外務省の核軍縮専門家が「転身」した先は、被爆地の大学教授だった 「核廃絶の情熱」と「安全保障理論」の両方を持つ人材を育てたい

核軍縮の外交舞台から長崎大教授に転じた西田充さん=2021年10月

 外務省で長年、核軍縮に従事した西田充(にしだ・みちる)さん(50)が被爆地、長崎市の長崎大教授に転身した。日本が米国の「核の傘」で守られている現状など、安全保障を重視する考え方は、被爆地では批判されかねない。そんな心配も抱えながら「軍縮教育」の実践の場に立つ。

 西田さんに取材して感じたのは、各国の利害が交錯する国際舞台で培った現実的な視点と、「核なき世界」への理想だ。

 6月下旬には、核兵器禁止条約の第1回締約国会議が開かれる。日本は締約国ではなく、政府はオブザーバー参加にも消極的だが、被爆地からは出席を求める声が強い。参加の是非についても尋ねた。(共同通信=井上浩志)

 ▽「原爆を許すまじ」悲哀のメロディーが原点

 「今でも強烈に覚えている」

 

1945年8月9日、長崎に投下された原爆のキノコ雲

 西田さんがこう振り返るのが、福岡市に住んでいた小学6年で行った長崎への修学旅行中の出来事だ。バスガイドが車中で「原爆を許すまじ」と題する曲を歌った。故郷の全てを奪った原爆への怒りが込められた歌詞と、悲しげなメロディー。頭から離れなかった。

 大学3年の正月には、1945年8月6日の広島にいる夢を見た。「あと数分で原爆が落ちる」。逃げ込んだ防空壕から出て、市井の人たちの暮らしが一瞬で奪われたのを見た後に目が覚めた。「3度目の原爆投下を起こさないことに貢献したい」と決意した。

 当時読んでいた軍縮に関する本の多くは、政府に批判的な内容。「日本はなぜ思い切って核の傘から出ないのか。何か理由があるはず。外務省に入って知りたい」

 ▽日本の軍縮外交担い、核の透明性を問題提起

 24歳で入省し、2003年以降、一貫して核軍縮・不拡散分野に携わった。07年には同分野の「専門官」に。各国との議論を通じて実感したのが、大学時代に学ぶ機会がなかった安全保障の重要性だ。「外交は国民の平和と安全を守るのが基本中の基本」。日本の安全保障にとって、日米同盟がいかに大きな存在であるかにも気付かされた。

 世界的な価値観の転換が一気に核廃絶をもたらす可能性はあると考えつつも「核の必要のない世界に向け、まどろっこしい外交を進めざるを得ない」。

 力を入れたのは「透明性」の向上だ。核兵器保有国に対し、保有の意図や能力の開示を促すことで他国との信頼を醸成し、軍縮や軍備管理上の合意が守られているかどうかを検証可能にする。10年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、日本は単独で透明性の向上を訴えたが、強く反発する国もあり、議論は立ち消えになった。

ニューヨークの国連本部で開かれたNPT再検討会議=2015年4月27日(ロイター=共同)

 そこで、核に対する立場が近い国々とグループを結成し、次の15年の同会議では集団で提起。中東の非核化を巡る対立から最終文書は採択されなかったが、保有国に開示を求める具体的な項目や、開示された内容について各国で話し合う仕組みなどが盛り込まれ、事実上、合意していたという。

 こうした取り組みで日本側の中心に西田さんがいた。この2回の会議中の非公式会合に、日本から軍縮大使と2人で出席していたことでも分かる。非公式会合は、限られた国々が実質的に合意内容を決める場だ。

 「現実的な道」を探る一方で、自分の原点である被爆地への思いも持ち続けていた。06年にジュネーブ軍縮会議日本政府代表部に着任すると、被爆者が軍縮大使と意見交換する場を設けた。13~14年に開かれた「核兵器の非人道性に関する国際会議」では、被爆者の政府代表団入りを実現。私生活でも広島、長崎の「原爆の日」に開かれる式典に参列した。

広島市の原爆ドーム=21年3月

 ▽国際会議の合意文書に「軍縮教育」盛り込む

 業務の傍ら、核戦力の増強を続ける中国が参加できる軍備管理の枠組みを模索しようと「核の透明性」をテーマに論文を書き、19年に博士号を取得。長崎大からオファーを受け、21年9月に教授に就いた。

 意外にも見える進路だが、教壇との「縁」は以前からあった。10年のNPT再検討会議では締約国の行動計画として「核なき世界実現のための軍縮教育」を提案し、初めて合意文書に盛り込まれたのだ。

 

西田充さん=2021年10月

 「現実社会では、核兵器の脅威に対し、抑止力に依存する安全保障環境が厳に存在している」。だからこそ核廃絶に向けて、保有国が余剰分を減らして最小限の数にした上で、厳格な検証体制を確立する―という息の長い取り組みが必要だと訴える。

 そのためには核兵器の役割を減らし、核を持つ動機を取り除くことが欠かせない。保有国の考え方を知ることが重要となる。「安全保障を巡る議論の土俵に乗って提言しないと、政策立案者に影響を及ぼすことはできない」。目指すのは、核兵器廃絶への情熱と、各国当局者と渡り合える理論を兼ね備えた人材の育成だ。

 研究者としては引き続き中国の核問題と向き合う。また、大国同士が争う時代に日本が軍縮や軍備管理で果たし得る役割を検討するため、冷戦下の米ソが軍縮を進めた際、ドイツがとった対応への理解も深めるつもりだ。

 ▽核禁止条約、日本は加盟せずとも貢献可能

「核兵器禁止条約」が採択された制定交渉会合の会場=2017年7月、ニューヨークの国連本部(共同)

 21年に発効した核兵器禁止条約には、核保有国だけでなく日本など核の傘に依存する国々も署名していない。

 それでも、西田さんは条約の意義を認めている。理由は、核兵器を違法とする規範を作成することで、新たに核を持とうとする国が持ちにくくなり、既に持っている国の新たな核開発にも歯止めをかける「一定の効果がある」からだ。

 その一方で、日本が態度を変えるには「核の傘を抜けなければならず、国民的議論が必要だ」と説明。現在の安全保障政策下では不可能だと断言する。

 「理想としては加盟が望ましい。だが周辺国が核を持つ中で核の傘を離れて日本の安全を確保するのは無理ではないか」

核兵器禁止条約の発効を祝いパレードする人たち=2021年1月、広島市

 被爆地は、日本政府に締約国会議へオブザーバー参加するよう求めている。西田さんはこうした声に理解を示すものの「参加が目的化してはいけない。今のまま参加しても、条約を否定するだけになる」とも指摘する。

 参加することで日本の将来的な加盟を可能にし、核廃絶を実現する条約にする「建設的な姿勢」が望ましく、米国の納得を得ておくことも大事だと訴える。

 「条約の問題点を指摘しながら、核廃絶という共通目標に向けた対話はできる」。条約の課題の一つは、核軍縮・廃絶が実際に達成できているかを確認するため、どのような仕組みをつくっていくかだ。西田さんは、この点について日本の考え方を伝えることができると説明する。被爆者に対するこれまでの支援内容を共有すれば「大きな貢献になる」とも主張した。

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