摂食障害、アルコール依存、40代で認知症…新聞記者が描いた夫婦の凄絶20年 著書「妻はサバイバー」で問いかけたかったもの

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インタビューに応じる永田豊隆さん=5月、大阪市北区

 病に苦しむ妻との壮絶な20年を描いた、朝日新聞社記者永田豊隆さん(53)の著書「妻はサバイバー」(朝日新聞出版)が話題だ。摂食障害や自殺願望、アルコール依存症などと闘い、40代で認知症になった妻と、介護する自身の戸惑いや苦悩を記した。2018年にインターネットサイトで連載後、反響を呼び、その後の生活を加筆し今年4月に書籍化。帯には「人を愛するとはどういうことか」とある。永田さんに本に込めた思いを聞いた。(共同通信=石原知佳)

 ▽異変はわずかな気付きから

 1998年、2人は知人の紹介で出会った。1年弱の交際を経て99年に結婚。専業主婦になった四つ下の妻は手料理と笑顔で帰宅を迎えてくれていた。
 妻に過食嘔吐を繰り返す摂食障害があることが明らかになったのは2002年。異変は「やけにゴミの量が多いな」というわずかな気付きからだった。やがて、食事後に必ずトイレに駆け込む姿を見るように。これまでも独りの時に過食していたことを後から知った。次第に隠せなくなっていったのだという。
 大量の食料を買い込み、食べては吐く。そんな妻の姿に永田さんは戸惑ったが、妻が幼少期に父親から受けたという暴力などのつらい体験を聞いており、「過食は彼女を支えてきた(自己防衛的な)行為」とも理解するようにした。

著書「妻はサバイバー」を手にする永田さん

 ▽病状が悪化、認知症まで

 しかし過食による膨大な食費で貯金は底を突き、乱高下する感情をぶつけられる日々。永田さんの介抱で一時落ち着いたかに見えた病状は、2007年ごろ、知人の男から受けた性被害をきっかけに急激に悪化する。幻覚や自殺願望にさいなまれるようになった妻。11年ごろからは摂食障害に加え、アルコール依存症に陥った。
 「奥さんの行動に厳しく対応しないからこうなったのでは?」「閉鎖病棟に閉じ込めておけばよい」。闘病の中で、周囲の人に心ない声を浴びせられたこともあった。夜中に放つ奇声や自殺未遂の行動に対応するうち、次第に永田さん自身も追い詰められていった。適応障害と診断されて休職を余儀なくされたこともある。夫が独りで大変な状況にある妻と向き合い、抱え込むのは限界があった。
 その結果、夫として何度も「医療保護入院」に同意するはめになった。妻の意思に反していた。日本の精神医療はベッド数の多さから「収容主義」と批判されることもあり、病棟では患者の隔離と拘束も行われている。
 食事を吐く度に保護室に隔離されたこともあり、妻は「入院は絶対に嫌」と抵抗するようになった。永田さんも、良くならない妻の病状に、治療方針への疑問や罪悪感を抱いたが、つかの間であっても介護から解放され、「やっと寝られる」と安堵したことも確かだ。
 精神疾患を持つ患者への偏見を医療現場で感じたこともある。妻が身体の病気やけがで治療を受けようとした時、他科の医師から精神疾患を理由に嫌な顔をされたり、診察自体を断られたりして途方に暮れたことも一度ならずあった。

 ▽病が教えてくれたこと

 

妻との生活を振り返る永田豊隆さん=5月、大阪市北区

 懸命に妻の病と闘ってきた十数年。今度はアルコールの大量摂取が原因と考えられる認知症が判明した。2019年のことで、この時、妻は46歳だった。このタイミングで施設という選択肢もあったが、2人は在宅介護を選んだ。
 だが、認知症になったことは思わぬ結果を生んだ。金銭管理が難しくなり、酒を買う現金を持たなくなった。加えて本人が酒をやめる強い意志を持てたこともあり、断酒に成功したのだ。発症前に過去のトラウマを整理するカウンセリングを受けていたことも功を奏し、ここ数年は穏やかな日々を過ごしているという。
 永田さんは「妻のおかげで見えるものが変わった」と振り返る。介護離職が現実味を帯びた時期には「通勤途中、視界に入ってくる野宿者の姿が訴えかけてくるようだった」。妻との歩みの中で培った問題意識は仕事の支えにもなり、生活保護受給者など社会的弱者への報道に力を入れるきっかけになった。2007年と09年には、生活保護関連の報道で貧困ジャーナリズム賞を受賞した。

 ▽愛の話でいいのか

 出版後、読者から「究極の愛」「(本は妻への)愛の証であり、最高のラブレター」といった感想も寄せられた。だが「愛の話が書きたかったわけじゃない」と永田さん。描きたかったのは「愛ではなく人権の問題」という。何が当事者や家族を追い詰めているのか、社会のあり方はどうなのか、という問いを読者にぶつけたかった。

妻の本棚。グルメまんがや聖書が並ぶ(永田さん提供)

 妻との二人三脚の経験や依存症の自助グループで出会った人々を思い起こし、本には「症状をケアする苦労だけでない。社会の無理解が、当事者や家族に希望を失わせるのだ」と書いた。個別の事情を超え、多くのケースで旧態依然とした縦割りの医療や周囲の偏見に苦しんでいた。
 認知症が明らかになる前だったが、2人のこれまでや闘病生活について文字にしていいか、妻に相談したことがある。その時、妻は「私のような人に読んでもらいたい。全部書いて」と迷わず同意してくれた。永田さんも世に出すと腹を決めた。
 永田さんは出来上がったこの本が同じような境遇にある人たちに届くことを強く願う。「肉親やパートナーに頼れない人もいると思う。そんな人たちが安心して助けを求められる社会、そして実際に助けてもらえる社会にしたい」

 ▽最近の妻は…

妻はユーチューブにはまっています。画面を指さす妻(永田さん提供)

 妻はユーチューブで大食い動画や青春時代のアイドルの動画を繰り返し見るのがお気に入りになり、グルメ漫画もよく読むようになった。

 認知症は今のところ軽度だが、できないことも増えた。手際よく料理をつくることが難しくなった。絶品だった妻のシチューやミートローフはもう食べられない。今は永田さんが2人分のみそ汁を作り、夫婦で食卓を囲んでいる。
 「妻はサバイバー」の出版は妻にとっても心待ちにしていた出来事だった。ものすごい喜びようで、書店に本が平積みされているか心配になり、確認しに行ったほどだ。すでに何度も内容を読んでいるが、病気が一番ひどかった当時の記憶は曖昧なようで、「これが私?」と不思議そうにしていることもあるという。

普段の食卓の光景。手前は妻(永田さん提供)

 連載を始める時、タイトルを「妻は―」としたのは、主人公はあくまで必死に生きようとした妻だと思ったから、と話す永田さん。本のあとがきには「彼女が苦難を生き抜き、私の背中を押してくれなければ、生まれなかった作品」と記し、「本当にありがとう。これからも共に生きようね」と感謝をつづった。