祝賀ムード抑えた1972年の復帰式典…複雑な県民感情を意識 「新生沖縄県」前面に

 沖縄が日本に復帰した1972年5月15日、那覇市寄宮の那覇市民会館で政府主催の沖縄復帰記念式典が午前10時に開かれた。引き続き午後2時からは、県主催の「新沖縄県発足式典」が、執り行われた。「新生沖縄県」のイメージが演出に盛り込まれ、複雑な県民感情を踏まえ、祝賀ムードを抑えることが意識された。プロの演出家などに依頼せず、県庁職員の手作りで構成された。

 午後0時40分からは、琉球芸能鑑賞会が開かれ、琉球古典舞踊や雑踊りが披露された。当時30代で「浜千鳥」を踊った宮城幸子さんは、沖縄コンベンションセンターで15日に開催される沖縄復帰50周年式典で、人間国宝として再び舞台に立つ。

 50年前の式典では、首里高生のブラスバンドが、スペイン国王の圧政に苦しむオランダの独立運動などを描くベートーベンの「エグモント序曲」を奏でた。初披露となった「沖縄県民の歌」は、那覇高混声合唱団の歌声で紹介された。

 今回、復帰50周年記念式典の演出に携わる平田大一さんは、72年の式典を意識し、レセプションに那覇高合唱部を起用した。平田さんは「50年前の歴史の節目に高校生が出たことに強いメッセージを感じる。教育者であった屋良知事の若い人に歴史の証人になってほしいという意図があったのではないか」と話す。

 50周年記念式典では「新たなスタートライン」をメッセージとしている。平田さんは「復帰という一つのゴールは果たせたが、求めた形にはなっていない。当時の人たちがなし得なかった課題を、私たちがどう克服すべきか考える新たなスタートラインだ」と話した。

(中村優希)

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