2010年、ドラマ『クローン ベイビー』(TBS)で俳優デビュー後、多くのドラマ、映画、舞台に出演、近年では、田中みな実主演映画『ずっと独身でいるつもり?』(2021年)などの話題作に出演する俳優・稲葉友の初主演映画『恋い焦れ歌え』が、2022年5月27日(金)より公開となる。
主人公である小学校臨時教員の国語教師・桐谷仁(稲葉)の身に突如降りかかる事件をきっかけに深まる、謎の美青年KAI(遠藤健慎)との不思議な関係性と愛が描かれる本作。『プリテンダーズ』(2021年)などで知られる熊坂出監督が作り出す画面には、数々の映画的瞬間が散りばめられ、見逃せない。
「これが自分の代表作になってほしいと思える作品」と話す稲葉さんに、初主演作に込めた並々ならぬ思いや独創的な撮影現場での秘話を聞いた。
「作品を背負う責任をひしひしと感じています」
―長編映画初主演となりますが、どんな心境ですか?
「初主演だ」ともちろん考えましたが、それ以上に、この作品に挑むことの重大さが勝っていました。作品の情報が解禁されるたびに、「長編初主演か!」と、この作品を振り返る中でじわじわ後からやってきた感覚です。とても光栄ですけれど、一方でどこかまだ自覚しきれていません。
―脚本を読んだ時点では、まだ実感はなかったですか?
そうですね、後からきたプレッシャーなので(笑)。これまで他の俳優さんの主演作品で舞台挨拶にも出させていただきましたが、作品を背負う責任をひしひしと感じています。
―撮影が終わり公開が近づく今、さらに実感が強くなってきていると思います。稲葉さんの連載エッセイ「話はかわるけど」の第172回「恋い×焦れ×歌え」は、気持ちが溢れんばかりの小説のような文体が印象的でした。
この作品を語ることについて、自分の中でこんがらがっているんです。エッセイやインタビューで語ることも必要ですが、何より映画館で観ていただくことの情報量の大きさを届けたいので、映画の詳細を語るのは違うなと。それで、エッセイの自由度に甘えて、自分の家で語っているような文章になりました。なるべく予備知識なく、ゼロの状態で、やっぱり自由に観てほしいんです。
―あれだけ自由で開かれたエッセイを書かれてしまったら、インタビューでは何も聞けないなと思いました(笑)。
いえいえ! こういう場でお話したいがためのエッセイでもありますので(笑)。
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「熊坂監督の言葉が“感情の流れ”を解放してくれました」
―俳優さんの演技を、よく「自然だ/ナチュラルだ」と言うことがあります。例えば、田中みな実さん主演映画『ずっと独身でいるつもり?』で、稲葉さんが演じた主人公の婚約者・公平役は、まさに自然な演技でしたが、一方で単純にナチュラルだと評する以上の現実味があったように思います。今回の桐谷役は自然な演技を飛び越えた生々しい演技ですが、稲葉さんは自分の演技を自然だと考えることはありますか?
「自然」とは、あまり考えないかもしれません。順を追ってみると、『ずっと独身でいるつもり?』で演じた公平役は、多少のデフォルメが必要でした。それは動きや表情ではなく、内面のデフォルメです。自然に演じよう、大げさに演じようとはしていません。もっと公平に強く言わせようという目的を持っていれば、外から見ると大げさに見えるかもしれません。
コメディでは、何かを真剣に隠しているからこそ滑稽に映ります。けれど、それは「(演技の)スケールを小さく」といったような、監督さんのディレクションとしてのニュアンスだと思います。僕は演じる側なので、外の面はお任せしつつ、大げさな動きをするためには、何をもって大きく見せるのかを考えています。
公平という役柄は、誰かのどこかにひっかかる嫌な“かえし”が付いた人物で、隣人のような感覚で観た人がそれぞれ身近な腹立たしさを感じるので、「自然だ」と思う方が多いのかもしれませんね(笑)。
―俳優は内面をつくり、演出部が外面をつくるということですね。『恋い焦れ歌え』では、熊坂出監督とどんなやり取りがありましたか?
僕自身の“置き方”です。僕は仁を演じる上で、感情の流れを気にし過ぎていました。すごくつらい体験をしている仁は、物事に対して“こうなるだろう”と因果関係で決めつけてしまうところがありました。それを、リハーサルでの「稲葉友でいてくれ」「もっと目の前の人でいいんだよ」という熊坂監督の言葉が解放してくれました。
―最初は仁のトラウマについて考え続けたわけですか?
