冴え渡る人心掌握術 交流戦優勝のヤクルト・高津臣吾監督

交流戦優勝のインタビューを終え、スタンドに向かい手を振るヤクルト・高津監督=ペイペイドーム

 プロ野球のセ・パ交流戦で、ヤクルトが4年ぶりの2度目の優勝を果たした。

 全球団に勝ち越して、14勝4敗の「完全優勝」となったが、直近の10試合は9勝1敗と向かうところ敵なしだった。さすがは昨年日本一のチームである。

 今季は「投高打低」と言われるほど、投手陣の力量が高く、打者は苦戦傾向にある。しかし、ヤクルトに限っては投打のバランスが素晴らしい。

 交流戦優勝に王手をかけた11日のソフトバンク戦では、序盤にリードを許すが、主砲の村上宗隆が本塁打と逆転満塁本塁打を放った。

 だが、こうした主力の活躍だけで勝っているわけではない。

 その2日前の対オリックス戦では2対1のクロスゲームをものにする。

 この試合では42歳のベテラン左腕・石川雅規に先発を託すと、5回を1失点の好投。ここから5投手の継投で逃げ切った。

 1点リードの最終回も絶対的なクローザーであるスコット・マクガフの連戦疲労を考慮して、日頃は中継ぎ要員の今野龍太を起用して勝利を引き寄せた。

 打線もこの日のヒーローはプロ2年目の内山壮真と、2軍暮らしの長い奥村展征が貴重なタイムリーを放った。

 ベテランから若手まで、主砲から脇役までの全員野球こそが強さの源だが、それを操る高津臣吾監督の指揮は際立っている。

 2年前、小川淳司前監督の後を受けて就任。初年度から好発進できたわけではない。最下位からのスタートだった。

 手探りの1年目は投手、打撃成績ともにリーグワースト。それから1年後には奇跡の優勝を成し遂げて日本一まで駆け上がるのだから「高津マジック」と言っていい。

 高津監督の師匠はヤクルトの黄金期を築き上げた野村克也氏(故人)である。

 野村氏といえばデータ重視の「ID野球」で知られるが、データ以外の投手や打者心理を掘り下げてゲームに活用した。現役時代に野村氏の下で絶対的なストッパーとして活躍した高津監督も事あるごとに「野村ノート」を広げて、参考にしてきた。

 しかし、野村氏と高津監督の違いは指揮官としての経歴に見て取れる。

 野村氏が南海(現ソフトバンク)時代から選手兼監督として手腕を発揮したのに対して、高津監督はメジャーに挑戦後も韓国、台湾でプレー、帰国後も独立リーグで選手兼監督として現役を続けた苦労人だ。

 メジャーでは、投手を酷使しない起用法を学び、韓国や台湾では手薄な選手層をいかに活用するかのマネジメントを身につけていった。それが結実したのが昨年の日本一だ。

 先発では奥川恭伸、高橋奎二と言った若手を発掘。特に当時2年目の奥川には登板間隔を中10日空けて、疲労を考慮しながらエース格に育てている。

 中継ぎ投手に対しても、シーズン中は極力3連投を避けるなど「高津方式」で弱体投手陣を立て直している。

 打撃陣に目を転じると山田哲人、村上の不動の3、4番は別格として、塩見泰隆を1番に大抜擢。また2番や5番に中村悠平を起用、打率だけでなく効率よく得点するためにチーム打撃のできる中村の長所を巧みに引き出している。

 50代前半の若さを生かして、選手の中に溶け込んでいくコミュニケーション能力も高津監督の強みだろう。

 前述のオリックス戦でプロ初セーブを記録した今野は、試合後にこう語っている。

 「嬉しい。そんなところで投げられると思ってもいなかった。死ぬ気でゼロに抑えようと思った」

 大事な局面で選手を信じて起用する指揮官と、それに応えようとする選手。今のヤクルトの強さはここにある。

 連覇は難しい。だが、高津監督が作り上げたヤクルトの強さを見る限り、現時点で隙は見当たらない。

 マラソンレースに例えるなら、ペース配分を間違えず、それでいて余裕でトップを快走しているのが今の姿である。

 神宮球場にはファンによる「東京音頭」の大合唱が響く。冴え渡る高津監督の人心掌握術は、実りの秋に向けてさらに磨きがかかるはずだ。

荒川 和夫(あらかわ・かずお)プロフィル

スポーツニッポン新聞社入社以来、巨人、西武、ロッテ、横浜大洋(現DeNA)などの担当を歴任。編集局長、執行役員などを経て、現在はスポーツジャーナリストとして活躍中。

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