亡き息子の後輩たちと山へ 見守り続ける那須雪崩遺族の思い

山頂での休憩中、お菓子を振る舞う浅井さん(中央)と山岳部部長の池上さん(左端)ら=28日午前11時25分、釈迦ケ岳山頂

 栃木県那須町で2017年3月、登山講習会中に大田原高(大高)の生徒7人と教諭1人が死亡した雪崩事故で、亡き息子の思いを抱え、大高山岳部の登山に同行している遺族がいる。当時2年生だった浅井譲(あさいゆずる)さん=当時(17)=の母道子(みちこ)さん(56)。譲さんの後輩となる山岳部員たちを、後方から見守る思いで登っている。部員の姿に息子が重なり、「一緒に登れるのがうれしい」と浅井さんは語る。

 5月28日、4回目となる山岳部員との登山に記者が同行した。

 前夜の雨から一転、青空が広がった。午前7時半。赤紫色のポロシャツ姿の山岳部員らに続き、浅井さんは登り始めた。矢板市の釈迦ケ岳(標高1795メートル)など約11キロの行程を歩く。

 長く続く樹林帯。足元がぬかるむ中、先を進む2、3年生の部員6人らの背中を浅井さんは見つめる。

 「いつメン(いつものメンバー)になれてるかな」。部員と登山を重ねてきた浅井さんはそう笑った。

 登山への同行は後輩思いだった譲さんの思いを引き継ぎ、現役生を見守るためだ。昨年7月の日光白根山が最初で、山岳部OBの協力で実現した。登山者の感覚を理解した上で、安全対策を考える狙いもある。

 登り始めて約3時間20分。赤い鳥居がある釈迦ケ岳の山頂を踏んだ。矢板市方面の見晴らしが良く、部員らは歓声を上げた。

 「よかったら、どうですか?」。山頂での休憩時。山岳部部長の池上貴一(いけがみきいち)さん(17)が、湯を沸かして作ったカフェオレを浅井さんに差し出した。「おいしい。ありがとう」。浅井さんは手持ちのお菓子を手渡してお礼した。

 池上さんは浅井さんについて「部を下支えしてくださる」と感謝する。雪崩事故から5年2カ月。先輩たちが命を落とした事実を「背負っている」と受け止め、「大高山岳部は事故の風化防止を担っていくべきだ」と考える。「全員が笑って家に帰ることが部の目標です」と言い切った。

 木漏れ日が差す登山道。部員たちは声を掛け合い、談笑しながら下っていく。

 浅井さんは譲さんの生前、毎月あった山岳部の登山について話を聞く機会が少なかったという。

 「ゆずも楽しかったはずですよ」。楽しそうに過ごす部員らを眺め、譲さんの姿を重ねる度に浅井さんの頬が緩んだ。

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