はい、とらわれてしまいました。そこをうまく熊坂監督が誘導してくれながら、バランスを取ってくださいました。
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「ドキュメンタリーのような撮影現場」
―熊坂監督が作られるスクリーンの中の世界観が素晴らしかったです。
すごいですよね。
―教室の壁に貼られた書道の半紙が、窓から吹き込んだ風で一斉に靡く瞬間など、桐谷の周りの日常にはぞくぞくするような映画的瞬間がたくさん散りばめられていました。
そうですね。やっぱり熊坂監督はそういった造形がすごい。監督とよく組まれているカメラマンの南幸男さんはドキュメンタリー作品をたくさん撮られていて、独特のカメラワークをされます。南さんは自由にカメラを回し、思わぬところにカメラを向けて、その場にいる人間を捉えるんです。監督の演出の意図にプラスして、撮影部としての意見というより、南さんが向きたくなったところを撮られている感じでした。それはもちろん、監督が南さんを信頼しているからできることです。だからこそ、俳優が映っていない場面でもハッとするようなショットが多い作品だと思います。
―南さんがカメラを突然振ったりすることがあるんですね?
そうなんです。撮影スタッフは、南さんがどこにカメラを振ってもいいように気をつけていました。撮影前に、南さんに「僕のことはいないものだと思ってください」と言われて、びっくりしたんです(笑)。最初は段取り通りに決まったカメラポジションを認識していますが、カメラが回っている間に、段々と南さんが溶けていくというか、カメラが気にならなくなってくるんです。
―フレームのサイズは当初の段取りからは変わってくるわけですもんね。
そうですね、すごい経験でした。ドキュメンタリーのような撮影現場でした。
―半紙の揺らめきにはエドワード・ヤン監督の『台北ストーリー』(1985年)への目配せを感じましたが、やっぱりそうだと確信する大写真の一枚一枚が揺らめく中、挑発に乗ってではなく、自分の意志でステージに上がる二度目の追悼のラップ場面は、ドキュメンタリー的でしたね。
単純に歌っている人間だけでなく、その時の空や聴衆が捉えられています。カメラの位置を思い返しても、回っているときに南さんがどこにいたのか、覚えていないんです。熊坂監督に「南さんは妖精みたいだよ」と言われて、「こういうことか。本当だ、カメラの妖精だ!」と思いました。そういう意味でも、映像として興味深い作品だと思います。普通ならあり得ない難しい手法ですが、この組ならではの信頼感だったと思います。
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「これが自分の代表作になってほしいと思える作品」
―先ほどのエッセイで「稲葉友個人の思い出よりも役の記憶がフラッシュバック」と書かれています。演じた役の体験が実体験に重なるのは“メソッド演技”を思わせたりするのですが、桐谷役へのアプローチはどのような体験でしたか?
むしろメソッドをうまくできていたら、こういう気持ちにはなっていなかったと思うんです。全身をベットした分のしっぺ返しというか(笑)。そこはもっと良いやり方があると思います。自分の記憶の中から引っ張り出してきて、演技の要素に使うことはありますが、今回は役で溢れたものが、自分の中にも沁み入ってしまったというか。エッセイにも書きましたが、インタビューなどの場で喋ろうとした時に言葉が胸の中でぐっと詰まるという感覚は、そのことです。
―撮影中の日常生活がつらかったということはなかったですか?
そういうことでもないんです。インタビューで、仁が受けた暴力シーンについて話をしようとした時に、どの言葉を選べばいいのか、自分の頭と心でびっくりするくらいストッパーがかかるんです。こんなに映画のことを話したいと思っているのに……。
自分の身にふりかかった性暴力について、人に話したり、警察に行くことはとても勇気のいることで、妻に話すという選択も同じです。そういう経験をすると、人はきっとトラウマになって、誰かに話すのも大変になるだろうなという認識がありました。それが余波として残ってしまったんだと思います。でも、今はいい折り合いが見つかっています。
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―ある役柄を演じたことでによる過酷な体験を伺って、勝手にメソッド演技だと思ってしまったのですが、最後の場面などは『タクシードライバー』(1976年)のようでした。桐谷は、ロバート・デ・ニーロが演じたトラヴィスとはもちろん性格的に異なる人物ですが、それでもトラヴィスを彷彿とさせる桐谷のヒロイズムというかヒーロー像は、結局のところどんなものだったのでしょうか?
仁には、他に選択肢がありませんでした。彼がああいった行動を取ることには何の不自然もなくて、そこに踏み出してしまう心と身体や、KAIへの思いが強烈なものだったからです。自然とその選択肢が浮かんで、そうすることでしか守られない愛があった。法律では守れない愛。そうなるべくしてそうなったのだと思います。
―本作は、現在の稲葉さんにとってどんな作品になりましたか?
すごく深く、根強く、繋がれた作品でした。作品自体がとても大事な一本であると同時に、これが自分の代表作になってほしいと思える作品と出会えました。なかなか出会えないパワーのある作品なので、この作品が公開されることに意義があると思います。胸を張って、色んな人に言って回りたい作品です。
―実は本作を観た日の晩は、なかなか眠れなくなってしまいました。
この作品を観た後では、絶対に街の景色が変わると思うんです。映画でも演劇でも、箱に閉じ込められた後に、出ていく街の景色やニュアンスがすごく変わって見えるのが好きです。そういう体験を含めて、ぜひ映画館で観ていただきたい作品です。
取材・文:加賀谷健
撮影:落合由夏
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