犬養毅 事件までの5カ月に焦点 岡山で企画展、新聞記事や手紙

犬養が五・一五事件で亡くなるまでの5カ月に焦点を当てた企画展

 岡山市出身の犬養毅元首相(号・木堂、1855~1932年)が「五・一五事件」(32年5月)で海軍青年将校らの凶弾に倒れてから90年が過ぎた。北区川入の犬養木堂記念館では、31年12月の首相就任から事件までの5カ月に焦点を当てた企画展「木堂最期の五ケ月」が開催中で、晩年の足跡を伝えている。19日まで。

 当時の山陽新報(山陽新聞の前身)などの記事や写真を中心に42点を展示。写真は首相として定例閣議に臨み、首相官邸からラジオの生中継に出演する姿などを捉えている。ラジオでは経済、財政問題や中国との関係改善について経験談を交えながら話したという。

 差別に憤る朝鮮人労働者が、皇居・桜田門外で昭和天皇の馬車列に爆弾を投げた「桜田門事件」(32年1月)を報じた新聞号外も見どころ。犬養内閣の全閣僚が責任を取るため辞表を提出したものの、慰留されたと記されている。

 32年2月の衆院選関係では、直前に起きた第1次上海事変の対応で東京を離れられず、選挙応援を頼んだ手紙を公開。亡くなった直後につくられた穏やかな表情のデスマスク、五・一五事件を報じるニュース映像もある。会場を訪れた女性(73)=津山市=は「岡山の誇り。志半ばで亡くなったのは残念」と話した。

 立憲政治の確立に尽力した犬養の死後、海軍出身の斎藤実が首相に就任し、戦前の政党政治は途絶えた。五・一五事件は軍部の台頭を許し、太平洋戦争につながる一歩になったとされる。

 学芸員の石川由希さんは「日本が戦争に至った状況は、ロシアのウクライナ侵攻で世界情勢が揺らぐ現代に通じる」と説明。「『憲政の神様』と呼ばれた木堂でさえも時代に翻弄された。企画展が大きな時代の流れにただ乗るのではなく、一人一人が立ち止まって考えることが大事だと気づくきっかけになれば」と語る。

 午前9時~午後5時(入館は同4時半まで)。火曜休館。入館無料。

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