読み仮名の向こう

 「お寺の名前にしてもその他の物にしても、昔はさらりと分かりやすく名前を付けたものよ。最近はいろいろ凝ってて面倒だね」▲鎌倉時代も令和の今も…ということだろうか。徒然草の116段には吉田兼好が“キラキラネーム”の流行に渋い顔をしているくだりがある。〈人の名も目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり〉となかなか手厳しい▲吉田さんの嘆きはともかく、子どもの名付けには親の願いや価値観が色濃く投影される。自分にその役目が来た時には、誰にでも正しく読んでもらえるように、と考えた気がするが、世界のどこにもない名前を、と意気込む気持ちももちろん分かる▲昨日の紙面にあったのは“キラキラの是非”とは少し角度の違う話だ。戸籍の「読み仮名」に、漢字本来の読みと違う読み方をどこまで認めるか、が法制審議会で議論されている▲戸籍には読み仮名がないから、例えば「一郎」と書いて「ももたろう」と読ませることもできるのだ、と教わったのは国語の時間だったか、社会科だったか。そこが変わる。読み仮名が付くと、データの管理や検索が容易になるというのだが▲待てよ、と思う。管理や検索のその先にはどんな社会がイメージされているのだろう。読みの許容範囲よりも、そちらの方がずっと気になる。(智)


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