6月3日「いのりの日」 雲仙・普賢岳 大火砕流から31年

 雲仙・普賢岳噴火災害で、消防団員ら43人が犠牲になった1991年6月3日の大火砕流惨事から3日で31年を迎える。同日、長崎県島原市内で「いのりの日」の追悼行事がそれぞれ営まれ、災害の教訓継承を誓う。
 市は、被災者が集団移転した仁田町の仁田団地第一公園内の「雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑」前に、市消防団は平成町の「消防殉職者慰霊碑」前にそれぞれ献花所を設置する。
 大火砕流が発生した午後4時8分、防災行政無線でサイレンを鳴らし、市民に黙とうを呼びかける。安中地区町内会連絡協議会も、北上木場農業研修所跡と報道陣が撮影場所にしていた「定点」で犠牲者を追悼。雲仙岳災害記念館では、島原半島の小中学生が作ったろうそく約千本をともす「いのりの灯(ともしび)」が開かれる。
 普賢岳は90年11月17日、198年ぶりに噴火。93年6月23日の火砕流と合わせて計44人が犠牲となった。96年6月、「噴火終息宣言」が出されたが、噴火活動で形成された溶岩ドーム(平成新山)を含む約950ヘクタールは現在も警戒区域となっている。


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