バントの名手の名を冠した少年野球大会なのに「バント禁止」?元ヤクルトスワローズの宮本慎也さんに理由を聞いた プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(1)

現役時代の宮本慎也さん。通算400犠打を達成した打席=2012年9月

 プロ野球のレジェンドに、現役時代やその後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第1回は元ヤクルト内野手の宮本慎也さん。歴代3位の408犠打を記録したバントの名手は、自身の名がついた少年野球大会でバントを禁じている。その理由とは。(共同通信=栗林英一郎)
 

 ▽この子たちは本当に面白いんかな

 僕が大会長を務める小学生対象の「宮本慎也杯 学童軟式野球大会」は2016年の第1回からバントを禁止した。自分も小学校の時、たぶんバントは5回もしたことがない。息子の少年野球に携わる中で「待て」だとか勝利至上主義だとかで、思う存分バットを振ることが制限されているのを体験した。バントであったり背が小さな子が2ストライクまで打てなかったり、そういうのを数々見て「この子たちは本当に面白いんかな」と、すごく感じた。僕が冠の大会ができるとなった時、このルールだけは絶対に入れたかった。
 小さい時からバント、右打ちをしてもプロ野球選手にはなれない。大谷翔平や柳田悠岐、鈴木誠也を目指してほしい。プロで脇役の選手にしても、子どもの頃からずっとそうだという人はいない。ましてや小学生なら、この先に体がどれほど大きくなるか分からない。中高校生になればバントもやらされる。せめて僕の大会ぐらいはバットを思い切り振ってほしい。

 19年頃に球数の話も出てきたので、いち早く大会では70球に制限して、けがのリスクを減らした。たくさんの子が投手になれるチャンスもある。野球をやり始めたら、みんなピッチャーをやりたいし、ホームランを打ちたい。そういうのに近づけたらなと思った。楽しくやってもらいたいのが基本。その中で勝ちたいという思いは本人から生まれてくるもの。大人優先というのは良くない。
 指導者がしかることもある。打てなくて怒るとかエラーして怒るのは駄目だが、チームとしてみんな一生懸命走ろうとか、守備のカバリングをちゃんとしようとか、そういうのを怠った時、しからないのは僕はまた違うと思う。めりはりの付くような大会になっていけばいい。

 ▽野村監督との出会いが全て

 1995年にヤクルトへ入団した際、最初に野村克也監督に出会ったのが、現役を19年間やれた要因の全てだと思っている。途中で会っていたら、選手としていろんなものが出来上がっていて、話を聞く素直さがどれだけあったか分からない。野村さんには「おまえがプロで生きていく上では、こういうふうにやっていかないといけないんだぞ」という方向性を、ちゃんと示していただいた。既にヤクルトは強くて、僕に求められたのは完全に脇役だった。作戦面、要するにバント、ヒットエンドランとか右打ちとかの自己犠牲。バッティング技術がどうこうというよりは、そういう部分の方が大きかった。

 当然、2千安打というものを誰一人、本人さえも想像はしていなかった。打撃が課題といわれてヤクルトに入って、2千本なんて考えたこともなかったし、一番ひいき目に見てくれる親だって、そんなことは考えていなかっただろう。僕には守備という大きな武器があり、そこを信頼してもらったおかげでたくさん試合に出られた。その中で多くの経験を積み重ね、いつか絶対打てるようになってやるという気持ちになれた。打つことへ対しての劣等感が自分を名球会入りの選手にまでさせてくれたと思う。
 

 グリップを余して握っていたのも野村さんの影響だ。野村さんは短く持って本塁打王を取った人だから。王貞治さんもそう、長嶋茂雄さんもそうだと。格好いいからバットを長く持っているのだったら駄目。例えば相手投手の球が速いなと感じたとして、長く持ったままやるのではなく工夫しなさい、短く持つのかバットを寝かせるのか、いろんな対処を考えなさいと。そういうところから、当てる感覚や確率は自然と良くなる。
 飯田哲也さんは長く持っていた。短く持ったところを僕は見たことがない。人それぞれだが、打てる確率を上げるために、みんな工夫していた。古田敦也さんにしても、長く持つ時もあれば短く持つ時もあった。今の選手たちは自分の形で振ることばっかり。試合で全然振り遅れているのに、長く握ってぶんぶん振り回していると、見ていていらいらしてしまう。もうちょっと短く持てばいいのにと。結果が出なくてクビになるのは本人だ。野村さんはやっぱり、選手が活躍できる確率を上げてあげるという意味でも、たくさんミーティングをしたのだろう。

 ▽試合を楽しむ余裕はなかった

 僕は引退会見で「野球は楽しくなかった」と発言した。誤解されているのか、野球は苦しい、楽しくないみたいな感じに取られてしまっているのだが、野球はやっぱり楽しい。ただ、プロとしては結果を出さないといけない。自分の調子が良かったとしても、ファンの人はヤクルトが勝つのを見に来ているわけだから、負けると申し訳ない気持ちになる。とにかく自分がチームの勝利に貢献することを第一に考えると、僕には圧倒的な力がなかった。やっぱりあれこれ考えながらプレーしないと通用しなかった。

引退セレモニーで声援に応える宮本さん=2013年10月

 例えば明日のピッチャーが田中将大だとして、対戦にわくわくすることはなかったということだ。どうやってあいつを打つか、得点のチャンスになった時に、あいつはどうやって投げてくるか、じゃあ僕はどうやって対処しなければならないかと思い巡らせるので、準備の段階や、いざ戦っている時に楽しんで野球をする余裕は僕にはなかった。余裕のある人は別に楽しんでもらって全然構わない。でも、軽い気持ちでゲームに臨み、失敗した時に後悔するくらいなら楽しまない方がいい。思い通りにプレーしたけれどやられた、楽しんで全力を出せても負けたなら、これはもうしょうがない。ちゃんとできるのだったら、楽しんだ方が体は絶対に動く。僕は楽しめなかったけど、その中で体を動かす努力をしていたわけだ。

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 宮本 慎也(みやもと・しんや)大阪・PL学園高、同志社大、プリンスホテルを経て1995年にヤクルト入団。2001年のシーズン67犠打はプロ野球記録。遊撃手と三塁手で計10度のゴールデングラブ賞。12年5月に2千安打を達成して名球会入り。通算2133安打を放ち、13年に引退。2千安打と400犠打をただ一人達成した。アテネ、北京両五輪の日本代表主将。70年11月5日生まれの51歳。大阪府出身。

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