【橋下徹研究⑧】咲洲メガソーラー入札の重大疑惑―「副市長案件」の闇を暴く!|山口敬之【WEB連載第8回】 私はこれまで「橋下徹・上海電力疑惑」について、大阪維新の会や日本維新の会などを一緒くたに攻撃することは極力避けてきた。しかし、松井一郎大阪市長が今回のように「副市長案件であの制度を決めた」といい加減な発言をするのであれば、橋下氏や松井市長本人のみならず、大阪維新の会や日本維新の会の所属議員も大火傷を負うことになると警告しておく。

松井市長「副市長案件であの制度を決めた」

松井一郎大阪市長は昨夜(5月29日)のネット番組で、橋下徹上海電力疑惑について「副市長案件だった」「他の案件とまったく同じ」という主旨の発言をした。番組は「ひろゆき」とかいうYouTuber(?)がやっている番組らしい。

登場人物:「松井一郎大阪市長」「ひろゆき」「着ぐるみパンダ」(上海電力の話は動画冒頭から20分42秒後あたり)

パンダ
細々したことなのか大事なことなのか判断しかねるので聞きたいんですけども、いま世間、メディアを賑わせているのが「上海電力問題」ですが、この問題について松井さんはどう思われますか?

松井
「上海電力がメディアを賑わせている」と言うが、ネット社会のメディアだけを賑わせている。
上海電力は当時、東日本大震災の後、民主党政権で固定価格買取を決めて、とにかく「自然エネルギー、太陽光発電をどんどん増やせ」と。当時の菅(直人)さんは、「俺を総理にしておくのが嫌なら、とっとと再生可能エネルギーの固定価格買取制度の法案を通せよ」と言っていた時。その時、国から地方自治体に対して「(地方で)やれる場所があれば、国も後押しするから増やしていけよ」ということで。

上海電力の話は当時大阪市で、いま僕は市長だから、当時の経過を全部調べました。大阪市でいくと、副市長案件で、それほど大きくないんです、あれは。副市長案件で、あの制度を決めた。

最初は上海電力じゃなかったんです。最初は日本の企業が中心でグループ組んでた。それが何年か後に、2年か3年後かな、そのグループの一角に上海電力が入った。でも事業はグループがそのまま同じことやるんで、これは認めていこうと。ただこれだけのことです。

だから一部で橋下さんが、「中国といろんな結託してどうのこうの」と、橋下さんはその時点で詳しいところは知らなかったと思いますよ。僕自身市長になって初めて知ったんだから。

ひろゆき
そもそもメガソーラーで発電したものを買い取りますよという契約ですよね? そして「やりたいところ手を挙げて」と言ったら手を挙げたところが何社かあったということですよね?

松井
そうです。だからメガ発電事業で、これは政府が後押しして「やれやれ」という話だったからね。それに手を挙げたのが、日本の会社をトップとするグループだった。そのグループがその後入れ替わって、そこに上海電力が入ってた。これだけのことです。

ひろゆき
それで、契約条件としては他の地域と一緒で、単に同じ値段で電気を買い取るだけで、何か(上海電力に)特別な便益を与えているわけではないんですよね?

松井
これは、まったく他の案件と同じです。

ひろゆき
そしたら、何が具体的にマズいんですか?

松井
それが僕はわからない。

パンダ
前に打ち合わせで、ひろゆきさんは「これ、全然悪くないと思っているんですよ」って言ってて、そうだなと。ひろゆきさんのいいところは、メディアの公平とか意識せずに、思ったことを素直に言うこと。(後略)

「維新」のトップであり、大阪市長でもある松井氏の発言は重い。しかも大阪市長として、この件を調査したと言っているのである。

私はこれまで、「橋下徹・上海電力疑惑」について、大阪維新の会や日本維新の会などを一緒くたに攻撃することは極力避けてきた。それは、これまでの取材では、この問題に主導的主体的に深く関与しているのは橋下徹氏だけであり、松井氏や維新の名前はまったくと言っていいほど出てきていないからだ。

ただ、松井氏が大阪市長としての権限を使って調査したとして述べていることに間違いがあれば指摘するしかない。

この件で橋下氏を擁護するのであれば、よほどの覚悟をもって取り組むことをお勧めする。今回のようないい加減な発言をすれば、橋下氏や松井市長本人のみならず、大阪維新の会や日本維新の会の所属議員も大火傷を負うことになると警告しておく。

