最も有名な「移籍心変わり事件」8人

先日、レアル・マドリーへの移籍が取り沙汰されてきたキリアン・エムバペが、突如パリ・サンジェルマンへの残留を発表。契約を更新したことを明らかにした。

ここまで引き伸ばされた上に断られたレアル・マドリー側としては納得し難いものになったとも伝えられるが、サッカーでは正式に契約が結ばれるまでどうなるのかわからないものだ。

今回は『Planet Football』から「サッカー界で最も有名な心変わり」をご紹介する。

キリアン・エムバペ

自身の夢であるレアル・マドリーへと移籍するのか、それとも巨額の契約延長オファーを送ってきたパリ・サンジェルマンに残るのか。エムバペの去就はサッカー界の注目の的であった。

ギリギリまで決断を引き伸ばした彼は、最終的にパリ・サンジェルマンと3年契約を結び直すことを決定。そしてレアル・マドリーの関係者やファンは予想された通りの反応を見せた。今後は激しいライバル関係になることだろう…。

ハリー・ケイン

昨年の夏にもエムバペと同じようなことがあった。それはトッテナム・ホットスパーのエースであるハリー・ケインが、ジョゼップ・グアルディオラ率いるマンチェスター・シティに移籍するのではないかということだった。

トロフィーを獲得するチャンスに魅了されたハリー・ケインは、シティへの移籍を強く求めていた。しかしながらトッテナムは彼を放出することを強行に拒んだ。ケインにとっては複雑なシーズンになったかもしれないが、ソン・フンミンとの黄金コンビが今年も見られたことはファンにとって幸運だった。

ジョン・オビ・ミケル

非常に有名なドタキャン事件。2005年に18歳の誕生日を迎えたミケルはマンチェスター・ユナイテッドと契約を結び、記者会見で移籍を発表した…のだが、その契約の際に代理人は存在しなかった。

そして後にチェルシーが「ミケルとはすでに契約を結んでいる」と主張して法廷闘争に。長い闘いの末にミケルはチェルシーへ移籍することを決め、ユナイテッドは違約金として1200万ポンドを受け取った。

スティーヴン・ジェラード

リヴァプールのレジェンドであるスティーヴン・ジェラードが、2005年にチェルシーへの移籍を希望していたことは有名だ。クラブ間では3200万ポンドものオファーが送られていたという。

ジェラード自身もチェルシーへの移籍を希望し、クラブにその意思を伝えていた。しかしながらその報道があったあと、リヴァプールのサポーターが強烈に反発。それを見たジェラードは24時間後に決断を翻し、残留へと考えを変えている。

ルイス・スアレス

バルセロナでネイマール、リオネル・メッシとともに伝説の3トップ「MSN」を形成したルイス・スアレス。彼が欧州でブレイクしたのはリヴァプールでのプレーがきっかけであった。

しかし2013年夏、スアレスはリヴァプールでの生活に不満を持っていると話して退団を要求。そしてアーセナルが4000万1ポンドという移籍金で入札したこともよく知られているが…その2週間後、リヴァプールとスアレスが和解したことで取引はキャンセルに。

ファビアン・デルフ

2015年7月11日、アストン・ヴィラに所属していたファビアン・デルフは、移籍の噂が流れるなかで「自分は退団しない」と公式声明を発表した。「僕はこの素晴らしいクラブのキャプテンを務めているんだ」と。

そして2015年7月17日、アストン・ヴィラは「ファビアン・デルフがマンチェスター・シティに移籍することになった」と公式発表した。

ジャンルイージ・ドンナルンマ

故ミーノ・ライオラ代理人が手掛けたドンナルンマは、ミランの下部組織から育った生え抜きの天才ゴールキーパー。ファンから愛される要素は十分にあったが、彼はそれを捨てる決断をした。

18歳の彼はミランとの契約を一度拒否し、退団を示唆。それから1ヶ月後に4年間の新契約を結び、イタリアでも最も高給の選手となった。しかし結局2021年の夏にはフリーでパリ・サンジェルマンへと移籍することに…。

マウコン

近年のサッカー界で最も有名なドタキャン事件といえるマウコン。ブラジルの若きレフティウイングは、フランス・リーグアンのボルドーで大ブレイクし、イタリア・セリエAのローマに加入することに合意した。

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しかしイタリアに向かう直前にバルセロナからのオファーがあったことで、彼は空港で考えを変え、スペインに向かうことを決断。ローマの怒りとバルセロナの喜びを引き起こしたが…結局1年でロシアのゼニト・サンクトペテルブルクへと去っている。

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