『クライスラー・バイパーGTS-R』英国のサポートでレーシングカーとなったアメリカの“毒蛇”【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、ル・マン24時間レースなどのGT1クラスを戦った『クライスラー・バイパーGTS-R』です。

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 “バイパー”という名を聞くと、モータースポーツではル・マン24時間レースのLM-GT2クラスでの活躍やチーム・タイサンから全日本GT選手権(JGTC)に参戦していたシーンを思い浮かべる方が多いことだろう。

 しかし、クライスラー・バイパーはポルシェ911 GT1やマクラーレンF1 GTRが鎬を削っていたBPR GTシリーズやル・マン24時間レースにおけるGTカークラスの最高峰であるGT1クラスに参戦していたことがあった。

 そもそもバイパーとは、1991年にクライスラーグループのダッヂが生み出した8.0リッターV10というド迫力エンジンを搭載するFRのアメリカンマッスルカーだった。

 そんな“バイパー”は、RT/10というオープンモデルをベースに1994年のル・マンを戦ったことがあったが、本格的にヨーロッパのGTレース戦線に挑んだのは1996年からだった。クライスラーの名を冠し、『クライスラー・バイパーGTS-R』として、ル・マン24時間やBPR GTのGT1クラスに挑戦した。

 市販車のバイパーのクーペモデルである『GTS』のレーシングバージョンであるバイパーGTS-Rは、キャビンを残しながらスペースフレームを採用するシャシーなどの基本設計をクライスラー社内で行なった。

 それをイギリスの老舗レーシングコンストラクターであるレイナードがサポート。レイナードは、バイパーの空力面における弱点を徹底的に解決したボディを開発した。

 バイパーGTS-Rに搭載されるエンジンは、市販車と同じ8.0リッターV10だが、そのチューニングをアメリカのIMSAで活躍したニッサンの300ZXのエンジンチューンも担ったジョン・コールドウェルが担当し、レーシングエンジンへとモディファイされた。

 こうして誕生したバイパーGTS-Rは、1996年のBPR GTを数戦戦うと同時に、ル・マン24時間にチーム・オレカの2台とカナスカ/サウスウインドが走らせる2台という計4台がエントリーした。

 この年のル・マン24時間は、ポルシェ911 GT1がデビューし、マクラーレンF1 GTRがそれに対峙。総合優勝したポルシェWSC 95などのプロトタイプカーも群雄割拠していた熱い年だった。

 そんななか、バイパーGTS-Rはカナスカ/サウスウインドの48号車が総合10位でフィニッシュ。マクラーレンF1 GTRの1台を上回る殊勲のトップ10チェッカーだった。

 初年度ながらGT1クラスで、まずまずの健闘を見せたバイパーGTS-Rだったが、1997年からはGT1クラスがよりプロトタイプカー的なカテゴリーになっていったこともあり、主戦場をGT2クラスへと移行していく。

 そのGT2クラスでは、さっそく1997年にFIA GT選手権のクラスチャンピオンを獲得する。さらに1998年には、ル・マン24時間レースのGT2クラスを1-2フィニッシュで初制覇し、翌1999年のル・マンでは、GTSクラスのトップ6を独占する。バイパーGTS-Rは、GT2クラスへ移行してから、その力をいかんなく発揮したのだった。

1996年のル・マン24時間レースに参戦したカナスカ/サウスウインド車。49号車はアラン・クディーニ、ビクター・シフトン、ジョン・モートンがステアリングを握った。

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