<南風>見えない「敵」がいる

 札幌は新緑がまばゆい季節だ。近くの森林公園ではたくさんの野鳥がさえずり、とてもすがすがしい気分で散策できる。そこは人々の憩いの場でもある。と言っても広大な森林公園では人が列をなすことはなく、時折すれ違う程度だ。

 けれど森を歩く人の多くはマスクを着けている。直感的に、森にコロナウイルスが浮遊していると思えない。ではマスクは何からの防御だろう。きっと“敵”はコロナではなく「他人の目」。いわゆる「同調圧力」が森の中にまで存在する。

 良く言えば協調的な日本人。それは時に大きな利点になる。だが全体の目指す方向が間違っていたら一丸となって過ちへと進む。仮に皆が「おかしいかも」とうすうす感づいても同調圧力が強い集団では異論は出にくい。結果、暴走を止める機を逃し続けてしまう。

 いま私がその危機感を感じているのが温暖化対策そのものだ。もし仮に、慶良間のビーチややんばるの森に巨大風車が林立したなら、再建される首里城の屋根がソーラーパネルだったら、「温暖化対策だ」と容認できる人はいるだろうか。その風景を想像し違和感や反発を覚える人の方が多いのではないだろうか。

 決して世界遺産や国立公園だけが重要な生態系ではない。しかし現実社会の再エネへの同調は、特に先進国では強く、身近な自然は急速に変容している。同調圧力の強い日本では異論はほぼ出ない。他方、森林は人類が実験するまでもなく大量の二酸化炭素を固定する。地球温暖化を抑制する存在なのだが、資本をあまり潤さないと思われているのが実情だ。

 ちなみに、私は森林公園に入ると基本的にマスクは外す。そうでないと森の木や花の香りが分からない。沖縄の森や海でも同じだった。潮の香りを感じて、初めて海辺の自然の中にいることを感じられたからだ。

(河原恭一、札幌管区気象台(前沖縄気象台)地球温暖化情報官)

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