<月曜放談>埼玉好き!でも目は東京に 実はまぎれもない埼玉都民だった 埼玉県人会会長・岡本圀衞氏寄稿

岡本圀衞氏

 「『翔(と)んで埼玉』なんてとんでもない。埼玉はいいところだ。埼玉が大好きだ」と、日ごろ、方々で力説していたら、なぜか当時の大塚埼玉県人会会長(現JR東日本顧問)のお耳に入り、「俺のあとを引き受けてくれないか?」と。そんな経緯もあって県人会会長に就任し、今年で5年目を迎える。

 ところが、いざ、県人会会長になってみて驚いた。埼玉はいい、埼玉が好きだ、と言ってきたものの、実は埼玉のことをまるで知らない。何故なんだろう。考えてみた。まぎれもない「埼玉都民」の一人だからだ。

 私は鴻巣に生まれ、北本で育ち、浦和で学び、大宮で遊び、熊谷でアルバイト。すべて高崎線沿線で目は東京に向いている。だから県の東西に位置する川越、秩父、春日部とか…。ましてや飯能、所沢のことはほとんど知らない。行政区画としての埼玉県は知らないことだらけなのだ。

 それでも、埼玉に全くロイヤリティーを持たない人に比べれば少しはマシかもしれない。こんなことで、県人会に携わるようになって、埼玉県の勉強を猛然と進めることになった。行田の古代蓮、日光街道の草加松原、秩父寺坂棚田の彼岸花、飯能のムーミンバレーパーク、加須のうどん、埼玉県人会そのものも…。

 今回は連載の第1回なので、まずは埼玉県人会の紹介から始めたい。

 県人会は大正2年(1913年)に初代会長渋沢栄一翁を中心として創設し、今年で110年目を迎えた。会員数は法人・個人を含め約850人。渋沢翁の頃は1千人を超したこともあるそうだから、当時の県の人口との割合を考えれば、まだまだ頑張らねばならない。

 県人会といえば、例えば九州とか北陸の方々が東京に出てきて、故郷に熱い想(おも)いを持ちながら助け合うために結成されるというのが一般的だが、埼玉県人会の場合、すぐ隣が東京。その上会員は大半が埼玉在住の方という特徴がある。東京にはもとから隣接しているので、東京で助け合うというよりは、「埼玉県民の知徳・人格を高めて社会の役に立つこと」「埼玉の輪としてまとまり、大きな力を発揮すること」というのが、渋沢翁や歴代の会長方の考え方だったらしい。

 県人会会員のメンバーも多士済々。会社員が中心だが、埼玉で事業を営む各業界の経営者や社会事業家、政治や行政の関係者、あるいは芸術家や文芸家等々もおられ、多様な会員がお互いの知見を披露しあい、交流しているだけでも非常に刺激を受ける。

 今後の連載で紹介するが、会の活動としては夏のイベント、講演会、春のウォーキング、秋の見学会、ゴルフ会、善行賞の表彰などを通じて「埼玉を知る」「埼玉で活躍している方々を顕彰する」ことに取り組んでおり、有意義な集まりになっている。

 なお、会の目的に賛同いただける方であれば、県在住の方でも県外の方でも、個人でも団体でも入会大歓迎。埼玉の知見・知己を広げたい方は進んで入会いただければ幸いである。

■おかもと・くにえ

 鴻巣市出身、県立浦和高校―東大法学部卒。1969年日本生命保険に入社。2005年社長、11年会長。現在は同社相談役。18年に埼玉県人会の第12代会長に就任。経済同友会の副代表幹事、経団連の副会長も務めた。

© 株式会社埼玉新聞社