ポリスのドキュメンタリー『Around The World』とスティングのインタビュー

ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第60回。

今回は2022年5月20日に発売となった、ポリスによる1979~1980年に行った初ワールド・ツアーのドキュメンタリー『Around The World』のリストア版について。

___ 

ポリスのドキュメンタリー

1980年2月にスタートしたワールド・ツアー『Around The World』を収めたポリスのドキュメンタリー映画をリストアして追加映像を収録したエクスパンデット版がBlu-ray+CD、DVD+CDでリリースになりました。

このドキュメンタリーは、1978年『Outlandos d’Amour』が、全英チャート6位に輝き、「Roxanne」「Can’t Stand Losing You」のヒットを生み、翌年にリリースしたセカンド・アルバム『Reggatta de Blanc』が、初のナンバー・ワンとなり、「Message In A Bottle」「Walking On The Moon」といったワールドワイドヒットを引っ提げてのツアー。まさに破竹の勢いで世界のトップに躍り出ようとする、そんな若き3人の姿が描かれています。

「全英トップ20」とポリス

ラジオ日本(当時ラジオ関東)で、湯川れい子先生の「全米トップ40」の姉妹番組として、大貫憲章さんとの「全英トップ20」がスタートしたのが1979年10月。ちょうど、70年代を代表するブリティッシュ・ロック、そしてパンク・ムーヴメントを受け継いだ新しい世代による音楽が生まれた時でした。

番組の第一回目の放送では、ポリスの「Message In A Bottle」をナンバー・ワン曲として紹介したのが懐かしい思い出です。シンセ・ポップ、ニューロマンティックといったサウンドが、80年代前半に台頭するブリティッシュ・ミュージック・シーンの中にあって、ポリスは、ロックとレゲエとジャズの影響を受けた楽曲で、私たちの耳に新鮮な音を届けてくれました。

初のワールド・ツアー『Around The World』の皮切りは日本でした。ドキュメンタリー映画では、いきなり来日シーンからスタートします。当時、「全英トップ20」では、今UKで最も旬なバンドの来日を追いかけたく、レーベルとのインタビュー交渉を乗り越え、ついに彼らが滞在していた新宿のホテルのラウンジで、3人揃ったポリスのインタビューに成功しました。

ラウンジでやっちゃったことが驚きですが…。中野サンプラザに向かう直前のインタビューで、僅かな時間ではありましたが、話し足りない私が、最後の最後と言って質問をぶつけ続けていたら、スティングから「もういいだろ!」と言われ、丸めた雑誌で肩をピョンピョンと合図されたのは貴重な思い出です。

トップスターに昇り詰めたアーティストとのインタビューはもちろん緊張で張り詰めながらのドキドキがありますが、もうすぐトップに手が届く、まだまだやりたいことがいっぱいあって、前へ前へと突進を続ける上昇気流に乗ったアーティストとのインタビューは、緊張というよりも、興奮に近いトキメキとドキドキが入り混じった不思議な感覚に襲われます。

これまでにも、そんなアーティストとの出会いはたくさんありましたが、ポリスとのインタビューは、なかでも、とても印象的な時間となって心に残っています。質問の内容は忘れましたが…(笑)。このドキュメンタリー映画を見ていると、そんなドキドキと興奮が一瞬で甦ります。時代を反映した彼らのパンク・アティテュードにも共感するのです。京都大学でのライヴ映像がフィーチャーされていますが、“Gig”という言葉がぴったりの当時のライヴパフォーマンスは最高です。UK1位となっても、当時の彼らは、まだまだ若葉の芽のような存在で、エネルギーに満ちた3人でした。

テイク・ザットのゲイリーによるスティングのインタビュー

ポリスはパッと出てきてスターになったバンドでははありません。もうみなさんはご存知かと思います。先日、以前にも紹介したテイク・ザットのゲイリー・バーロウのBBC Radio 2の番組「We Write The Songs」で、スティングが出演した時のインタビューがとても面白かったので、その時のコメントをまとめてみました(最近、ゲイリーは、ワインをプロデュースしたり、インタビュアーになったりと忙しいです[笑]。テイク・ザットもドキュメンタリーの制作が発表になりましたね)。

