高級ブランドが中高生向けに開いた「一見地味な」ワークショップ、その狙いとは? 「生身の人間が感じる力を復活させたい」

参加者たちの完成作品を前に、「自分で何かを生み出すことを諦めないで」と話す木版画家の風間サチコさん=3月26日午後、東京・銀座(C)エルメス財団、Motoyuki Daifu

 人工知能(AI)の発達で、人の手の出番が少なくなりつつある現代。そんな中、精緻な革製品で知られる高級ブランドメーカーが、物作りを通じて若者の感性や創造性を養う社会貢献活動に取り組んでいる。「デジタル全盛の今だからこそ、生身の人間が感じる力を復活させたい」。フランス・パリに本社を置く「エルメス」の財団が今春、中高生向けのワークショップを日本で開催した。パリでは2014年から始まった手仕事を巡る感性の教室。「金属」「ガラス」「布」などを教材に若者たちの想像力を刺激した。日本で初めてのワークショップは「木に学ぶ、五感で考える」。木という自然の素材を使って、体を使いながら感性を育もうと試みた教室の様子を伝えたい。(共同通信=内田朋子)

 ▽樹木医から学ぶ

 3月19日、東京・市谷のフランス語学校。ワークショップの前に開かれたオリエンテーションに約60人が集まった。参加者の大半は中高生で、この取り組みに関心を持つ教育関係者数人もいた。この日は、新型コロナウイルスの感染対策を考慮してオンラインも併用。木を使ったワークショップの準備体操的な位置付けとなった。
 講師の1人は樹木医で「NPO法人樹木生態研究会」副代表理事の岩谷美苗(いわたに・みなえ)さん。日本では女性初の森林インストラクターで、身近にある樹木の種類や特性を教えながら、木に接する楽しみ方を伝えてきた。樹木への興味が高じた1998年に樹木医の資格を取得。以来、人間の都合で過酷な場所に植えられたり、間違った切り方をされていたりする樹木が長く生きられるよう、木を診断し治療をする仕事もしている。

それぞれの木が持つユニークな個性について自宅からオンラインで説明する、樹木医で「NPO法人樹木生態研究会」副代表理事の岩谷美苗さん=3月19日、東京・市谷(C)エルメス財団、Motoyuki Daifu

 岩谷さんが掲げたテーマは「木の奇想天外な生き方」。質問を繰り返しながら「木が個性的な生き物である」ということをあらためて参加者に考えさせた。
 まず、取り上げたのは、バットなどの素材として知られるアオダモの木。「アオダモで、どんな遊びができる?」と問いかけ、三つのヒントを与えた。「樹液が蛍光ペンになる」「枝を折ると、自然素材の雑貨店みたいなにおいがする」「枝が魔法のつえになる」。正解は「樹液が蛍光ペンになる」。アオダモの樹皮は蛍光物質を含んでおり、枝を水に浸すと、樹液が水の中に溶け出し、青色に光っているように見える。木の枝から蛍光色が生まれる様子に歓声が上がった。
 次に、2種類の木の写真を並べて見せながら「どっちが元気?」「どっちが長生きする?」と尋ね、樹木の健康診断に挑戦させた。明らかに弱っているように見える木の写真を指さして「長生きする」と答えた生徒もいたが、「裏を読みすぎないで。ありのままの実態を素直に見つめて」とアドバイスした。
 岩谷さんはほかにも、ムクロジの木の実には洗剤のような性質があることなども紹介。「樹木は、いわば『動かない生物』だけど、実は人間のようにいろいろな個性を持っている。それぞれの木の特徴を五感で感じて」と呼び掛けた。

 ▽物ではなく「者」?

 3月26日、東京・銀座の会場でワークショップが開かれた。木版画家、風間(かざま)サチコさん(50)のテーマは「人の手による創造」。風間さんは、現代社会や歴史に対する鋭い視線やユーモアが感じられる作風で知られる。抽選で選ばれた12~18歳までの男女12人、教育関係者ら3人の計15人が参加した。

ほかの生徒の作品について感想を話す女子生徒。右奥はエルメス財団キュレーターの説田礼子さん=3月26日午後、東京・銀座(C)エルメス財団、Motoyuki Daifu

