なぜ、産んだばかりの子を死なせ遺棄? 知りたくて拘置所へ17回

ベトナムからの技能実習生が、広島で出産したばかりの子を放置して死なせ、遺体を土に埋めた罪に問われた裁判員裁判は、あす(16日)始まります。拘置所で17回に渡って被告と面会を重ねた記者がみた被告の素顔。そして、この事件からみえてくる問題とは…。

事件が起きたのは1年半前のことでした。2020年11月、東広島市志和町の民家で、この家に住むベトナム人の技能実習生のスオン・ティ・ヴォット被告は、敷地内に生後間もない女の子の遺体を埋めたとして逮捕されました。司法解剖の結果、女の子は生まれて数時間後に亡くなっていたことが分かりました。

(近所の人)
「会えば挨拶もしてましたし。片言だけど、おはようございますとか、こんにちはとか程度は言っていました。ただただ驚いて、びっくりしましたね。見た感じで、とてもそういう風な人には見えなかったので」

スオン被告の自宅は、会社の寮として使用されていたもので、同じ職場で働くほかの技能実習生の女性と2人で暮らしていました。働いていたのは、野菜を生産する会社でした。社長によると、遅刻もせず真面目な仕事ぶりで、毎月ベトナムの家族に仕送りをしていたといいます。

社長は「なぜ気付いてやれなかったんだろう」と肩を落とします。社長によると、周囲はスオン被告の妊娠に気づいていなかったといいます。

捜査の結果、スオン被告は、保護責任者遺棄致死などの罪で起訴されました。起訴状によるとスオン被告は、出産した女の子を保護すべき責任があるのにも関わらず、口に粘着テープを張り付けたままにしたうえで、床に放置するなどして窒息または低体温症によって死亡させ、遺体を土に埋めた罪に問われています。

2人の子をもつ私はこの事件を聞いて、生まれてすぐの赤ちゃんを埋めるという行為に至る前の、母となる瞬間の女性の状態を想像して、もし自分だったら…とゾッとしたというのが正直な気持ちでした。一人で子どもを産むなんて…あの痛みを感じながら、誰のサポートも受けずに、どうやって赤ちゃんを産み落としたのか。周りが血まみれになる中、へその緒や胎盤をどう処理したのか。

そして、きっと血管が透き通るほど薄い皮膚の、頭蓋骨までやわやわの、細っこい手足をギュッと曲げた状態の生まれてすぐの生命が、どんな声で泣いたのか…もしかして泣けなかったのか…。

誰にも祝福されずにこの世界に現れて、すぐに消えてしまった命を思うと胸が痛みました。そして自分まで後ろめたい気持ちになりました。

私が通訳の男性を伴って初めてスオン被告と面会したのは、2021年2月…、起訴され1か月余りたったころでした。

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拘置所の小部屋に通されてきたのは、サラサラのロングヘアーに幼い目つきをした”女の子”でした。一瞬笑顔になって私たちを見たものの、私が事件のことを聞こうとしていると知ると表情が固まり、ほとんど話さなくなりました。

「職場の人は優しかった」とか、「周りに相談はしにくかった」とか、「仕事は休まず行っていた」とか、当時すでに報じられていたことが確認できただけで、何一つ能動的に話してはもらえませんでした。

私が「妊娠したら帰国させられると思っていたって、本当?」と聞いた時、彼女は「なんで知ってるの?」と言って泣き出しました。

面会が許された30分間はあっという間に過ぎ、聞きたかった多くの質問は積み残されたまま。「また来てもいい?」と尋ねましたが、彼女は首を横に振りました。

そこから私はベトナム語のマンガを差し入れたり、恐る恐る一人で会いに行ったり…。少しでも話しやすいのではないかと、彼女に近い年齢のベトナム人女性の通訳・バンさんを見つけ、ともに面会に向かったのは、事件から1年がたとうとするころでした。

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あらためて事件について聞くと、彼女は「思い出したくない。思い出したら夢に見る」と言ったきり、口をつぐみました。「事件からまもなく1年だが、今はどんな気持ちか?」と言葉を投げかけると、彼女は無言のままハラハラと涙を流しました。

その2週間ほど後、再度、面会に訪れた私たちは、彼女から門前払いされてしまいます。拘置所では、面会は1日1組のみに限られ、中の人が「会いたくない」と言えば、会うことができません。

これでは何を知ることもできない…そう思った私は、まずはお互いをわかり合おうと、事件には触れずに面会を重ねることにしました。

私がスオン被告と重ねた面会は17回に渡ります。その中で、彼女は、少しずつ、日本に来るまでのこと、来てからのことを話してくれるようになりました。

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彼女は、ベトナムの首都ハノイから60kmほど北東にあるバクザン省出身。実家の家族は、祖母、父、母、兄、そして実は、幼い娘がいました。父と兄は米を作って暮らしていて、母親は彼女が5歳の頃から12年間台湾で働いていたようです。

そのためか、彼女にも、外国で働くことに抵抗感はなく、台湾、韓国、そして日本で働きたいと思っていました。日本に来る前に、台湾で働いていたこともあり、大きな工場で携帯電話の差込口を作っていたそうです。朝7時から午後5時まで働いて、月に4万5千円を得たものの、お金を貯められなかったといいます。台湾から帰国後、紹介された男性と結婚して妊娠。ところが、男性の心変わりですぐに離婚することになり、彼女はシングルマザーとして女の子を出産します。

子どもが生まれたこと、元夫との月5千円ほどの養育費の約束が守られなかったこともあり、経済的に困窮してきた彼女に、日本行きを勧めたのは母親だったそうです。近所には日本に行っている人が多く、彼女も希望しましたが、審査に通らず、7度目の申請で希望分野を「農業」にしてようやく願いが叶ったといいます。

