今の森保ジャパンに最も必要なのは、原口元気だ。戦うチームに求められる“本質”

FIFAワールドカップ2022まで、はや5カ月後に迫った。カタールの地に立つ権利を懸けたサバイバルレースは、ますます熾烈(しれつ)を極めることになるだろう。だが今の森保ジャパンには、決して外すことができない選手がいる。原口元気だ。0対1で敗れたブラジル代表戦後にこの男が見せたある行動にこそ、大舞台を戦うチームに必要な“本質”がある――。

(文=藤江直人、写真=Getty Images)

関係者に制止されながらも試合後の審判団に詰め寄った、原口元気の“本質”

雨中の一戦を終えたばかりの国立競技場のピッチに、異彩を放つ光景があった。勝者のブラジル、敗者の日本と共にあいさつを終えて引き上げてくる審判団へ向かって、日本のベンチ前からおもむろに詰め寄っていく選手がいたからだ。

関係者に制止されながら、原口元気は必死に何かを訴え続けている。おそらくは後半終了間際に三笘薫がペナルティーエリア内で倒されたシーンで、ブラジルの反則をとらなかった主審の判断へ異議を唱えていたのだろう。

5月で31歳になり、6月シリーズに招集されているフィールドプレーヤーで吉田麻也、長友佑都に次ぐ年長者になった。インサイドハーフとして先発し、前半限りでベンチへ下がったブラジル戦で国際Aマッチ出場数も「72」に達した。

年齢的にもキャリア的にもベテランに近づいた原口が、0-1で敗れた悔しさを審判団へぶつける血気盛んな姿を見て、ある言葉を思い出さずにはいられなかった。

年齢を重ねて献身的なプレーを見せるも、「今でもやんちゃな部分は変わらない」

昨年6月7日、FIFAワールドカップ・アジア2次予選のタジキスタン代表戦で、原口は初めて日本代表のキャプテンマークを腕に巻いた。4日後のセルビア代表との国際親善試合でも82分から途中出場した際にキャプテンマークを託され、試合翌々日のメディア対応で「かつてはやんちゃ坊主だったが、ゲームキャプテンを任されて感慨深いのでは」と質問が飛んだ。

「基本的な部分は変わっていないというか、今でもやんちゃな部分がすごくある。自分で自分をやんちゃと言うのも、ちょっと変な感じですけど」

パソコンの画面越しに思わず苦笑いを浮かべた本人が認めたように、原口元気と問われて真っ先に思い浮かぶのが、やんちゃ坊主というニックネームだった。

もっとも、やんちゃぶりの発現方法は、時間の経過とともに大きく変わっている。

埼玉県熊谷市で生まれ育った原口は、江南南サッカー少年団のエースとして2003年度の全日本U-12サッカー選手権大会、全日本U-12フットサル選手権大会の2冠獲得に貢献するなど、小学生時代から埼玉県内で「怪童」として名をとどろかせた。

何がなんでもジュニアユースへ加入させろ、と厳命を下した当時の浦和レッズ社長で、後に日本サッカー協会(JFA)の会長に就く犬飼基昭氏は、晴れて迎え入れた原口への指導に関してジュニアユースのスタッフにこんな指示を出している。

「しっかりあいさつができるようになるまでは、ボールを蹴らせなくてもいい」

生意気盛りだった少年時代の原口を象徴するエピソードには後日談がある。JFA会長時の取材で、犬飼氏は加入からしばらくした後の原口をこう語ってくれた。

「コーチから『ハートが出来上がりました』と連絡が来たのでボールを蹴らせてみたら、トップチームの選手たちを子ども扱いにするほどの技術を持っていたんですよね」

ユースに在籍していた2009年1月、高校2年生でプロ契約を結んでからは、自ら「原口ゾーン」と命名した、左サイドから敵陣の中央へドリブルで切り込み右足でフィニッシュに持ち込む得意の形を、J1リーグの舞台で何度も発動させた。

