尾道市街地の南方に位置する向島(むかいしま)は、尾道水道を行き来する渡船(フェリー)に4分〜6分ほど揺られると到着する島です。
尾道渡船で向島側に渡って10分ほど歩いた場所に、おしゃれでかわいい文具のセレクトショップ「クリの文具」があります。
実はここ、文具店でありながら向島の魅力を発信しているフリー情報誌の編集室でもあるんです。
「クリの文具」の店主・栗本綾子(くりもと あやこ)さんは、2014年に誕生したフリー情報誌『Sima-sima(しましま)』の制作発行も一人でこなしています。
文具店のことや『Sima-sima』の制作のこと、さらに島への想いを聞いてきました。
日常にちょっとしたときめきをくれるような文具が並ぶセレクトショップ・クリの文具
『Sima-sima』の前に、まずはクリの文具を紹介します。
クリの文具は、小さいころから文房具好きだったという店主の栗本綾子さんがオープンした文具のセレクトショップ。
現在は東京・吉祥寺の文具店「36 Sublo サブロ」「水縞」の商品を中心に、クリの文具オリジナルグッズや子どもが使って勉強したくなる文具が並ぶ、文具好きの心をくすぐる空間になっています。
はじまりは自宅の靴箱の上で始めた「小さな文具屋さん」
「文具が大好きで文具屋さんにずっと憧れていました」。
栗本さんにオープンのきっかけを聞くと、やりたいことは、どんな形であれとにかくやってみようと、なんと最初は玄関の靴箱の上にお気に入りの文具を並べた「小さな文具屋さん」だったそうです。
家の中での小さなお店だったため、主なお客さんは栗本さんのママ友達や知人だったのだとか。
こうして自宅でひっそりとやっていた小さな文具店を経て2018年5月、実店舗であるクリの文具がついにオープンしました。
もともと義理のおじいさんが建てた3軒の空き物件があり、活用するべくあれこれ模索していた栗本さん。
そんなタイミングで同じ想いが通じる仲間との出会いに恵まれ、この付近に新しい場作りをすることに。
そして空き店舗の1軒は「gnomes『ノームズ』アトリエとキッチン」というレンタルスペースに生まれ変わりました。
電気店だった店舗は、関東からの移住者である内装屋さんに壁と天井をペンキで塗ってもらい、床は電器店だったときのまま。
なんとも味のある空間に、クリの文具が誕生しました。
道路を挟んだ向かいには、栗本さんと一緒に場作りを進めてきた瀬戸房子(せと ふさこ)さんが主宰する私設図書館「さんさん舎」があります。
ほかにもこの一帯の通りにはここ数年でおしゃれな古着屋や美容室もオープンし、今後のにぎわいに期待が高まりますね。
「この島で出会ったご縁ある人々と一緒に一つひとつ想いやストーリーを積み上げてきました」。
栗本さんはこれまでを振り返り、そう語ります。
向島のワクワクする情報がこれでもかと詰まったフリー情報誌『Sima-sima』
『Sima-sima』は「島民による島の情報マガジン」として2014年に創刊した情報誌。
「フリーペーパー」というにはあまりにも充実した24ページの冊子には、島の情報がもりだくさん。
およそ年に1回、11〜12月ごろに発行されており、2022年5月現在はvol.8が最新号です。
「しまなみ海道はテレビや雑誌でよく取り上げられるのに、向島はまったく紹介してもらえない。自分たちで発信することはできないか」。
『Sima-sima』を作ることになったきっかけは、向島で自営業を営む知り合いのそんな一言でした。
向島は素敵な場所なのに、地元の人から見た向島は「何もない島」――そんな想いのギャップから、栗本さん自身も向島の魅力を島の人に気づいてもらいたいと考えていたそうです。
「創刊号ができて配ったところ、『向島が印刷されている冊子なんて見たことがない。うれしい』と大喜びしてくれる人があらわれて、心から作って良かったと思いました」。
そんな『Sima-sima』の制作過程や島への想いについて栗本綾子さんに聞きました。
『Sima-sima』編集長&クリの文具店主の栗本綾子さんにインタビュー
──私は尾道への移住前に『Sima-sima』を読んだことで、向島にあるお店や人の魅力を知りました。現在vol.8まで発行されている『Sima-sima』ですが、毎号どれくらいの部数を作っているんですか?