そして今回の発言のなかにも、大火傷の元が入っている。それが「副市長案件」という表現だ。

なぜ「副市長」発言が致命傷なのか。

私は上海電力問題については、最初から橋下徹氏が虚言を弄して逃げ回ることがわかっていたので、私の有料メルマガや対面で行う講演会は別として、「Hanadaプラス」や各種動画では手の内を全ては開示せず、詰将棋のように順番を考えて論点を示してきた。

そして決定的カードの一枚として隠し持っていたのが「副市長爆弾」なのだ。今回の問題でなぜ「副市長爆弾」が重要なのか。2つのブロックに分けて説明する。

(1)絶対に「副市長案件」ではなかった
(2)しかし、橋下氏はいざとなれば副市長のせいにして逃げることがわかっていた
→自分が主導したにもかかわらず、2014年当時に「副市長案件」だと偽装したのが橋下徹氏。

まぎれもない「橋下徹案件」だった

①2010年には計画すら存在していなかった「咲洲メガソーラー」

大阪市は2010年、再生可能エネルギーに関する事業計画を市民向けに簡単に説明した全10ページの資料を公表している。

この資料の7枚目に、大阪湾の3つの埠頭(舞洲・夢洲・咲洲)での再生可能エネルギーの事業計画が説明されている。

この資料の右側の地図を見ればわかるように、2010年段階でメガソーラー事業が計画されていたのは夢洲であって、咲洲ではない。

2010年段階で大阪市長を務めていたのは平松邦夫氏だった。要するに平松市政の間は、「咲洲メガソーラー計画」はまったく存在していなかったのだ。

②極めて真っ当に準備が進められた「夢洲メガソーラー」

平松市政の下で2010年に始まった夢洲のメガソーラー事業は、公共事業の王道を行く極めて真っ当なものだった。そしてこれを詳細に見ていくと、「咲洲メガソーラー」のあらゆる意味での異常性がはっきりと浮き彫りになる。

2010年の夢洲メガソーラー計画は、
・大阪市が参加を希望する民間企業を広く募り、
・事業計画を厳正に審査し、
・合格した企業に15万平方メートルの土地を無償で提供して、
・発電事業をパッケージで委託するというもので、
さまざまな企業が連携して“ひかりの森”を作る発想から「大阪ひかりの森プロジェクト」と命名された。

大阪市の担当部局は、再生可能エネルギーということもあり、当然「環境局」だった。そして大阪市は、民間への度重なる広報・告知・公募・条件提示などの手順を踏んで、下記のようなスケジュールで事業が進行した。

・2010年5月 企画提案募集開始
・2010年7月 企画提案書受付開始
・2010年8月 プレゼンテーション
・2010年9月 契約

ここで注目してほしいのは、大阪市が応募者に厳しい条件をつけている点だ。

「大阪市においてメガソーラーを実現することができる総合的な企画力、技術力、資金力及び経営能力を有する企業又は複数の企業で構成する連合体とする」

大阪市が応募企業に具体的な条件をつけたのは、市民の生命と生活に直結する発電事業を、市有地を使わせて民間企業に担わせるのだから、行政として当然のことだ。

そして4か月に及ぶ募集から審査の期間を経て、事業を担うことになったのは「住友商事」「住友電工」「住友倉庫」「三菱UFJ信託銀行」といった実績十分の、日本の名だたる大企業20社による企業連合体だった。

日本の名だたる企業の連合体だけあって、契約通り2012年11月に着工して、予定通り2013年11月に発電を開始した。

しっかりとした計画と条件を満たした企業によって着実に完成を迎えた夢洲メガソーラーと比較すると、咲洲メガソーラーは万事が「当たり前」でない、滅茶苦茶な展開となった。

③橋下徹市長誕生後に突然浮上した「咲洲メガソーラー」

2011年11月27日に行われた市長選挙に勝利した橋下徹氏は、12月19日に正式に市長に就任。市長が橋下徹氏に代わると、平松市長時代には構想すらなかった「咲洲メガソーラー」計画が突然生まれ、驚異的なスピードで具体化し、異常な経緯で入札→落札→契約成立を迎える。

2012年11月16日 公募開始
2012年12月3日 公募締め切り
2012年12月05日 入札→落札
2012年12月26日 落札発表→成約

周到に準備されしっかりと手続きを踏んだ夢洲メガソーラーと比較すると、咲洲メガソーラーは「前代未聞」「拙速」のオンパレード。異常な手続きとあり得ない日程でことが進んだ。

まず、実施要項配布開始から締め切りまで18日しかなかったこと。2メガワットクラスの太陽光発電事業であれば、2012年当時のコストは安く見積もっても5〜6.5億円程度。企業としては、入札に参加するかどうか検討する際にチェックしなければならない事項は無数にある。

