浮世絵誕生の瞬間に迫る…菱川師宣の半生に片桐仁が驚きの連続!

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週金曜日 21:25~)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。3月12日(土)の放送では、「菱川師宣記念館」に伺いました。

◆浮世絵を確立した菱川師宣…その半生を追う

今回の舞台は、千葉県・安房郡鋸南町にある菱川師宣記念館。この地に生を受けた浮世絵の確立者で、後に代表作「見返り美人図」を描いた菱川師宣の業績や浮世絵作品などを展示する施設で、1985年に開館。

同館の館長・笹生浩樹さんの案内のもと、師宣の半生を追いつつ、浮世絵誕生の瞬間に迫ります。

江戸初期、二代将軍・秀忠の頃に安房国で生まれた師宣。若い頃は"吉兵衛”と言い、幼少時から絵を描くのが好きだったそう。一方、父・菱川吉左衛門は染め物や刺繍をする職人「縫箔師」で、吉兵衛はその手伝いをすると同時に下絵を学び、その後、家業を継ぐため修行すべく江戸へと出ます。

当時の吉兵衛の画力が伺える作品が、高さ3mにも及ぶ刺繍の掛け軸、父・吉左衛門の「釈迦涅槃図」(1658年/複製)。吉兵衛が下絵を描き、父が刺繡した親子による合作に「これは超大作ですね。すごいな……」とその大きさに圧倒される片桐。

同館にあるのはレプリカで、3年かけて縫い上げられたと言われる実物は、富津市の松翁院に保管されています。そして、そこで1年に1度行われる「涅槃会」でご開帳されると聞いた片桐は「複製でこのレベルですからね。いつか見てみたいですね」と実物に思いを馳せます。

◆菱川師宣で江戸の流行や文化を発信!

江戸に渡った吉兵衛は"菱川師宣”名義で描き始め、"絵師”としてその名を上げていきます。その頃のことを記しているのが「大和武者絵」序文(1680年)。

当時、絵師・彫師・摺師は作品に名前がクレジットされることはありませんでしたが、師宣は絵師の地位向上を掲げ、挿絵を描いた書物の巻末に初めて署名。それまでの常識を覆すものでした。

そこには師宣の姿も描かれ、それを見た片桐は「これは相当いい暮らしをしていますよね。広い家に住んでいて。戦略というか、自分でその職業を作り上げた、実業家としての感じも出ていますね」とその印象を語ります。

本編となる絵本「大和武者絵」(1680年)には、武者たちの逸話が描かれていますが、それまでの本は文章ばかりで挿絵は1冊に1~2ページのみ。しかし、師宣は全ページに見開きの挿絵を入れ、文章は上部に小さく入れる程度に。この新しい読み物は今でいう漫画の走りであり、あくまで庶民向け。

その他、師宣は江戸の流行や職業などを描いた庶民に親しみやすい書物を次々と刊行。そのひとつが「吉原恋の道引」(1678年)で、これは当時できたばかりの遊郭・吉原のガイドブック。しきたりや相場、初心者への注意事項などが紹介されており、「物語を見せる絵本だけでなく、情報を紹介するための絵ということですね」と片桐は言います。

一方、「和国諸職絵尽」(1685年)では当時のさまざまな職業、そして「このころ草」(1682年)では江戸の流行を紹介するなど、師宣は今でいう情報誌を多数手がけます。

彼の絵本は当時の資料としても貴重で、片桐は「庶民の暮らしを絵にしていて、それをみんなが読んでいたのが伝わってきますよね。今では当たり前のものの元を作っていたんですね」と感心しきり。

◆庶民が楽しめる手頃な絵画を…浮世絵の誕生

1682年に師宣が手がけた「大江山物語 四天王と鬼」は今でこそ色が付いていますが、本来は白黒の木版画。後に塗り絵のように色が加えられました。モチーフとなっているのは浄瑠璃で人気を博した物語の1シーンで、そこに文章はなく1枚の絵となっており、これが「版画の絵画」の起源と言われているとか。

というのも、それまでの絵画は大名や公家がお抱え絵師に描かせる屏風や掛け軸などで、とても高価で庶民は見ることができないものでした。そこで師宣は「庶民が楽しめる手頃な絵画があってもいいんじゃないか」と考え、木版画で絵画を大量生産。それにより、絵本の挿絵でしかなかったものが庶民のための芸術作品「浮世絵」となりました。

こうして浮世絵が誕生したわけですが、そもそも"浮世”とはどういう意味なのか。それは「今風」や「流行の」、「最新の」という意味で、「今風の新しいタイプの絵」ということで浮世絵という言葉が誕生。そして、そうした絵を描く人を浮世絵師と呼び、師宣は最初の浮世絵師となります。

◆「見返り美人図」が当時話題になった理由とは?

