終戦直後の「大島砲台」写真発見 戦艦の砲塔転用、解体前に撮影 長崎県平戸

解体される前の大島砲台。廃艦となった旧日本海軍の戦艦「鹿島」の砲塔が設置されている(濱田重工提供)

 長崎県平戸市の的山大島(旧北松大島村)に旧日本陸軍が築いた砲台(大島砲台)の写真がこのほど見つかった。砲塔は戦艦から転用された珍しいものだが、これまで市には写真が残っていなかった。同市は今春刊行の古写真集に掲載。砲台を含む写真のパネル展も、26日まで市内で開いている。
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 同市などによると、大島砲台は島西部の丘陵地にあった。1929年、東シナ海と日本海をつなぐ海域のの制海権確保を目的に、陸軍が整備した砲台の一つ。21年のワシントン軍縮条約によって廃艦となった旧日本海軍の戦艦「鹿島」の主砲(30センチカノン砲)1基2門を設置。弾薬庫や発電機室などもあった。市内には、ほかにも砲台が置かれたが、戦艦の砲塔が使われたのは大島砲台だけという。
 同市が戦時資料などの調査を進めていたところ、所蔵していた濱田重工(北九州市)から情報提供があった。解体を請け負った同社の前身、濱田組関係者が撮影。解体前の砲塔に乗った7人が写っていて、作業前の記念撮影とみられる。砲台跡には現在、砲塔を据えたコンクリート製の穴(砲塔井)の基礎部分などが残る。平戸市などによると、訪れる人はまれだという。

戦艦の砲塔を設置した砲塔井から地上付近を望む。終戦後に濱田組関係者が写真を撮った場所も含め、一帯は樹木が生い茂っている=平戸市大島村(平戸市提供)

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 写真が掲載されたのは、平戸に関する研究論文などを取り上げる冊子「平戸紀要」の第10号。「古写真から見た平戸」をテーマに、同砲台のほか、戦前から昭和50年代までの風景や祭礼、生月地区のかくれキリシタンの年中行事などが収められている。A5判103ページ。同市文化交流課などで1冊千円で販売している。合併前の旧町村を中心とした44点が並ぶパネル展は、生月町博物館・島の館で開催している。
 同市文化交流課は「若い世代の人たちに、昔の平戸を知ってほしい。掲載や展示している写真のさらに詳しい情報をぜひ、知らせてほしい」と呼びかけている。問い合わせは同課(電0950.22.9143)。


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