宮﨑和子さん逝く

 島原市出身の作家・宮﨑康平(こうへい)氏は色紙を求められると「矢の飛ぶは弓の力、男の業(わざ)は女の力」としたためた。妻和子さんとの夫婦の絆を表した言葉であろう▲康平氏の死去から42年。和子さんが先月25日、93歳で亡くなった。失明した康平氏と1958年に結婚。康平氏の代表作「まぼろしの邪馬台国(やまたいこく)」(67年刊)は、和子さんが夫に文献を読み聞かせ、遺跡の調査に付き添い、口述筆記をして生み出された▲康平氏と共に文学をつむぐ姿は、夫の「目となり杖(つえ)となりペンとなり」と例えられた。その文学的功績は大きい▲だが、和子さんは内助の功の象徴のように語られるのを好まなかった。子どものころから古今東西の文学や神話などを愛読し、放送劇団で鍛えていて朗読も得意だったから「居場所を得て大変面白い人生になった」と康平氏に感謝していた▲夫妻は共に巳(み)年生まれで、誕生日も同じ5月7日。康平氏は「偶然ではない気がする。宮﨑康平は私と女房が作り上げた男」と親友に語ったという。そんな逸話を、和子さんは中島恵美子さん(ミライon図書館職員)の著書「長崎文学散歩」に寄せている▲「夢と詩があっての人生であり、詩と夢があっての文学である」を座右の銘とした康平氏。同じ夢を見て、追いかけ、一つになった文学夫婦だった。(潤)


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