【追う!マイ・カナガワ】どうする?丹沢の空き家 山頂の茶屋が崩壊進み「危険」

屋根が傾き、壁が崩れた新大日茶屋=4月

 「丹沢表尾根の新大日山頂にある『新大日茶屋』の崩壊が進み、危険な状態です。解体に向けた動きがあれば仲間と手伝いたいのですが…」。神奈川県厚木市に住む丹沢ハイカーの女性(50)から心意気を感じる投稿が「追う! マイ・カナガワ」取材班に届いた。添えられたのは廃墟となった小屋の写真。15年ほど前から、朽ちていく姿に心を痛めてきたという。 

◆「解体なら手伝いたい」   

 標高約1340メートルの「新大日」。江戸時代の書物によると、その名は修験者が大日如来像を安置したことに由来する。

 山岳信仰が盛んだった丹沢らしい神聖な場所で、茶屋が無残な姿をさらしているという。電話越しに「放火や犯罪が起きたら大変。景観も悪く、所有者に解体の意向があれば、仲間で手伝えたらと思います」と話してくれた女性の思いが、マイカナ取材班の背中を押した。

 登山シーズンの到来を待ち、記者はこの春、秦野の登山口「戸沢の出合」から出発し、ヒノキ林に囲まれた急な登山道をひたすら進んだ。

 風は心地いいが、景色は変わらず、他の登山者もいない。黙々と登ること1時間半、政次郎ノ頭(標高1209メートル)でヤビツ峠からの表尾根と合流した。富士山を左に見ながらさらに進むと、緑色の建物が見えてきた。いよいよ新大日だ。

 雪の重みに耐えきれなかった屋根や壁は今にも崩れそうだ。中をのぞくと物品が散乱し、空き瓶の箱が雑然としている。人の気配もない。この危険な状態を、誰が見て見ぬふりをしているのか。下山しながら、取材を進めることを決めた。

◆登山ブームにあやかり

 戦後の第一次登山ブームだった頃の1967年発行の『ブルーガイドブックス 丹沢』によると、表尾根には当時、宿泊可能な山小屋が新大日茶屋を含め25軒あった。料金はいずれも素泊まりが350円、休憩料(お茶代)は50円だ。そのうち今も現役の山小屋は半分以下だ。なぜか。

 ガイドブックによると、当時の丹沢登山は、前夜に麓にある山小屋に宿泊し、翌朝から登り始めるのが王道だったようだ。交通機関や道路、駐車場が整備され、日帰りが当たり前になった昨今とは大きくスタイルが異なる。ある山岳関係者は「丹沢は山域に対して小屋が多い。登山ブームにあやかり商売を始めた人が多かったのでは」と話す。

 新大日茶屋はいつまで営業していたのだろうか。先述のガイドブックなどを頼りに、新大日茶屋の所有者への取材を何度か試みたが、話を直接伺うことはできなかった。

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