栗本(敬称略)──
ありがとうございます!
『Sima-sima』創刊号は2,000部刷って、それ以降は年に1回、5,000部程度発行しています。
保管しておいて何度も読みたくなる冊子にするという想いと、途中、折らなくてもかばんに入れやすいサイズに変更しました。
──『Sima-sima』はどこで手に入りますか?
栗本──
取材させてもらったことのある向島の店舗や、尾道市街地側ではいっとくグループさんのお店に置かせてもらっています。
ときどき、向島から旅立つ人に託して、大阪や東京などにも置かせてもらうこともあります。
ありがたいことに「どこで手に入るの?」という問い合わせも多かったので、クリの文具に行けば『Sima-sima』が手に入るようここは「編集室」の役割も果たしています。
──栗本さんと向島(むかいしま)の縁について教えてください。
栗本──
私はもともと大阪で育ち、大阪の短大(国文科)を卒業しました。最初の就職先も関西です。
学生時代にバイト先で出会った彼(夫)の実家が向島だったので、24年ほど前に遊びに来たのが向島との出会いです。
その後、尾道への転居、結婚、出産を経て、約20年向島で暮らしています。
ただ愛媛の松山に祖母の家があったので、瀬戸内は小さい頃からよく船で行き来していましたよ。
父は実家で採れたみかんを売る果物屋を大阪でしていたので、私はみかん箱の中でよく遊んでいました。
瀬戸内海は私の原風景ですし、この環境は自分に合っていると感じます。
──『Sima-sima』をすべて一人で制作していると聞いたときはとても驚いたのですが、デザインや取材、印刷物の発行などについてはどうやって学びましたか?
栗本──
出版や印刷に興味があり、ご縁があったので、短大卒業後は製鉄所内の印刷物を制作する仕事に就きました。
製鉄所内で使用する印刷物や看板を作る部署があったんです。
それまでデザインの勉強をしてきたわけではありませんでしたが、ポスターやチラシを制作しながら実践的に修得しました。
好きに制作物を作らせてもらえる環境で、しかも社内のかたに喜んでもらえたので楽しかったです。
──最初に勤めた会社でデザインをされていたのですね。
栗本──
そうなんです。そして大阪から向島へ移り住むことになって、次は福山にある広告・印刷会社に就職し、本格的にデザインを学びました。
仕事は終電が当たり前になるほど忙しかったのですが、ここでの経験がすべて『Sima-sima』の制作に活きていると言っても過言ではないくらいさまざまなことを学びました。
──広告・印刷会社って多忙なイメージです……。そのころの経験は、たとえばどんなことが今に活きていますか?
栗本──
新聞の折り込みチラシから地域のフリーペーパーまでいろいろな制作物を作ってきたので、所在地を示すためのマップ作りは得意になりましたね。
また、まだ誌面の情報が入っていない状態のいわゆる”ダミーデザイン”もたくさん作ってきました。
ダミーデザインとは、誌面のイメージに合った仮の文章・写真を使ってそれらしく仮組みしておくものなんですが、『Sima-sima』の完成イメージを島の人に伝える際に、このダミーを作れるスキルはとても役立ちました。
──『Sima-sima』は、最初からvol.2以降も発行しようと考えていたんですか?
