雨の中「沖縄を返せ」 50年前、基地従業員も願った復帰 山内盛源さん

 「沖縄を返せ!」。米軍基地従業員らの労働組合「全軍労」の専従役員だった山内盛源さん(83)は、1972年5月15日の与儀公園で、降りしきる雨の音に対抗するように、復帰運動の象徴となっていた歌を大声で歌っていた。

 日本と沖縄の関係を母子になぞらえ、復帰を母(日本)の下に帰ることだと思っていたが、違った。日本政府が沖縄を冷遇する様子を見て、怒りとむなしさを感じた。「これでは継子扱いだ」

 59年6月30日、宮森小学校に米軍のジェット機が墜落した時、嘉手納基地内で写真関係の仕事に就いていた。現像したばかりの事故写真に黒焦げの遺体が写っていた。激しく憤ったが、怒りをどこにぶつけていいのか分からなかった。

 沖縄の基地従業員は日本本土の基地従業員よりも待遇が悪く、米軍から差別的な扱いを受けた。千人単位の大量解雇もあった。日本国民ならあるはずの団体交渉権、争議権は、米民政府が一方的に制定する布令116号で奪われていた。職場を追われる覚悟を背負い、ストライキを決行してきたのが基地従業員の「祖国」復帰運動だった。

 あの日から50年。米軍絡みの事件・事故は絶えず、沖縄の差別的な扱いも続いている。「沖縄を返せ」と声をからした当時の思いを振り返る。「今も変わらないじゃないか」 

(稲福政俊)

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