博士の肉声

 竜巻の研究で世界的に知られる北九州市出身の気象学者、藤田哲也博士(1920~98年)は20代の頃、原爆投下直後の長崎に入った。当時は明治工業専門学校(現・九州工業大)助教授で、調査団の一員だったという▲爆心地周辺で上空約500メートルから爆風が襲ったことを調査でつかむ。後年、ダウンバーストと呼ばれる強い下降気流の発見にもつながった▲昨秋、博士の講演映像が福岡管区気象台で見つかった。亡くなる5年前、気象台職員を前に研究に情熱を注いだ生涯を振り返っている。戦後間もなく、拠点を米国に移したこともあり、日本語での講演映像は極めて貴重▲その中で原子野と化した長崎の様子も語っている。「死体はかなりありまして、建物なんかは温度がまだ高かったんです。白血球の数も変わらないし、この年まで生きたから心配ないと思っております」。「原子病」を心配し、血液検査も重ねたらしい▲終戦後「紙と鉛筆」で研究を再開した博士の講演には、いくつかの教訓がちりばめられていた。「何事も、どうしたら早くできるか、やり方から考えてほしい」。そう、人生は有限なのだ▲「宝くじは万に一つでも当たると思って買うのに、家は万に一つでも倒れないと思っている。人間は都合よく解釈する」。梅雨入り間近。災害への備えは十分に。(真)

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