一方で好不調の波が大きく、途中交代を命じられれば、公式戦だけでなく紅白戦でも不満を爆発させ、先輩たちからとがめられたのも一度や二度ではなかった。

「“あれ”を選ぶところが普通ではない」。教育係・槙野智章の評価

2012シーズンから浦和を率いたミハイロ・ペトロヴィッチ監督(現北海道コンサドーレ札幌監督)は、原口を指導した日々を「戦いの連続だった」と苦笑したことがある。

「私が来てから元気のプレースタイルはかなり広がった。オフ・ザ・ボールの動きやチームのために守備をするという、サッカーで重要な部分を学んでくれた。元気が不得意な部分を常に求めてきたので、決して簡単な時期ではなかったと思う」

当時の原口は出場資格があった2012年のロンドン五輪に続いて、アルベルト・ザッケローニ監督体制で臨んだ2014年のワールドカップ・ブラジル大会でも代表入りを逃していた。

いつしか繰り返すようになった「自分に足りないものは何なのか」なる自問自答に、ペトロヴィッチ監督の教えが終止符を打ってくれた。メンタル面でも成長を遂げた原口は2014年夏、ブンデスリーガ1部のヘルタ・ベルリンへ完全移籍した。

浦和での最後の試合となった、同年6月1日の名古屋グランパスとのヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)予選リーグ第7節終了後。ホームの埼玉スタジアム2002で行われた壮行セレモニーで、原口はスタンドを騒然とさせている。

「チームメート、監督、スタッフ、アカデミーのスタッフ、家族、友人、恋人、そしてこの最高の浦和レッズサポーター。本当に心から感謝しています」

旅立ちのスピーチ内で「恋人」と発言したことで、スタジアムに集まったサポーターはざわめき、セレモニー後にはチームメートから突っ込みを入れられた。公私両面で原口をかわいがってきた槙野智章(現ヴィッセル神戸)は「“恋人”、とはなかなか言えないですよね」と苦笑しながらこう続けた。

「元気に聞けば、数日前からあのスピーチを考えていたと。それで“あれ”(恋人)を選ぶところが普通ではないですね。つまり、元気のそういう性格が海外向きだと思います」

開幕が目前に迫っていたワールドカップ・ブラジル大会へ、世間の耳目が集まっていた時期。やんちゃぶりに究極の鈍感力、いい意味での図太さを融合させた原口は、27歳で迎える2018年のロシア大会へこんな誓いを立てて海を渡った。

「次こそは絶対に自分が日本代表の中心となって、ワールドカップに出るだけではなく、ワールドカップの舞台で勝つために必要な選手になる」

躍進のロシア・ワールドカップでは、驚異的な数字をたたき出す

ドイツの地で磨きをかけたやんちゃぶりを日本代表へ還元する舞台は、アジア最終予選が始まった2016年秋に訪れた。UAE(アラブ首長国連邦)代表との初戦を落としたヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、先発メンバーの一部を入れ替えた。

その中で4-2-3-1の左サイドハーフを託された原口は、タイ代表との第2戦から4試合連続ゴールをマーク。日本を鮮やかに蘇らせ、首位ターンに導いた。

当時の取材で「アジア最終予選のラッキーボーイになりましたね」と質問が飛んだ直後だった。原口は「運とは思っていない」と言下に否定している。

「自分のやるべきことをやって、それが形になるかならないかはチームの状況も関係してくる。僕一人で点を取れるわけではないし、だからこそ周囲とのコンビネーションや自分自身のコンディションをもっと気にしながらプレーしていくだけです」

このころからロシア大会を見据え、自分のプレースタイルを具体的に思い描いていた。

「僕の場合は誰よりも多くの距離を走り、チームのために働くことが大前提となる」

迎えた自身にとって初めてのワールドカップ。ポジションを左から右に移した原口は、コロンビア代表とのグループステージ初戦を通して青写真を具現化させている。

原口自身はゴールもアシストもマークしていない。それでもスプリント回数で「56」と異次元の数字をたたき出した原口は、2-1の勝利を告げるホイッスルが鳴り響いた瞬間に、ピッチ上で仰向けになって倒れ込んでしまった。

