「霜月祭」継承へ新しい形模索 真庭・余野地区、児童も担い手に

霜月祭実行委員会の中野さん(右から2人目)と、もち米の田植えに挑戦する余野小児童たち

 真庭市久世地域の山あいにある余野地区で、約700年前を起源とする伝統行事「霜月祭(しもつきまつり)」。代々、「九名(くみょう)」と呼ばれる9人が餅つきなど一連の行事を担うのがしきたりだったが、高齢化や過疎化により継続が困難になってきた。伝統を絶やすまいと、九名らは今の時代に合う形にアレンジし、子どもたちにも“担い手”になってもらう新しい祭事を模索している。

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 5月下旬、九名の一人の入江正親さん(69)=同市=の田んぼで子どもたちの歓声が響いた。余野小の全児童15人が住民約10人と一緒に昔ながらの苗の手植えに汗を流した。「大きく、おいしく育ってほしい。餅にして食べる祭りの日が楽しみ」と6年男児(11)。

 九名は、1349年に長野県・戸隠(とがくし)神社から余野地区の大鶴神社(現在は大津神社)に分霊を祭った9集落の氏子代表が起源とされ、その子孫が継いできた。

 1年ごとに交代する当屋(当番)となった九名は、4月3日に自宅そばに木製の社を建て、12月8日の霜月祭まで毎朝、参拝して米などを供えるのが習わし。祭り前日には地元集落の「ヨリコ」と呼ばれる住民も加わって約120キロ分の餅をつく。当日は大津神社に奉納、餅投げし、最後に九名同士で杯を交わして、ようやく当屋が交代する。

 50年ほど前までは、どの集落も10戸以上あって準備に協力していたが、高齢化と人口流出により、九名の負担が重くなっていた。

 昨春、九名たちは「霜月祭実行委員会」を発足し、従来の当番制と社の設置を取りやめることを決断。霜月祭は多世代が参加できるように開催日を12月の第1日曜に変更し、集落にかかわらず広く住民に協力を呼び掛けることにした。

 実行委の中野積男さん(74)=同市=は「長年受け継いできた祭りの形を変えるのは苦渋の選択だったが、『若い世代にも祭りを残したい』と九名の意見が一致した」と話す。

 昨年12月は地元の中高生グループ「つつじ会」が呼応し、餅つきや餅投げ用の袋詰めを手伝った。

 今年は、余野小児童も含め、祭りに親しんでもらうおうと、祭りで使うもち米の田植えや稲刈りのほか、神社に飾るしめ縄作りなども体験する計画を立てた。

 祭り当日は特産品を販売したり、事前に祭りをSNS(交流サイト)でPRしたりし、観光客や移住希望者に余野地区の魅力を伝える構想も持ち上がっている。入江さんは「子どもたちに祭りの思い出をたくさんつくってもらい、将来の担い手を少しずつ育んでいきたい」と思いを込めて語る。

 山陽新聞社は、地域の方々と連携して課題解決や魅力の創出を図る「吉備の環アクション」として、霜月祭に向けた取り組みを中心に余野地区の活動を報道。過疎、高齢化が深刻化する地域で伝統を維持していく方策を探る。

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