今年を代表する邦画 “2人だけ”の地獄を美しく切り取る 『流浪の月』レビュー

はじめに

お疲れ様でございます。茶一郎です。映画スクエアpresents「スルー厳禁新作映画」第2回目の作品は、『流浪の月』です。公開規模が大きい作品ではありますが、他のゴールデンウィーク公開の新作に埋もれている感もありますので、こちらで取り上げさせて頂きます。

凪良ゆうさんの同名ベストセラーを『悪人』『怒り』の李相日監督が映像化した『流浪の月』は、他人を理解する事の危うさを静かに描く秀作であり、「笑ってごまかすしかない」地獄も描く広瀬すずさんの「笑顔」についての映画。『パラサイト/半地下の家族』『バーニング』撮影監督ホン・ギョンピョによるパーフェクト・ショット集。フィクションでしか描けない理想の人間関係を軸として美しい孤独な魂の触れ合いを描く逸品でした。具体的にどんな映画なのか?ということでお願い致します。

あらすじ

映画が始まるとキーキーと耳障りな音が観客の耳を刺激します。この音は主人公・更紗が10歳の時、公園のブランコを漕いでいる、そのブランコの金属と金属、錆が擦れる音と分かります。ここでカメラはブランコをこぐ更紗と一緒に上下に揺れる。更紗の背中にピントを合わせながら、続いて更紗の目線の先、公園の生垣の先、ベンチに座り一人読書をしている謎の男にピントが合っていく。公園にいる孤独な2人が映像的に繋がっていく。耳からの目。この冒頭一連の美しいショットから前屈みになりました。“おっ何か良いぞ『流浪の月』”と。

謎の男・19歳の文は、雨に濡れている更紗に傘を差し出し「うちにくる?」「行く」と、ここから文と更紗2人の共同生活が始まります。しかし世間的には19歳の男による10歳の少女の「誘拐事件」として扱われ、更紗は被害者として保護、文は誘拐の加害者として逮捕。孤独な2人の自由で幸せな共同生活は幕を閉じてしまいます。その15年後、大人になった更紗は、偶然にも文と再会を果たすことになるというお話です。

どんな映画?

ベストセラー、本屋大賞という原作の存在は知っていたんですが、読んではいなくて、予告で物語を知って、ちょっと個人的には危うい話なのかな?と。19歳の大学生と見ず知らずの10歳の少女が共同生活。ともすれば小児性愛を肯定するような話なのかとか、監禁誘拐で被害者が加害者に共感・好感を抱いていく、ストックホルム症候群の話なのかとか。ちょっと危ういなーと思って映画を観ましたが、そういう話ではないというのが原作でもあり、映画『流浪の月』のキモで、何ならむしろ「どうせロリコンの映画でしょ」という事前の私の思い込みを突き返すような、その先を見せるパワーを持った物語だと思いました。もちろん危うさが100%払拭されている訳ではないですが。

『流浪の月』はとにかく「2人だけの映画」なんですよね。更紗と文、文と更紗、唯一心の傷を共有できる分かち合える2人だけの物語が『流浪の月』です。この2人の関係性に物語の、映画のパワーが宿っていると。ただ同時にとっても更紗と文の2人は、フィクショナルな関係な訳ですよ。先ほどのあらすじの通り、いきなり傘差し出して「くる?」「行く」と、こんな風に言ってしまうと、そんな馬鹿なというおとぎ話なんですが、その更紗と文の出会いと関係性を「フィクションすぎない?」「共感できない」と否定せず真っ向から作り手が2人の関係性に挑んで、信じて、描写して、そのフィクションから2人の関係性の「先」を見せようとしている。それがこの『流浪の月』という物語、映画の美しい所だなと思いました。

原作の帯には「愛ではない。けれどそばにいたい」というコピーがあります。小児性愛とか、ストックホルム症候群とは、愛とは別の次元の孤独な2人の魂と魂の共鳴ですよね、ちょっと映画観ていない方には「お前、何言っているんだ」と思われてしまうと思いますが、個人的にはこの関係性、共感はできないけど理想的ではある。フィクションでしか存在し得ないだろうなという2人の関係性を、作り手が強く信じたが故に、本当に今までの作品にはないような美しく、清々しい2人だけの映画になっていました。

素晴らしい撮影と映像

ちょっとネタバレを避けるために抽象的な表現が続いて申し訳ないです。「2人だけの映画」という意味で、原作はもちろん、映画ではより2人の物語を映像にする分、関係性を観客に納得させないといけない訳ですが、特に映像・撮影によってその更紗と文の関係を描くことに成功していると思います。映像・撮影が素晴らしい映画という『流浪の月』です。