・太陽光パネルを期日までに調達できるか
・資金は足りているか
・採算は取れるか
・予定地で施工する際に技術的問題はないか

実施要項公開から2週間余りでは、現地を確認した上で事業計画案と資金計画案を立て、社内で決裁をすることなど、会社の規模に関わらずほとんど不可能だ。

大阪市と周辺で太陽光ビジネスを手掛ける複数の事業者を取材したところ、「11月16日に実施要項をもらって12月3日までに参加を決断して入札に必要な資料を揃えることなど絶対に不可能」と口を揃えた。

しかも大阪市と周辺の企業にもかかわらず、2012年に咲洲でメガソーラーの公募が行われたことはおろか、咲洲の事業を上海電力が担っていることすら知らなかったという。

大阪市はなぜ広く広報して、メガソーラー事業の実力と実績のある企業を募ろうとしなかったのか。特定の企業だけに耳打ちし落札させる、大阪市が仕組んだ「出来レース」だったからだろうか。

④正反対の「夢洲」と「咲洲」

大阪市側の体制も、夢洲と咲洲ではまったく違っていた。

夢洲の例を挙げるまでもなく、再生可能エネルギーに関する事業は一元的に「環境局」が担ってきたにもかかわらず、咲洲メガソーラーだけは担当部局が「港湾局」とされた。そして民間への公募も、咲洲メガソーラーだけは特異な、まったく違うやり方が選択された。

前述のように、夢洲では安心してメガソーラー事業を任せられるよう、メガソーラー事業に十分な実績のある企業に、発電事業に関する総合的な提案書を提出させ、その内容を大阪市環境局が精査した。

ところが咲洲メガソーラーでは、メガソーラー事業としての公募ではなく、何と「不動産賃借契約」という形をとった。このため、大阪市は入札希望者に対してメガソーラー事業の具体的な計画の提出を求めなかったのだ。

しかもなぜか、落札最低価格を「55万円」と事前に発表。この疑惑については後段で詳述する。

⑤実績ゼロの会社が落札

松井市長が動画のなかで認めているように、当時は太陽光ビジネスが花盛りで、大阪市とその周辺だけでもきちんと太陽光ビジネスを手掛けている会社は無数にあった。

ところが、この奇妙な入札に参加したのは「伸和工業」「日光エナジー開発」という、耳慣れない大阪市内の2つの企業で構成する「企業連合体」だけだった。他に入札者がいなかったから、落札したのもこの連合体だった。それでは、この2社は一体どんな会社なのか。

「伸和工業」は大阪市天王寺区玉造にあるライオンズマンションに入居している、街の工務店然とした小さな会社だ。

この会社の登記簿謄本には、驚くべきことが書いてある。伸和工業が会社の定款に太陽光ビジネスを書き加えたのは、入札日まで1か月を切った11月8日だったのだ。

会社は定款にない業務はできない。伸和工業は入札段階ではメガソーラーはおろか、「いかなる太陽光ビジネスについても実績ゼロ」の会社だったのだ。

一方、「日光エナジー開発」は、橋下徹氏が市長選に勝った5日後の2011年12月2日に設立されている。そして会社設立から入札日の2012年12月5日までの1年間、日光エナジー開発は太陽光発電の施工や運営の実績はゼロ。

だから入札参加希望者が入札時に提出を義務付けられていた「納税証明書」が提出されなかった。納税していない企業だから当たり前だ。

要するに「伸和工業」も「日光エナジー開発」も入札段階では太陽光発電ビジネスの実績ゼロ。そして納税実績がなく納税証明書を提出できなかった日光エナジー開発に至っては、本来であれば書類不備で入札に参加すらできなかったはずだ。

ところが、この入札に参加したのはこの2社による企業連合体のみ。そして落札価格はなんと事前公示価格に1円を加えた「55万1円」。

公共事業の一般競争入札では落札後に必ず行われるチェックでも、大阪市は日光エナジー開発の書類不備を見逃し、実績ゼロの2社にメガソーラー事業をやらせることにして、2012年12月26日に契約を成立させた。この点だけでも、大阪市による大阪市民に対する重大な裏切りだ。

これを出来レースと言わずして、なんと呼ぼう。夢洲メガソーラーでは参加20社全ての納税証明書は当然のこと、事業継続のための資金力の有無も審査対象だったから、大手金融機関である三菱UFJ信託銀行が参加した。