栗本──
創刊号の制作中に、今や向島の人気スポットとなった立花食堂さんやUSHIO CHOCOLATLさんがオープンしたんですが、誌面が埋まってしまって載せられなくて。
だったら次の号も作ろう。
そんな感じでvol.2以降も作ることになりました。
──アイデア(企画)出しから発行までの流れを教えてください。
栗本──
普段の生活のなかで感じたことや知った情報から一番伝えたいことを選び、そこに少しずつエッセンスを肉付けしていくようなイメージで作っています。
『Sima-sima』の良いところって、私自身がこの島で生活しながら作っていることだと思うんです。
栗本──
企画が決まったら掲載したい場所1軒1軒に取材をお願いして、主婦業や仕事の合間に少しずつ取材を重ねています。
取材や執筆、デザインはほぼ同時進行で行なっていますね。
データが完成したら印刷所にお願いして刷ってもらい、完成です!
──『Sima-sima』への想いを教えてください。
栗本──
よく「観光用ですか?」と聞かれますがそうではなく、向島に住む人たちに「良いね!」って喜んでもらいたくて作り始めたのが最初です。
個人的にはとても良い島だと思っているのに、地元の人は「大阪みたいな都会からこんな何もない島へよく来たね〜」と言うんですよ。
「向島、めっちゃ良いところなのに」と、とても残念だったんです。
栗本──
最初は「なんでそんなことするん?」なんて島の人から言われることも多くて、誰もが取材やこの取り組みをよしとしてくれるわけではありませんでした。
でもその都度、1回1回納得してもらいながら、ていねいにていねいに作ってきました。
『Sima-sima』の-(ハイフン)には、人やモノをつなげられる情報誌でありたいという想いを込めています。
──『Sima-sima』の反響はいかがですか?
栗本──
フリーペーパーなのでいわゆる“バズる”わけではないのですが、じわじわと反響はいただいていますね。
『Sima-sima』を頼りに向島観光に来てくれる人もいますし、「『Sima-sima』を読んで向島に住みたいと思いました」と言ってくださる人も増えました。
栗本──
せっかく想いを込めて大切に作っているので、簡単にゴミになってしまうようなものではなくしっかりとした作りの冊子にしたいと思い、今の形になりました。
長く大事に取っておいてもらえたらうれしいですね。
──今後の展望について教えてください。
栗本──
区切りとして、vol.10まで発行することが今の目標です。
お話したように、これまでは企画・営業・取材・撮影・執筆・発行までずっとすべてをほぼ一人でやってきました。
自分が作りたかったものを自分が作りたいように作ってきたので、良い意味でも悪い意味でも私のカラーが濃いんですよ。
でも今後は、もっとほかの人を制作に巻き込んでいくのも面白いかなと思えるようになりました。
栗本──
これまでもよく「法人化したら?」「補助金を申請したら?」「クラウドファンディングをやったら?」などのお声がけをいただくことがありました。
でも、“島の人が作る、島のための情報誌”にしたかったから、外部から支援を募るのは少し主旨がずれてしまう気がしていたんですよ。
ただ、この後のことは少し考え中です。
ありがたいことに向島に関するさまざまな問い合わせをいただくようになったこともあり、これからは法人化に向けても模索しているところです。
──移住希望者に空き家を紹介する、空き家バンクのような取り組みも始められたと聞きました。
栗本──
そうなんです。向島の情報がここに集約されていると思ってくださるかたからの問い合わせが、ここ数年でかなり増えました。
最初は島の人に向けて発行してきたフリー情報誌でしたが、縁あって向島の観光客や移住希望者のかたも『Sima-sima』を頼りにして来てくださるようになったんですよね。
現に『Sima-sima』のような情報誌は向島にありません。
空き家の紹介に限らず、ここに来たら向島のことがわかるような、そんな情報発信基地でありたいです。
おわりに
「向島の人に島の良さを知ってほしかった」。
その軸を大切に創刊された『Sima-sima』の編集室を訪ね、クリの文具におじゃましました。
向島の魅力は、島民だけにとどまらず、今や島外の多くの人に届いています。
これまで栗本さんが大切に耕し種まきをしてきたこの土壌に、ポツリポツリと芽が出るように。
これからも、向島は多彩な魅力がどんどん咲き誇る島になっていくでしょう。