2大会ぶり3度目のノックアウトステージ進出を果たし、悲願のベスト8進出を懸けて臨んだベルギー代表戦。後半開始早々に0-0の均衡を破ったのは原口だった。

ボランチ柴崎岳のスルーパスに抜け出し、長い距離を疾走した末、大会後にレアル・マドリードへの移籍が決まった守護神、ティボー・クルトワの牙城に風穴を開けた。レアル・マドリードへの移籍が決まっていた守護神、ティボー・クルトワの牙城に風穴を開けた。

直後に乾貴士もゴールで共演。一気に高まった勝利への予感はベルギーの猛反撃の前にしぼみ、後半アディショナルタイムに喫した逆転ゴールで霧散してしまった。

ベルギーが仕掛けた乾坤一擲(けんこんいってき)のカウンターを、本田圭佑との交代で下がっていたベンチで脳裏に焼きつけた原口はこの瞬間から、4年後へ向けたテーマを定めている。

あの敗戦からの4年。何が足りなかったか、どう埋めるかを考え続けた

「あそこでベルギーに勝ち切れなかった、という事実に対して、4年間でどのように埋められるかがポイントになると個人的にずっと考えてきました」

秘めてきた思いを明かしたのは、ワールドカップ・カタール大会出場を決めた森保ジャパンが初めて強化マッチに臨んだ、2022年6月シリーズの期間中だった。

取材ノートを振り返れば、なるほどと思える原口のコメントを見つけられる。2020年11月、メキシコ代表との国際親善試合だった。

日本が前半で優位に立ちながら、後半開始からシステムを変更したメキシコにペースを握られ、最終的に0-2で敗れた試合後に原口はこんな言葉を残している。

「僕からすると正直、『またか』という感じでした。実力国に対して、終わった後に『なんで毎回こうなるんだ』という感情が湧いてきたというか。ロシア大会のベルギー戦もそうでしたけど、勝てるんじゃないかと思った後に、やはり簡単には勝たせてもらえないレベルの相手だった、と思えてしまって」

トップ下の鎌田大地が攻撃を差配した前半の日本は、19分までに5本のシュートを放ち、そのうち3本が枠内を急襲した。しかし、メキシコは後半から投入した選手に鎌田をマンマークさせて、日本全体を封じ込めた。原口はこんな言葉も紡いでいる。

「僕たちの起点になっていた選手が消され、つなぐところでミスが続いて押し込まれた時間帯に失点して、そこからは彼らも余裕を持ってボールをつなぎ始めた。そうなると、再び僕たちの展開に持っていくのは正直、難しくなってしまった」

捉え方によっては、選手交代で対抗しなかった森保一監督の采配批判にも聞こえる。それでもベルギー戦のデジャブを覚えたからこそ、原口は「相手はしたたかで、僕たちは修正力を出せなかった。その差だと思う」と忌憚(きたん)のない言葉を紡ぎ続けた。

インサイドハーフでの先発を渇望もチャンスは訪れず…それでも腐らなかった

ドイツでの戦いに目を移せば、自分に新たな可能性を見いだしていた時期だった。

ヘルタ・ベルリン、フォルトゥナ・デュッセルドルフに次ぐ3つ目のチーム、ハノーファーで「10番」を拝命。チームがブンデスリーガ2部へ降格した2019-20シーズンからは、主戦場をインサイドハーフやトップ下に移していた。

もっとも、メキシコ戦を含めた日本代表の主戦場は左サイドハーフ。しかも森保ジャパンの発足当初は中島翔哉、その後は南野拓実に次ぐ序列に甘んじた。

「まさか28歳から29歳というベストの年齢で、2部でプレーしなければいけなくなるとは思わなかったけど、ドイツに来てからは、今が一番良い時期だと思っている」

2020-21シーズン後にハノーファーを退団。ウニオン・ベルリンへの加入とともにブンデスリーガ1部復帰を果たした昨年のちょうど今ごろ。森保ジャパンに招集された原口は充実感を漂わせながら、新たなポジションにもこう言及している。