今回、撮影監督はまさかのホン・ギョンピョ。『バーニング劇場版』、数々のポン・ジュノ作品に携わった、何より『パラサイト/半地下の家族』の世界トップのカメラマンが撮影監督をしております。李相日監督の『怒り』をポン・ジュノ監督がお好きで、ポン・ジュノ経由でお繋がりになったそうです。ホン・ギョンピョの撮影はこの『流浪の月』に登場するそれぞれのキャラクターの孤独、それぞれ2人の欠けた月の心の傷、その欠けた月同士が合わさって1つの満ちた月になる、「更紗と文」の2人だけの世界に説得力を持たせています。

冒頭のブランコに乗る更紗と文を、ピントの変更だけでワンショットで見せるダイナミックながら繊細な撮影からそうですが、とにかく『流浪の月』は被写界深度が浅い。浅い被写界深度ファンの皆様、お待たせしました。『流浪の月』は被写界深度の映画ですね。全編、広瀬すずさん=更紗だけにピントがあった画ばかりが映されます、当然ながらこれは更紗の孤独を分かりやすく強調しています。

「誘拐事件の被害者」というレッテルを貼られて、15年生きてきた孤独な更紗。「私、かわいそうな子じゃないよ」というセリフが印象的ですが、「かわいそうな子」という記号化に苦しむ更紗の孤独を強調するように、被写界深度はどんどんと浅くなる、更紗だけにピントが合って、周りの世界はぼやけていく。世界から隔絶されている更紗を一貫して強調し続けると。

ホン・ギョンピョの撮影はお得意なものが何個かありますが、シルエットのショットですね。何より『バーニング劇場版』。一度見たら忘れられない逆光のシルエットが印象的でしたが、やはり本作でも更紗の孤独を強調させるべく使用されています。ホン・ギョンピョ撮影といえば「炎使い」も印象的ですが、本作では冒頭の雨、更紗と文の自由を象徴する水、水面が美しかったですね。ほとんど溝口健二の『山椒大夫』的な美しい水面のショットもあります、撮影は言わずもがら素晴らしい。

何度も「2人だけの映画」と言ってきましたが、『流浪の月』は中盤まで2つの「世界」が対比して描かれていきます。1つ目は15年前、幼少期の更紗と文の2人だけの世界。そして2つ目、15年後の現在、大人になった更紗と現在の恋人、横浜流星さん演じる亮。この「2人だけに見えるけど、本当は更紗の1人だけの世界」と。2つの「世界」このが対比されていきます。

本作は横浜流星さん恐ろしいですね。これ観た方なら誰でも言うと思うんですが、横浜流星さんの演技がすごい映画です。横浜流星さん演じる亮が暗い空間で、スマホを見るシーンあるんですが、スマホの光に下から照らされた横浜流星さんの顔が怖いという。存在そのものが恐ろしいです。文は「更紗は更紗だけのものだ」と更紗に自由を委ねる一方、亮は更紗は「かわいそうな子」だとペタッとレッテルを貼る。この「かわいそうな子」を守ってあげないとと、善意からですが支配、コントロールしてしまうと。この対比になっていると。

映像・撮影的には、文と幼少期の更紗、この2人が同一の画面にいる時はちゃんと2人にピントが合っていますが、一方、大人になった更紗と亮、この2人は同一の画面にいても一方にしかピントが合っていないという。奇妙で怖い。更紗の亮に対する違和感と孤独を強調させる撮影を、丁寧に丁寧に積み重ねていくという映画です。

李相日監督作では、『悪人』の主人公がある告白をするシーンがありました。イカの目ん玉のシーンですね。あの告白シーンも、かなり被写界深度を浅くして、かつ告白をしている妻夫木聡さん演じる主人公の顔を映さない。すごい変な撮影が印象に残っています。自分の内にしかない秘密を告白する自分だけの世界と、その告白を聞く女性。外の世界とのコントラストを強調する被写界深度が異常に浅い映像でしたが、あの『悪人』の告白シーンの延長線上にある、今回の更紗を映す撮影だったと思います。

「笑顔」が切なく怖い

更紗を演じた広瀬すずさん、こちらも凄いですね。本作『流浪の月』は大人になった更紗の視点がかなり軸になる、『悪人』の主役を明確に妻夫木聡さん演じる男にした脚色と近い原作翻訳にも思いましたが、「被害者」として記号化された、世界から隔絶された更紗を演じる広瀬すずさん。広瀬すずさんの「笑顔」の映画が『流浪の月』と言っても良いかもしれません。

