王林、芸能界の〝恩人〟は明石家さんま「キーになる時は常にいてくれた」 津軽弁のこだわりも後押し

青森県のご当地ダンス&ボーカルユニット・RINGOMUSUME(りんご娘)を3月に卒業し、4月から活動拠点を東京に移したタレントの王林(24)が、このほどよろず~ニュースの取材に応じた。バラエティー番組で活躍するきっかけになったのが「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ系)への出演。明石家さんま(67)が芸能活動の鍵になる存在だといい、津軽弁にこだわる理由のひとつとなったさんまからの金言を明かした。

津軽訛りのしゃべり言葉がチャームポイントのひとつとなって、王林の魅力を引き立てている。「標準語はしゃべれない。テレビの世界の人のまねっこをするみたいな感じでしゃべればできるけど、普通の会話とか〝標準語です〟みたいなことは全然できないんですね。なんかモゾモゾしてくる」と明かす。それでも、地元の友人には「訛り取れたよね。都会の人になったね」と言われているという。

活動拠点を東京に移しながらも、自宅を青森に残す。東京~青森間約700キロを、新幹線で往復する日々。東京ではホテル暮らしだが、オフの日は必ず青森の自宅に戻る。東京の目まぐるしい生活を「流れてる時間のスピードが全然違う。鳥が飛んでるスピードも、東京の方が速くないですか?」と独特の表現で説明。「『王林』っていうものを守るためにも、青森に居続けたい。東京で暮らしてしまうと、もう王林で無くなってしまう。私はそう思います。この私がしゃべっている訛りも、青森のひとつの歴史ある文化じゃないですか」。郷土愛、そして誇りを訛りに込める。

りんご娘時代に、さんま御殿のオーディションを受けたことがブレークのきっかけになった。りんご娘の妹ユニット・アルプスおとめ時代にTBS系で放送されていた「さんまのSUPERからくりTV」に出演経験があり、さんまとも共演している。

王林は「ちっちゃい時に出させてもらって、その時にさんまさんに会ってて、お礼も言いたくてさんま御殿のオーディションを一番最初に受けて。私の中では何かキーになる時に、いつもいてくださる存在」と、さんまがキーパーソンとなっているという。さんま御殿で、1番面白かったトークに贈られる「今週の踊る!ヒット賞!!」を受賞。バラエティー番組から次々とお呼びがかかるようになった。

当意即妙で、かつ津軽弁丸出しのトークはウケまくったが、当初は困惑していた。りんご娘や青森県の知名度を上げるべく出演したが、なぜ笑われているのが理解できなかった。「何か、みんなが笑っているという状態。すごい面白い子みたいな扱いになったのもびっくりで。バラエティーで私は面白いことをしたくてやってるわけじゃないから大丈夫かなって不安になった時期もありました」と述懐する。

王林と同じように、テレビでも関西弁を崩さないさんまからの「ちゃんと青森弁をそのまま貫いていった方がいいよ」というアドバイスが力になった。「お前女優やらないのか?」と聞かれた際も、方言を標準語に直してまで演技をするのは本意でないとして「やんないです」と答えると「お前がその訛りでやったらええやないか!」と言われ、ハッと気づいたという。

ドラマ「男女7人夏物語・秋物語」シリーズなどでも、関西弁で出演したさんまを尊敬しているという。「関西弁でドラマの中で演技をした人でもあって、関西弁に対しても特に大切な思いがあって。関西弁を全国に広めた人。私もそういう風になれたらうれしいなと思う」と、後ろ姿を追う。

テレビの世界ではポピュラーになった関西弁に比べ、青森などの方言は治すという風潮に異論を唱えた。「このままだとこの素晴らしい訛りもなくなっちゃう。訛りを私が話すことで、青森の人たちが恥ずかしいものじゃないんだというのを知って欲しかった。何で笑われているのかわからないとかいろいろあったけど、全国のみなさんに向けてしゃべらせてもらったりとか、すごい自分の中ではうれしい」と、訛りへのこだわりを見せる。

軸足は、常に故郷にある。「『青森を発信したい』が本当に私の軸で。わざわざ標準語に直してお仕事するのは自分の中ではしっくりこなくて。私から青森っていうものを取って表に立つというのは、別に興味がなくって…その、やりたいとは思わないんです」ときっぱり語る。都会には染まらない。純度100%の無添加さが、人気を呼んでいる。

(よろず~ニュース・杉田 康人)

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