「私の今」は中国人労働者のおかげ―米国人教授が19世紀の大陸横断鉄道建設を語る

© 株式会社 Record China

米国で大西洋沿岸と太平洋沿岸を結ぶ最初の大陸横断鉄道が完成したのは1869年だった。建設工事には多くの中国人が従事した。事故による死傷者も多く出た。彼らはなぜ、そのような仕事に就いたのか。米スタンフォード大学で中国人労働者が北米大陸の鉄道建設で果たした役割を研究するシェリー・フィッシャー・フィシャキン教授はこのほど、中国メディアである中国新聞社の取材に応じて、当時の鉄道建設工事に従事した中国人労働者について語った。以下は同教授の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

■初の米大陸横断鉄道の建設で、主力になった中国人労働者

中国人が米国西部にやってきたのは、ゴールドラッシュの影響だった。彼らは一獲千金を夢見て採掘の仕事をしたり、あるいは食堂やクリーニング店を営んだ。

1865年ごろになると、白人労働者は極度に厳しい鉱山の仕事よりも鉄道建設の仕事を望むようになった。中国人労働者が鉄道建設の仕事をする場合には、白人労働者よりも賃金が安く、おまけに特別な税が徴収されたが、大勢の中国人がセントラル・パシフィック鉄道が進めた大陸横断鉄道の西部分の工事に従事した。

米国にいた中国人だけでは労働力が不足したために、広東省で大量の労働者が募集された。1867年2月には中国人労働者約8000人がトンネルの掘削の仕事をしており、約3000人が線路敷設などに従事していた。中国人の労働力はセントラル・パシフィック鉄道が投入した全労働力の90%を占めた。

広東省から多くの中国人がやって来た理由は貧困から脱出するためだった。鉄道工事に従事すれば30ドル程度の月給をもらえたが、故郷で農業に従事していも、1年をかけて得られる金銭は米ドル換算で8ドルから10ドル程度だった。彼らは家族を養うために稼ぎたかった。

大陸横断鉄道の建設は難工事であり、労働環境は想像を絶するほど劣悪だった。夏になれば猛暑に見舞われる。山間部の場合、冬には雪崩が発生して命を奪われる危険があった。工事は機械化されておらず、労働者は粗末なシャベルやつるはしを使った。特にシエラネバダ山脈の地勢は険しく、中国人労働者が爆薬を仕掛けて固い花崗岩を破壊して掘削した。

中国人労働者は12-30人のチームになって、共に働き共に生活した。彼らは日が出ると仕事に行き、暗くなると宿舎に戻った。彼らは米飯を食べた。それ以外の食材には乾燥した野菜や海産物があり、豚や鶏も食べた。彼らは茶も好んだ。つまり故郷の食文化を維持していた。たまには皆で酒を飲むこともあった。

■単に従順だっただけではない中国人、憤りを「爆発」させたことも

セントラル・パシフィック鉄道は中国人労働者を評価していた。同社幹部のチャールズ・クロッカー氏は米連邦議会に対して、中国人は白人よりも「信用でき安定している」と証言した。

同社のリーランド・スタンフォード社長も大統領に宛てた手紙に、中国人労働者は鉄道建設の主たる労働力であり、彼らなしに米国史上で最も偉大なプロジェクトを期間内に完成させることはできないと書いた。

鉄道建設で長年に渡り苦しい仕事に懸命に取り組んだ中国人は、米国社会で称賛を勝ち取った。しかし鉄道完成後の1870年代に不況が発生すると、低賃金で仕事をする中国人は白人労働者から仕事を奪う存在と見なされた。人種差別が発生し、米連邦議会は1882年に中国人移民排斥法を成立させた。

中国人労働者は従順だと言われているが、彼らの憤りが限界に達したことはある。1867年6月には、トンネル内で発生した爆発事故で中国人5人と白人1人の命が奪われた。その5日後には鉄道工事に従事する中国人労働者3000人がストライキを始めた。

このストライキは極めて組織的で統一が取れていた。3000人もの労働者が目標や具体的な応急、行動時間などで一致していた。また彼らには、会社が労働力をどうしても必要としていることが、自分たちの「カード」になるとはっきりと認識していた。

白人労働者はもともと、優遇されていた。白人労働者は中国人労働者の2倍以上の賃金をもらえ、しかも中国人労働者とは違って食事や宿泊は無料だった。セントラル・パシフィック鉄道が中国人労働者に払った月給は、最初は26ドルだったが、より多くの労働力を確保するために、1867年の爆発事故の直前までに、月給は35ドルに引き上げられていた。

中国人労働者側は、白人との待遇の差別撤廃を最終目標にしていた。会社側も中国人側の要求に応じていった。ストライキ終了後には、外部に漏れないようにして中国人労働者への給料を引き上げることもした。また、砂漠地帯の鉄道建設では、酷暑の中で働く中国人労働者全員にボーナスが支給された。

■研究者である私自身もかつての中国人労働者の恩恵を受けている

米国初の大陸横断鉄道は、ユタ州プロモントリーで1869年5月10日に、セントラル・パシフィック鉄道が西から進めてきた路線と、ユニオン・パシフィック鉄道が左から進めてきた路線の線路がつながったことで完工した。

1869年の式典で中国人労働者は無視されたが、鉄道完成150周年の式典に米国華人コミュニティーの歴史の研究者である中国系米国人のコニー・ヤング・ユー氏が講演したことで、かつての中国人労働者が再び注目されることになった。この式典には多くの中国人労働者の子孫が出席した。

この鉄道については、私個人との関係もお伝えしたい。大陸横断鉄道の出現により、セントラル・パシフィック鉄道は大きな利益を上げることになった。リーランド・スタンフォード社長も莫大な富を得た。このスタンフォード社長が私財を投じて設立したのが、私が勤務するスタンフォード大学だ。スタンフォード社長が得た富は元はと言えば、中国人労働者の懸命な労働によって創出されたものだ。

もちろん、恩恵を受けたのは私だけでない。中国人労働者の奮闘は「米国人全員の一生を形成することを助けた」のであり「今日の米国が形成されることを助けた」のだ。

だから私は当時の中国人労働者を多角的に研究することで、彼らが経験したことを再び見出し、彼らの人生の意義を再確認し、封印されてきた歴史を少しずつでも世に知らせたいと考えているのだ。(構成 / 如月隼人)