日本初、出所者専用の求人誌が変える「悪循環」 就職内定は200人超、脱サラした女性が見いだした可能性

三宅晶子さん=2月、前橋刑務所

 刑務所から出所し、立ち直ろうと決意しても、前科が障害となって就職できない人は多い。仕事がないから再び犯罪に手を染め、刑務所に戻ってしまうケースも。そんな悪循環を変える、日本初の出所者専用の求人誌「Chance!!」がある。
 創刊したのは三宅晶子さん(51)。商社を辞めて2018年に1人で立ち上げ、今春で5年目。これまでに214人の就職内定につながり、62人が仕事を継続している(5月11日現在)。求人誌は年4回発行し、毎回約25社を掲載しているが、課題は求人側の企業がある地域が限られ、出所者の居住地に募集がない場合が多いこと。三宅さんは「47都道府県の企業を掲載することが今年の目標」と話す。(共同通信=今村未生)

 ▽罪状を記入する専用の履歴書

 求人誌「Chance!!」は約3千部を全国の刑務所のほか、少年院や保護観察所などに無料で配布。専用の履歴書には非行や犯罪歴を書く項目がある。通常の就職活動と異なり、服役の事実を隠したり、うそをついたりする必要はない。
 履歴書には再犯をしない決意を記す欄もある。漢字が読めない受刑者もいるため、全ての漢字にルビがふられている。企業側も、職場の雰囲気が伝わるよう、社長の顔写真を添付するなど工夫を凝らしている。採用面接は、刑務所や拘置所、少年院内でも可能だ。

刑務所の出所者らを対象にした求人誌「Chance!!」。専用の履歴書には非行や犯罪歴を書く項目がある

 今年3月発行の22年春号には、茨城や京都、鹿児島など13都道府県の24社が求人を出してくれた。三宅さんは、受け入れに慣れている企業のやり方を聞く勉強会を開催し、起業が雇用を継続できるよう手助けもしている。
 行政の後押しもある。1月には法務省矯正局が「求人誌など社会復帰に役立つ情報を受刑者に届けるように」との指示を各施設に出した。

 ▽つらい過去が価値として輝く可能性

 三宅さんは10年務めた東京の商社を14年に辞めた。脱サラしたのは「社内試験が嫌になった」ためだ。仕事を頑張っても、試験で良い結果を残さないと昇格や昇給しない仕組みに疑問を覚え、ストレスを感じるようにもなったという。
 退社後、三宅さんは「生きづらさを抱えた人たちに接してみよう」と考え、都内にある出所者支援団体を訪れた。そこで出所者の厳しい現状を知り、衝撃を受けた。
 所持金が少なく、帰る家もない。住所がないから、職に就けない。「刑務所なら布団があり、3食食べられる。自ら事件を起こして入る人が非常に多いと聞いた」。初めて“社会”を知ったという。
 支援団体を訪れる前には、鹿児島県・奄美大島の自立援助ホームで、16日間のボランティアを体験した。そこで出会ったのは、当時17歳の少女。施設で15年以上過ごしていた。両親から育児放棄と虐待を受けたためで、腕にはいくつものリストカットの痕があった。
 少女はその後、窃盗事件で少年院に入ったが、手紙と毎月の面会で交流が続いた。退院したものの、少女が帰る先は「悪いことをしていた場所」しかない。三宅さんが身元引受人になった。
 少女と接し、ボランティア活動を続ける中で、三宅さんは一つの可能性に気付いた。「彼女たちは過去があるからこそ、似たような立場の人に親身に接することができる。その過去は価値として輝くのではないか」。自分が少女のような境遇の人の背中を押せる何かを始められたら。そう考えるようになった。

 

受刑者と話す三宅さん=2月、前橋刑務所

 15年7月に会社を設立し、非行や犯罪歴がある人専用の職業紹介業を始めた。会社のホームページで事業について案内していたが、応募は少なかった。検索してたどり着けるのは、スマートフォンやパソコンを所有し、ある程度使いこなすことができる人だけだからだ。
 本当に困っている人のためになっているのかと自問した。やがて資金も底を突き、求人誌の発刊にかじを切った。掲載料で運営し、発行を重ねられるようになった。

 ▽「優しい社会であるために、想像してほしい」

 課題は多い。内定者は200人を超えた一方で、すぐに辞めてしまう人も少なくない。三宅さんは「(出所者の)価値観や捉え方が逮捕前と変わらないと、同じ事が起きる可能性が高い」とみる。
 教育の大切さが身に染みた。このため、出所前の受刑者に対する講座を今年から前橋刑務所(前橋市)などで始めた。人によって違うものが見える絵などを用いて「物事の見方をちょっと変える」ことを考えてもらう試み。「続けることで、少しでも種まきができたら」と話す。
 三宅さんがいつも心に抱いているのは「優しい社会であるいいな」という思い。人々にはこんなことを想像してほしいと思っている。「虐待や、今日食べる物もない家庭など、すさまじい環境に生まれる人がいる。私たちだって災害や病気、この先何が降りかかるか分からない。事件を起こさずにいられることに感謝できているだろうか。それを想像できたら、受刑者の人たちへの見方が少し、変わるのではないか」