とにかく全編、広瀬すずさん=更紗がずっと「笑顔」なんですよね。ただその笑顔は幸せから来るものではなくて、義務感というか、処世術というか、この地獄を切り抜けるための笑顔。更紗にとっては「笑ってごまかすしかない」地獄の愛想笑い映画が『流浪の月』でしたね。広瀬すずさんも凄かったですよ。映画観てからはしばらく愛想笑いが頭に残る『流浪の月』です。あるキャラクターが善意から更紗に気を遣う、それに対して「大丈夫ですよ」と笑いながら返した後、スッと笑顔が消える。

当然、ホン・ギョンピョのカメラも、この広瀬すずさんの笑顔と孤独を強調するように被写界深度を浅くして、世界から隔絶された更紗を強調すると。素晴らしい演技と素晴らしい撮影の合わせ技によって、地獄の底が深くなっています。 “一方的な優しさの押し付けVS笑顔、レディーファイト!“と。この攻防戦が全編に渡って繰り広げられる映画です。

本人にしか分かり得ない心の傷。他人、他者の心というブラックホール。李相日監督は、これは吉田修一原作のクセというのもありますが、『悪人』『怒り』と他人・他者を信頼することについてのドラマを描いています。『怒り』ではどちらかというと圧倒的な「他者」と対峙する側、他人の心の中にダイブする側の視点の物語でしたが、本作『流浪の月』では逆のドラマに重心が置かれています。他者から心の中に土足で入られる、押しはかられる事の違和感と恐怖が、映画を支配していました。

あと思い出したのは、李相日監督のデビュー作『青chong』という作品ですね。この作品は、監督の在日朝鮮人としてのアイデンティティが強く反映された、在日朝鮮人の高校生が主役で、当事者しか理解し得ない傷を負った2人の物語でした。どこか李相日監督の本人しか分かり得ない心の傷、孤独への共感と優しさがデビュー作から本作に繋がっている気もしました。

偏見への強烈なカウンター

そんな他人には絶対に分かり得ない心の傷を負った2人、更紗と文が心を静かに共鳴していく『流浪の月』。二人が再会するのが文の経営する深夜営業のカフェ「calico」というのが、モチーフとして印象的で美しいですね。名前が「calico」=「更紗」とそのままの名前というのが若干気持ち悪さもありますが、それだけ文が更紗の存在を心の拠り所にしていたという、1階がアンティークショップで、2階が深夜しかやっていないカフェ。

アンティークというのも、更紗にとっての15年前、文と出会った「過去」を象徴するようなモチーフですし、文の社会・世間からの距離感を表すように深夜しか営業していない設定とか、美術とかもどこかフィクショナルな感じ、象徴化された2人だけの場所という再会の場所・カフェが印象的なモチーフでした。

李相日監督作品、これこそ吉田修一原作的ですが、『怒り』の森山未來さん演じるある男が住んでいる沖縄の離島とか、『悪人』の2人が逃げ込む灯台とか、どこか寓話的な、象徴化された主人公が逃げ込む避難場所みたいなものが、作品の中心に常に存在するのが印象的ですね。本作ではそれがカフェ「calico」に、後半はアパートに置き換わっていきます。

欠けた月同士がさまよい、15年の時を経てようやく出会い、本人にしか分かり得ない心の傷を静かに共鳴させていく、癒していく。同時に映画版は原作より大人になった更紗の視点を軸にしていますから、大人になった更紗にとっての「他者」の心のブラックホールとの遭遇を描く作品でもあります。

今まで「かわいそうな子」とレッテルを貼られていた更紗でしたが、同時に更紗はあるキャラクターにレッテルを貼り続けてきた人物でもありました。その更紗に対する強烈なカウンターですね。観客の視点は更紗の視点とシンクロしていますから、ある種、この映画を観ること自体が他者を特定の枠に押し込む、レッテルを貼る。それを体験できる映画体験になっているという。他者を理解した気になることの怖さ、観客それぞれの持っている優しさに疑問を持たせる、優れた映画体験を味わうことができる『流浪の月』だと思います。更紗が最後に目撃する「他者」とは何なのか?ぜひ本編ご覧いただければと思います。

さいごに

言及できませんでしたが、もちろん文を演じた松坂桃李さんは素晴らしい。「孤狼」の次は「流浪」という演技の幅、演技怪物ですね。広瀬すずさんの「笑顔」が支配する映画としても、彼女の新しい代表作でしょう。毎作、役者さんの演技を150%引き出す李相日監督と撮影監督ホン・ギョンピョの見事なコラボレーション。おそらく今年を代表する邦画になるだろうなという一本、『流浪の月』でした。

【作品情報】
流浪(るろう)の月
公開中
配給:ギャガ
©2022「流浪の月」製作委員会


茶一郎
最新映画を中心に映画の感想・解説動画をYouTubeに投稿している映画レビュアー

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