「真ん中でのプレーがすごく面白い。いろいろな仕事を求められるので、サッカー選手としての深みも出てきている。もちろん僕にとってはクラブも代表も両方とも大事なので、代表では典型的なサイドハーフとして、フィジカル的にも戦術的にも数多くのことが違う中で、どちらも高い水準でプレーできるように準備していくけど」

迎えたアジア最終予選で、森保ジャパンを取り巻く状況が一変した。

オマーン代表との初戦に続いて、サウジアラビア代表との第3戦も落とした森保監督は、オーストラリア代表との第4戦を前に4-2-3-1から4-3-3へのシステム変更を決断。原口の目の前に広がる視界が一気に良好になった。

「正直、僕にとってすごく大きなチャンスだと思っている。中盤3枚はウニオン・ベルリンでもプレーしているし、今現在の僕自身がポジション的にも最もフィットする」

目を輝かせながら原口が見つめたのはインサイドハーフ。だが守田英正と田中碧で固定され、守田が累積警告で出場停止となったオマーンとの再戦では柴崎が指名された。それでも原口は腐らず、自分にあってライバル勢にないものを挙げている。

「走力ですね。自分の持ち味が出るとしたらそこ。正直、ボックス・トゥ・ボックスを一番走れると思っているし、そういう試合展開になれば僕の良さが出る。勘違いしてほしくないのは、それだけでウニオンで試合に出ているわけではないということ。攻守をつなぐ部分でもしっかりやっているので、チャンスが欲しいですね」

「チームを引っ張るとか、まとめるとかはあまり考えていない」。ピッチで顕現させる覚悟

アジア最終予選でほとんど訪れなかったチャンスは、パラグアイ代表を札幌ドームに迎えた6月シリーズの初戦で巡ってきた。鎌田と共にインサイドハーフに配置された原口は、巧みなボールさばきから36分の浅野拓磨の先制ゴールをアシストした。

60分に三笘が決めた3点目もアシストした原口は、試合後のオンライン取材で「ようやく、という表現がぴったりです」と第一声を切り出しながらこう続けた。

「自分のコンディションや周りの選手の状況や環境が整って、あとは自分がウニオンでやっているパフォーマンスを出すだけでした。なので、今日は良いプレーができると感じていた。僕も(鎌田)大地もボランチの選手ではないし、ビルドアップの部分ではミスが多かったかもしれないけど、アタッキングサードでの経験値は高い。だからこそそこに特化して、攻撃で違いをつくる仕事にフォーカスしていました」

出場機会が訪れなくても、練習開始前のランニングでは先頭に立って走り、大きな声を張り上げて周囲を鼓舞した。決して腐らず、縁の下で献身的にチームを支えてきた原口は、ブラジル戦を控えたオンライン対応で意外な言葉を残している。

「チームを引っ張るとか、まとめるということはあまり考えていないですね。そうしたことはむしろ嫌で、ピッチ上でのプレーに一番価値があると思い続けているので」

ワールドカップ・ロシア大会では長友、そして川島永嗣らが中心になって、戦う雰囲気がつくられていった過程に感銘を受けた。しかし、自身も30代になった今、チームビルディングにおいてまったく同じアプローチをとろうとは思っていない。

外側へ放たれていたやんちゃな部分を自分の内側へ向けて、常にベストのパフォーマンスを追い求め、静かに燃える背中を介して後輩たちへのメッセージに変える。

ピッチ内でいえばインサイドハーフというポジションを介して代表との距離を縮め、積み重ねてきた努力は嘘をつかないと証明した。ピッチ外ではブラジル戦を終えた直後の審判団への抗議のように、戦うべき場面では絶対に遠慮などしない。

「2部で2シーズンもプレーして遠回りをしたかもしれないけど、ようやくリベンジというか手応えをつかめてきた。それでも、インパクトを与えられるのは結局ワールドカップだし、グループステージの難易度も含めて、僕自身は大きなチャンスだと捉えている」

おそらく原口本人は気が付いていないだろう。それでも、優勝経験のあるドイツ、スペイン両代表がグループステージで待つカタールでの戦いへ向けて、永遠のやんちゃ坊主は異彩を放つニューリーダーとしてのオーラを、自然体で身にまといつつある。

<了>

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