ところが、咲洲メガソーラーの入札では資金力の確認どころか、納税実績のない会社の書類不備まで見逃して落札させたのだ。咲洲メガソーラーの入札がいかに異常だったかお分かりいただけるだろう。

大阪市は2011年までは、こんなイカサマな入札をやるような自治体ではなかった。それを雄弁に証明するのが、同じ大阪市が同じ大阪湾の埠頭で、わずか1年前に行った夢洲メガソーラーの完璧な手続きだ。

咲洲メガソーラーについてだけ、こんなイカサマな入札に変えるよう指示したのは一体誰なのか。

⑥案の定、着工できなかった「伸和」と「日光エナジー」

咲洲メガソーラーの落札時の契約では、「2013年1月1日から6ヶ月以内に発電を開始すること」という条件が付けられていた。だから2013年7月1日までに竣工して発電を買いとることが契約文書に明記されていたのだ。

ところが伸和工業側は発電期日を過ぎても工事すら始めなかった。本来であれば、この段階で大阪市は契約不履行を理由に、伸和工業との契約を解除して損害賠償請求などの懲戒手段を取るべきだったが、黙認・放置した。

そして契約不履行状態が8か月も続いた後、2014年3月16日の着工式に突然登場したのが、上海電力日本の「刁旭(ちょう・きょく)」社長だったのだ。

そして、上海電力日本の開業は2014年1月11日だから、2012年末の入札時には影も形もなかったことになる。そして開業わずか2か月で、咲洲メガソーラーの着工式に突然やってきたのだ。

この段階で上海電力は咲洲メガソーラーの企業連合体にも、合同会社にも参加していなかった。大阪市はなぜ完全な「無契約」「無関係」な上海電力日本を、着工式から排除しなかったのか。この点については次回以降の本欄で詳述する。

これこそが「副市長疑惑」の核心

中央省庁や地方自治体の別なく、どこの役所でも最初に尊重されるのが「前例主義」だ。大阪湾の埠頭でメガソーラー事業をやろうとするのであれば、先行する夢洲と同じ部局が同じスタイルで進めるのが通例だ。「環境局」から「港湾局」へ、「メガソーラー総合パッケージ契約」から「不動産賃貸契約」へ。契約の内容をわざわざ大きく変えたのは、一体誰なのだろうか。

夢洲の企画立案が行われた2010年と、咲洲の企画立案が行われた2011年の間で、大阪市で何が起きたのか。もちろん、大阪市の幹部は地方公務員だから、ほぼ全員が続投している。

しかし一人だけ代わった幹部がいる。そう、2011年12月19日に平松邦夫氏から市長職を引き継いだ橋下徹氏だ。新市長からの強い指示がなければ、咲洲でも夢洲の前例を踏襲していたに違いない。

もう一度、咲洲メガソーラーの異常性を整理しよう。

(1)橋下市長誕生後、1年未満で入札(前代未聞のスピード)
(2)なぜ不動産賃借契約だったのか
(3)なぜ公募期間が18日しかなかったのか
(4)太陽光発電ビジネスの実績ゼロの企業グループだけが応札
(5)資格要件を満たさない2社の応札をなぜ認めたのか
(6)なぜ契約不履行を見逃したのか

そして、松井市長の「副市長案件」発言という意味で注目すべきなのが(1)だ。市長が代わると、政治任用の副市長も代わる。橋下氏が市長になって新たに副市長になった人物は3人。

◯村上龍一(2012年2月1日〜2016年1月15日)
◯田中清剛(2012年2月1日〜2019年5月31日)
◯京極務 (2012年11月7日〜2016年1月15日)

京極氏は就任が2012年11月7日で咲洲メガソーラーの公募最終段階に入ってからの就任だから、松井市長が言うところの「副市長」である可能性は極めて低い。

ということは、咲洲メガソーラーの異常な入札に関与した可能性のある副市長は「村上龍一」と「田中清剛」の2名に絞られた。

そして私が注目しているのは村上龍一氏のほうだ。なぜなら、2014年2月に橋下徹氏が仕掛けた「出直し市長選」で、橋下氏が2月26日に市長を失職して3月24日に再選されるまで「市長代行」を務めたのが村上氏だからだ。

そして、わずか28日間の「村上市長代行時代」に行われたのが、3月16日の「咲洲メガソーラー着工式」なのだ。これこそが副市長疑惑の核心である。そして内容を精査すれば、実はこれは「副市長疑惑」ではなく、「橋下徹疑惑」そのものであることがはっきりするのである。

これについては、次回の「橋下徹研究⑨」に譲ることにする。

(つづく)

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山口敬之

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