===

スティングが楽器を始めたのは、8、9歳の時。知り合いのおじさんのギターを譲り受け、友人から弦の張り方から、チューニング、プレイスタイルを学び、その時、このギターが自分の人生の鍵となることを感じた。母がプレスリー、リトル・リチャーズ、ジェリー・リー・ルイスのファンで、その影響で音楽に触れてきた。ビートルズの登場が刺激となり、曲を書き始めたのが11、12歳の時。それまでは、バンドのメンバー、シンガーが自分達で曲を書くということがなかったが、ビートルズが始めたことに感化され、書き始める。最初の曲は、ビートルズのように、ギターの4つのコードを使って書いたラヴソングだった。曲作りは、レコードプレイヤーの回転数を変えながら、楽曲の分析をした。つまり、レコードプレイヤーが師匠だった。

最初のバンドは、Phoenix Jazzmenという自分よりも10〜15歳年上の人たちが作ったジャズ・バンドに加入。そのバンドの衣装は、ピンクのシャツ。年下のスティングは、お気に入りだった黒と黄色のストライプのシャツを着ることが許され、メンバーから「お前はWasp(ハチ)みたいだ」と言われ、いつの間にかスティング(Sting=刺す、尖ってる)と呼ばれるようになった。彼らはスティングにとってメンターのような存在で、学ぶことが多かった。そしてラスト・イグジット(Last Exit)に入った。ジャズ、ロックのバンドだった。ある日ローカル大学で演奏していた時に、アメリカ人に声をかけられ、「君は何をやりたいの?」と聞かれ、ロンドンに来ることがあったら僕のバンドを見てくれと、電話番号を渡された。それがスチュワート・コープランドだった。1ヶ月経って、勇気を持って、ロンドンに行き、グリーンストリートメイフェアの公衆電話から彼に電話すると、自宅に招待された。部屋にはドラムセットがあり、彼は細身のパンツを履き、パンクを演奏していた。

1977年5月、インディ・レーベルから「Fall Out」をリリース。しかしまったく受け入れられなかった。そして低予算の中、レコーディングスタジオが安い深夜の時間にスタジオ入りし、2枚のアルバムを同時にレコーディングしていた(のちに2枚のアルバムはミリオン・ヒットとなる)。1978年春に「Roxanne」をリリースするもののヒットせず、BBCのプレイリストからも落ち、1979年にリリースした「Can’t Stand Losing You」「So Lonely」がようやくマイナー・ヒット。そんな時、マネージャーのマイルス・コープランドがアメリカ・ツアーをしようと提案。息子が生まれたばかりで、生活費を稼がないといけないから、選択の余地もなくツアーに出かけた。街から街へ、ラジオ局からラジオ局へと長旅を続け、ついにカリフォルニアで「Roxanne」が流れ始め、そのままテキサスでも火がつき、帰る時にはアメリカでのヒットを手みやげにUKに戻ることができた。

ラジオでオンエアーされることの重要性が大きかった時代。その後UKでも再リリースでヒットした「Roxanne」がBBCラジオ1で流れた時、スティングは家のキッチンの天井をペイントしていたけれど、思わず嬉しくてハシゴから落ちそうになった。ビッグ・ヒットすると感じたのは、ある朝起きたばかりでぼーっとしていた時に、窓拭きの人が「Roxanne」を口ずさんていたのを聞いた時。ワーキングマンが口ずさんでこそ、ヒットに繋がると感じた。

===

こんな話をしていました。こういったポリス、スティングが歩いてきた道を知り、ドキュメンタリー映画を見ると、よりリアルにその時代が蘇ってくるはずです。長い間、シーンのトップにいるアーティストは、それぞれのキャリアの中で、忘れることの出来ないエピソードをたくさん抱えています。

『a-ha THE MOVIE』を通して、「Take On Me」がヒットするまでに、かなりの時間がかかったことを初めて知ったように。ポリスの『Around The World』は、そんな初期の苦戦した時代を糧に、世の中へ飛び出そうとする3人のエネルギーに圧倒されます。

バンドとしては決して長い活動期間ではありませんでしたが(解散発表は1986年。2003年ロックの殿堂で演奏、2007年〜2008年リユニオン・ツアー)、音楽シーンに輝かしくも、圧倒的な存在感を残したバンドであることを、このツアーから感じ取れるはずです。

Written By 今泉圭姫子

__

ポリス『Around The World』
2022年5月20日発売

© ユニバーサル ミュージック合同会社