渡航費用の食費や生活費、日本語研修費を含め、約150万円は、両親が工面してくれたそうです。ベトナム人技能実習生の多くは借金をして来日するといいますが、スオン被告の弁護人によると「両親がどこかから借りたらしい」といいます。つまり彼女も、借金まみれのスタートでした。

来日したのは、2019年、25歳の時。来日前に故郷で半年間、広島でも1か月間、集団生活をして日本語を学んだといいますが、彼女の日本語は、「カタコト」までもいかないレベルでした。

2019年12月から、東広島市内の農園で働き始めます。「職場の人は優しかった」と彼女はいいます。来てすぐのころ、社長が食事に連れていってくれたんだそうで、その時に食べたエビの天ぷらは、彼女にとって、日本で一番好きな食べ物になりました。

しかし、「仕事内容は好きにはなれず、帰国しても農業をしようとは考えられなかった、それでも、家族のことを思って、我慢して働くことを決めていた」といいます。

「勤務時間は、夏は7時から、冬は8時からの9時間(休憩時間含め)。普段やっていたのは、野菜の箱詰め作業。給料は(寮の費用などをひかれたあと残るのは)10万円ほどで、いいときは11万円になった。そこから2か月ごとに18万円を仕送りしていた」といいます。生活費を節約するために自炊で、米、卵、野菜、魚、豚肉を使って、自分だけが食べられるものを作っては食べていたそうです。「牛肉は高くて買えなかった。でも、フルーツがたくさんあっておいしいのは日本のいいところだと思う」と話しました。

寮として暮らしていた古い民家から農園までの通勤時間は、自転車で5分ほど。普段の買い物にも、その自転車を使いました。ベトナムにいた時は、バイクに乗って、景色のキレイなところに遠出するのが好きだったそうですが、日本では休みの日には、携帯でネットのドラマをずっと見ることが多かったそうです。

一緒に働いていたベトナム人とは「仲良しだった」といいますが、相談できる友達がいる様子はうかがえませんでした。「心配をかけたくない」と父や母に困ったことや悩みを相談することはなかったそうです。それでも、家族とは、毎日のようにフェイスブックで会話していたらしく、その話をする時、彼女は、とてもやさしい笑顔になりました。

彼女の人となりが段々描けてきたころ、私は質問を事件に寄せていきました。

どんな思いでお腹が膨らむ日々を過ごしたのか、なぜ誰にも相談せず、赤ちゃんが生まれた瞬間の状況がどんなだったのか、そして今、どんな気持ちでいるのか…。

結論から言えば、事件について、私は何一つ聞き出せませんでした。

「話したくない」と口を閉じ、反省の言葉も、言い訳も、誰かを責めることもなく、「裁判で言う」とだけ答えると、その他には一つも言葉を発しませんでした。

ただ一度だけ、強い思いを受け止めたことがあります。通訳の女性バンさんが帰国することになり、”やりとりできる最後のチャンス”という日でした。面会時間はあっという間に過ぎて、私は、刑務官に連れられて部屋を出ようとする彼女に、「せめて1つだけ答えて。こんな事件にならないために、日本は、あなたに何をすれば良かったのかな?」彼女は、これまでになく、きつい感じで投げ捨てるように何か言って部屋を出ていきました。

なんと言ったのか…。彼女が部屋を出たあと、通訳のバンさんは、少し申し訳なさそうに、こう訳してくれました。「やって欲しかったことはいっぱいあるって」…。

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17回に渡る面会の中で、彼女は、「家族に会いたい」「早くベトナムに帰りたい」と何度も言いました。裁判を前に、「心配だ」「どうなるかわからない」とも言っていました。かと思うと、一度だけ「雇ってくれるならこのまま日本で働きたい」と言ったこともありました。

事件を担当する弁護士は「家族に会いたい気持ちよりも、借金を返さないといけないという気持ちに支配されてしまうような時があるのではないか」といいます。

彼女が早期の帰国を望もうが、雇用の継続を望もうが、実刑が確定すれば彼女は「刑務所」に送られる。執行猶予が付けば強制帰国は免れるものの、ビザの延長は認められにくいとみられ、「懲役1年以上」なら再入国も不可能となります。彼女が今後のことを決める権利は、もちろん、今の彼女にはありません。

広島県内にはおよそ1万5000人の技能実習生がいます。そもそも、国が定める技能実習制度の目的は、「技術を伝える」こと…。一方で、2年前の県の調査では、実習生を受け入れた理由について9割以上の企業が、「日本人だけでは人材確保が困難だから」と回答しました。

そして、実習生側も、この制度のために多くが、借金をして「人生をかけて」来日し、母国への仕送りを続けていることも現実です。制度の建前と実態がかい離していることは浮彫りとなっています。

さらに、全国で20万人以上(2021年10月末・厚生労働省「外国人雇用状況」より)いるというベトナム人技能実習生の、「妊娠・出産」は、社会問題となっています。

そもそも国のルールでは妊娠したことを理由に帰国を強制することは許されていません。一方で、2020年末までの約3年間で、妊娠または出産を理由とする技能実習の継続困難事例は、政府が把握しただけで637件に上っています。(参議院・204回国会答弁書より)。

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尊い命を…、働きに来たのに…、誰かに言えば良かったのに…。彼女を責める言葉は、いくらでも思い浮かべることができます。しかしこれを「彼女の犯罪」で終わらせてしまうことに私はなんともいえない罪悪感を感じ、取材を続けています。

裁判員裁判は、あす始まります。

RCC中国放送/岡本幸

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