 この木版画を体験するワークショップには、インターネットのサイトを通して、予想を超える多数の申し込みがあったという。会場の中高生に応募動機を聞くと、「ものづくりの場を通して自分を表現したかった」「自然の森や木に興味があり、木をもっと知りたい」などさまざま。「アートに興味がある」生徒はいたが、アーティスト志望者は少なかった。
 最初に、風間さんは集団に馴染めなかった中学生時代を振り返りながら、自作の木版画を説明。「学校」「原子力」「五輪」を題材にした作品から、同調圧力や人間の序列、スピードと効率重視、デジタル時代の相互監視などへの問題意識が伝わってくる。
 風間さんが出した課題は、木版画で「木の精霊」を表現すること。「私たちの暮らしにある木製品が物ではなく、人格や魂を持った『者』だったら、どうだろう?」と生徒たちに質問し「『人間が一番偉いの?』という疑問を持つと、日々使う物に精霊が宿っていると分かるはず」と話した。

木版画家の風間サチコさん(左)と意見を交わしながら、彫刻刀と格闘する男子中学生=3月26日午後、東京・銀座(C)エルメス財団、Motoyuki Daifu

 生徒たちは事前に、木版画の下絵を準備。「森林」そのものを題材にしたり、生活で使う「テーブル」や「まな板」、「テレビボード」などを描いてきたりしていた。
 風間さんは、彫刻刀の使い方を教えながら「下絵を薄紙になぞる時こそ、想像力が必要になる」と強調。まな板の「傷」を表現するため、彫刻刀と奮闘する教育関係者の女性に、「物についた傷を表現することは難しい。でも、あなたの下絵はまるで、まな板が痛がっているように見える」と褒めた。それぞれの作品には、感じたままの意見を伝え、大人と若者という年齢の区別、作品の優劣も一切付けない。
 作業開始から約4時間後。完成した「傷があるまな板」の作品には「肉にも負けず、魚にも負けず」という題名が付けられた。
 男子中学生(13)の作品は家と家族の関係がテーマ。家の窓から飛び出した漫画の吹き出しのようなスペースに、自分が日ごろ使っている勉強机や文房具を表現。もう一つの吹き出しには卓球台を描いた。ある生徒は「勉強をすごくがんばっている日常がうかがえる一方、遊びたいという気持ちも強いことが分かって、すごく面白い」と的確に指摘。会場からどっと笑い声が起こった。

身近な道具の箸の中に「精霊」を表現した男子中学生の作品「はし・つよし」=3月26日午後、東京・銀座(C)エルメス財団、Motoyuki Daifu

 女子高校生(16)が表現したのは「持ち疲れたテーブル」。「独りぼっちで疲れているけれど、頑張って花瓶やコップなどを載せているテーブル」を彫ったという。ほかの参加者からは「遠くからだとテーブルが人間の顔のように見える」と感想が述べられた。「生物の王」と名付けられた男子中学生の作品は、木と竜のような生き物が合体したような不思議な世界観が漂う。作品を見て「命の大きさを感じる。人間と生物、植物がお互い思い合って生きていければ、世界はもっと良くなるのに」と話した生徒もいた。
 15人の作品を前に、風間さんは「私が嫉妬を感じるほど、みなさんの感性は鋭敏で、創造性も豊か」と評価。「感染症、戦争と人の命が失われていく世の中で、悲しくとも私たちは何かを自分で生み出すことが大切。真っ白い紙から、鉛筆一本から始まることの大切さ、ものを生み出すことの感覚をどうか忘れないでほしい」とエールを送った。

 ▽「技」の伝統生かし社会貢献

 エルメスは1837年創業。もともとは、パリの馬具工房だったが、20世紀初頭に自動車の発展による馬車の衰退を予見し、職人たちの技を生かしたかばんなどの革製品に事業の軸足を移した。その後は、モナコ公妃となった米国俳優、グレース・ケリーにちなんだ「ケリーバッグ」などを生み出すなど、人気ブランドに成長した。

 華やかな有名ブランドが、一見地味なワークショップを手がける。その理由と意義について、エルメス財団のキュレーターを務める説田礼子(せつだ・れいこ)さんは「財団の活動は決してビジネスのためではなく、あくまで創造の育成のために行っている」と明言。「人間が行ってきた作業がロボットやAIに置き換わってゆく世界。ワークショップを通して職人の技能に触れながら、自分たちの身体感覚や五感の持つ力を再発見してくれれば素晴らしい」と話した。

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