<南風>「叱り方」「叱られ方」

 人を育てる上で、叱(しか)るよりも褒めることが能力を伸ばすには有効的だと言われている。しかし場面によっては「叱る」ことも成長にとって必要なことだと考えている。

 過去に「叱る」ことで失敗したことがある。女性が働くことにまだ消極的であったころ、後輩を立派に育てたいという情熱で指導していた。問題点を話し合い、改善策を伝え、最後に叱咤(しった)激励をした。お互い涙を流し、良い時間を過ごせたと思っていたが、翌日、上司に呼ばれ「ハラスメント」を指摘された。

 部下とのやり取りが言葉の一部を切り取られ、上司に訴えられたのだ。その出来事は私にとって苦い経験だった。人を成長させることも、やる気を失わせてしまうことも「叱り方」次第だと気付かされた。その後、この経験から褒めて育てるに徹したこともあったが、それだけでは人は育たない。時にはきちんと叱ることも重要であると学んだ。

 保育・教育では「褒めて育てる」は重要なことである。一方、ルールを学ぶ場面で「適切に叱る。叱られる」が必要な時がある。人にちゃんと叱られる経験が減ったことで、叱り方を学ぶ機会も減ったのではないだろうか。子どもに感情的になり大きな声で怒鳴る大人。上司や先輩からの注意を「怒られた」という出来事だけにとらわれ感情的になり、その理由を自分で考えることができない人も増えてきた。

 「叱る」は愛情から与えられる行為である。相手に真摯(しんし)に向き合い、心から叱れば、相手の心は突き動かされ向上心へとつながるのではないかという期待が込められている。「叱る」膨大なエネルギーを「自分を思って与えてくれる人」がいることに気付き、「聞く心」と「次への力」が育ってくれることを、相手のために存分にエネルギーを使いたい側の一人として願う。

(比嘉佳代、おきなわedu代表取締役)

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