 ▽母親に盗みを指示された少年時代

 求人誌「Chance!!」を通じて就職し、今も働き続けている男性(33)に話を聞いた。男性は「拾ってくれた会社の社長の存在が、再犯を踏みとどまらせてくれている」と話し、そのきっかけをくれた三宅さんへの感謝の気持ちも明かしてくれた。
 男性は千葉県松戸市で生まれ、両親が離婚後、母親の実家がある沖縄県に移り住んだ。小学5年のころ、母親がギャンブルにのめり込むようになり、交際相手ができると家にも入れてもらえなくなった。初めて犯罪に手を染めたのは中1。ゲーム機を盗んだ。盗みを指示したのは母親だった。 

 生活費目的で窃盗をし、17歳の時に当時は沖縄市にあった沖縄少年院(現糸満市)へ。以降、母親とは連絡を取っていない。仮退院し、19歳で沖縄県を離れた。弁護士に「悪さをするから県外で働きなさい」と言われたのが理由で、以後は派遣の仕事などで群馬県や広島県を転々とした。

 ▽長野から福岡まで面接に来た社長に「幸せになって」と言われた

 初めて服役したのは28歳。盗んだ携帯端末を売った罪で山口刑務所(山口市)に入った。出所後、今度ははんこを偽造した私印偽造罪で21年2月まで福岡刑務所(福岡県宇美町)に収容された。
 

「Chance!!」を通じて就職し、今も働き続けている男性(33)

 刑務作業の振り分けのため実質的には飯塚拘置支所(福岡県飯塚市)で服役していた際、刑務官に紹介され、初めて求人誌の存在を知った。
 当時、約5カ月後に出所を控えていた男性は、長野県須坂市の建設会社「青葉組」に応募した。「社員数が少ないのがいい」と考えたためだ。
 すると、新型コロナウイルス禍のまっただ中であるにもかかわらず、社長の青木佳久さん(54)が妻を連れ、長野県から福岡県まで車で面接に来てくれた。青木さんに「幸せになってほしい」と声を掛けられ、受け入れてもらえることになった。

 ▽「辞めようと思うたび、社長や三宅さんの顔を思い浮かべた」

 入社から数カ月間は人間関係のトラブルもあって、何度も辞めようと思った。「(また悪事を働けば)1カ月で100万、200万つくれる。刑務所に入る犠牲を払えば、金はいくらでも稼げる」という考えも頭をもたげたが、そのたびに青木さんや三宅さんの顔を思い浮かべ、地道な生活を失わないようにと踏ん張ってきた。
 今年2月、働き始めて丸1年が過ぎた。責任ある仕事も任されるようになり、7・5トン未満の車を運転できる準中型免許など、必要な資格も取らせてもらった。ただし、その費用は給与から天引き。「借金地獄です」と笑う表情に充実感が漂う。
 現在は自らの経験を踏まえ、求人誌を見て就職を希望してくる出所者の採用も担当している。
 「更生って何ですかね。罪は消えない。犯罪をしないからといって、それだけで更生したということでもない。三宅さんや社長を裏切らないことしか考えていない」という言葉に実感がこもる。
 社長の青木さんにも話を聞いた。求人誌の存在は、ラジオで偶然、耳にして知ったという。「建設業は人が集まりにくいから、求人を出してみた。当初は出所者の受け入れに否定的だった妻も、彼との出会いで考えが変わった。刑務所に入る人間も十人十色。道を間違えても環境次第でやり直せる。いい出会いがあると人生が開けてくると思う」

 ▽出所者の受け入れ先、「雇用主」はまだまだ少ない

 犯罪白書によると、2020年に刑務所や拘置所などの刑事施設から出所した人は約1万9千人。うち仮釈放された約1万1千人の受け入れ先は、更生保護や社会福祉施設が最多の計約3800人で、ついで親(約3700人)、配偶者(約1100人)の順だ。
 満期出所者約7400人でみると、受け入れ先は親の約千人が最多。一方、雇用主が受け入れたケースは仮釈放で約250人、満期で約220人だけだ。
 刑事施設の収容人数は平成に入った1989年以降、2006年の約8万1千人をピークに減少が続き、20年末時点では約4万6千人となっている。

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