<書評>『沖縄発 記者コラム 沖縄の新聞記者』 伝える意味 自問続ける

 マスコミ不信と新聞離れが続き、全国紙が地方取材網を縮小してゆく中、地方紙の存在意義と責務をあらためて思う。住民に近い現場主義。長い時間軸の取材。記者も地域に根差して暮らす当事者性。これらを最もよく体現するのが沖縄の新聞だろう。本書の冒頭にこうある。

〈私たちは、不条理を帯びた近現代史、戦後史の上に立つ基地の島・OKINAWAから逃げも隠れもできない〉

 だからこそ記者たちは沖縄戦の歴史に向き合い、基地被害と日米地位協定の不条理に憤り、県民の意思を一顧だにしない政権と政治家を批判してきた。

 本書は、各記者が報道の内幕を一人称で綴(つづ)るコラム集だが、手柄話の類いはない。印象深いのは、報じる意味や伝え方に悩み、自問や葛藤する姿だ。

 翁長雄志前知事の入院情報に接した県政記者は事実確認に奔走しながら、誰がどんな意図で流した情報か、病状報道を競う意味はあるのかと思い悩む。

 沖縄戦の戦跡や証言を取材する記者たちは「若い世代に伝わりにくくなった」「体験や痛みを自分は伝えきれていない」と継承の難しさを痛感している。

 それでも彼らは、記者の職責に立ち戻る。死を目前に辺野古埋め立て承認撤回の「大立ち回り」に臨んだ翁長氏の気迫に触れて。戦跡で遺骨を掘り続ける人に動かされて。戦後の苦難を語れなかった生存者の傷を思って。斃(たお)れた者や傷ついた者が、沖縄の記者を育てるのだ。

 自問は足元の地域や職場にも向く。根強いジェンダー格差を連載で問うた女性記者は、議会や役所、さらには新聞そのものが男性優位の「ボーイズクラブ」だと指摘し、若い男性記者たちは取材を通じて自らの内なる固定観念に気づいてゆく。

 安田浩一氏が各章でコラムを読み解き、呼応する。本土から沖縄差別を追うのはこの問題を「自分ごと」にするためだと。

 沖縄に根差す視座から見える日本の政治や社会のゆがみ。誰のために、何をどう伝えるか。記者たちの自問はジャーナリズムへの提言でもある。

 (松本創・ノンフィクションライター)
 琉球新報デジタル版「沖縄発 記者コラム」に掲載された13人の記事を編集・構成。ノンフィクションライターの安田浩一氏が編者を務めた。

 
沖縄の新聞記者 琉球新報社+安田浩一編著
四六判 246頁

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