を獲得している。

盟友ジョン・レノンの逝去から1年余り、ポールはR&B(ソウル)という新たなジャンルを切り拓くことで、力強く再出発したのであった。

そしてこの2曲を収めた『タッグ・オブ・ウォー』も鬼気迫るとんでもないアルバムであった。こちらは次回に。

カタリベ: 宮木宣嗣

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