映画『スープとイデオロギー』国家の残虐性と極端な思想の危うさ、家族への思いを描く

(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi

ヤン ヨンヒ監督は、考え方が真逆であり、借金をしてまで北朝鮮にいる息子たちへ仕送りを続けているオモニ(母親)へのいらだちを抑えられない。そんな時に夫から「思想が違っても一緒にごはんを食べよう」と諭され、3人でオモニ自慢の鶏のスープを囲むようになる。するとオモニは祖国で起きた大虐殺事件「済州四・三事件」について語り始めた――。

映画『スープとイデオロギー』は大阪・生野区に在日コリアンとして生まれたヤン監督が自身の家族を描いたドキュメンタリーの完結編と位置付ける作品だ。そこには娘が母親の人生をひもとく、家族への深い思い入れと同時に、国家の残虐性や極端な思想の危うさが描かれ、歴史を知り顧みることがいかに大切であるかを痛感させられる。(松島香織)

戦前・戦後の朝鮮半島は、日本、米国、ソ連(現・ロシア)の干渉を受けており、終戦後は北緯38度線を境に北と南に分断された。南側は米国の強い介入を受け、民主主義国家「大韓民国」が建国されることになっていた。そうした時期に、左派の思想家たちが済州島に集まっていたことを根拠として、朝鮮本土から送り込まれた警察隊や極右集団が「治安維持」の厳しい取締りを始め、何も知らない島民に対する暴力へとエスカレートしていった。

済州島は「耽羅(タムナ)」という独立王国だった時代があり、土着的な文化が本土からは差別的に見られていたという。また当時、米国側はそうした行き過ぎた取締りを知りながらも建国を急ぐために黙認していたと、後年の研究で指摘されている。島民は人権を無視した本土による統治に反発。政府は大韓民国として樹立した後も島民への弾圧を強めていき、事件の犠牲者は島民の人口の10分の1に相当する約3万人と推定されている。

オモニは15歳の時に大阪で空襲に遭い両親の出身地である済州島に疎開し、18歳の時にこの「済州四・三事件」を経験した。オモニはこの事件で婚約者を亡くし、なんとか幼い弟たちと日本へ逃げ戻って来たのだ。

2018年にオモニと一緒に済州四・三事件70周年追悼式に参列したヤン監督は、なぜオモニが祖国を批判し息子3人を北朝鮮へ送ったのか理解し、壮絶なオモニの人生と北朝鮮を支持するオモニを責め続けて来た後悔の思いに涙を流す。だが、娘夫婦のために40個のニンニクをむき、何時間も鶏を煮込むスープを作りながら見せる笑顔や、民族衣装を着て結婚写真を撮る娘を優しく見守るオモニの笑顔は、認知機能が低下しだんだんと見られなくなってしまっていた。

本作は娘と母親の個人的な物語ではあるが、歴史に対して無関心・無知でいることがいかに恐ろしいことなのかを思いしらされる。常にヤン監督に寄り添い、オモニの鶏のスープを再現しようとする夫のカオルさんの存在が救いとなっている。

6月11日よりユーロスペース、ポレポレ東中野(東京)、シネマート心斎橋、第七藝術劇場(大阪)で公開。全国の映画館でも順次公開される。

https://youtu.be/LqtQzeD7VEA

『スープとイデオロギー』
https://soupandideology.jp/

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