師宣の代表作といえば「見返り美人図」(1688~1694年/複製画)です。片桐は「子どものとき、切手収集が好きで、絶対に買えない切手が『見返り美人図』だった」とありし日の思い出に浸ります。本作は1948年、戦後初の記念切手となったことで有名に。そして、描かれた当時はまた別の意味で話題になったとか。

それは当時の流行ファッションが描かれていたから。その最たるものが帯の結び方で、これは江戸時代の歌舞伎役者・上村吉弥が考案した「吉弥結び」。それを見せるがための構図となっています。

もうひとつは髪型で、当時大流行した「玉結び」を表現。単なる美人画ではなく、当時の流行やファッションなども取り入れ、紹介していました。

「見返り美人図」は肉筆画ですが、続いても師宣の肉筆画「秋草美人図」(1688~1694年)。女性が3人、部屋でくつろいでいる様子が描かれているこちらの作品は、吉原の女性をスケッチしたもので、その着物の裾はちょっと長め。彼女たちはちょっと着物を持ち上げ歩いていたそうで、それが当時のファッションだったそう。

また、「今までと全然タッチが違いますね」と片桐が興味深く見入っていたのは「昇り龍図」(1688~1694年)。

これは地元・鋸南町に唯一残っていた作品で、典型的な狩野派の「昇り龍図」。師宣は幼少時からさまざまな流派の絵を集めて写し取り、独学で絵を習得。そして、狩野派の絵もここまで絵が描けるようになったという、その上達ぶりがひしひしと窺えます。

浮世絵の確立者の諸作を堪能した片桐は「菱川師宣さん、もちろん『見返り美人図』で知っていましたが、文化の発信点となり始めた江戸を紹介する絵本、そこから浮世絵を生み出したという、その発想もすごく面白かったですね」と大満足の様子。そして、「庶民も気軽に楽しめるアート浮世絵を生み出した菱川師宣、素晴らしい!」と称賛し、大きな拍手を贈っていました。

◆今日のアンコールは、歌川国芳の「守山 達磨大師」

菱川師宣記念館の展示作品のなかで、今回のストーリーに入らなかったものからぜひ見てもらいたい作品を紹介する「今日のアンコール」。片桐が選んだのは、歌川国芳の「守山 達磨大師」(1852年)。

「絵がすごく面白くて……」と選出基準を語る片桐。これは「木曾街道六十九次」というシリーズのなかの守山宿場の絵で、達磨がおそばを食べています。なぜかといえば、「守山」という名にひっかけ、「"もり”そばを"山”のように食べている」という意味に加え、達磨大師には壁に向かって9年間瞑想し、悟りを得た「面壁九年」という逸話があり、この「面」を「麺」、器のことを「へぎ」と言ったことから、「麺」と「へぎ」で「面壁」という語呂合わせ。歌川国芳という人はユーモアたっぷりの江戸っ子絵師で、こうした絵はお手のものだったそうです。

最後はミュージアムショップへ。そこには一筆箋、キーホルダー、しおりなど「見返り美人図」関連グッズに溢れるなか、「なんですかこれは!」と片桐が反応したのは、ひょうたんのなかを覗くと見返り美人が見える「見返りひょうたん」。

そして、即刻購入を決めたのは「見返りちゃんメガネ拭き」。片桐はいろいろなメガネ拭きを購入しているそうですが、これは初見で、メガネ拭きに描かれた「見返りちゃん」に興味を示していましたが、なんとこれは今回会場内を案内してくれた笹生さんのデザインだとか。それを聞いた片桐は「え~っ! 生みの親だったんですね。すごい」と驚いていました。

※開館状況は、菱川師宣記念館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週金曜 21:25~21:54、毎週日曜 12:00~12:25<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00~8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

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