4歳だった息子は、病室で「ぼく、死む」と何度も口にした 治らない病を「闘える病」に変えた骨髄バンク、必要なのは一人でも多くドナー(後編)

国指定の難病「特発性再生不良性貧血」の治療のため入院中の田中謙智=2021年7月、名古屋市

 「息子の光になってください。骨髄ドナーにどうか、登録をしてください」。日本骨髄バンクの設立30年を翌月に控えた2021年11月、こう呼びかける2分間の動画が交流サイト(SNS)に投稿された。訴えたのは名古屋市の会社員田中浩章(45)。長男謙智(けんち)(5)は血液の難病「特発性再生不良性貧血」の治療のため、骨髄移植を必要としている。(敬称略、共同通信=佐々木一範)

 ▽4歳で血液の難病に

 浩章は東京で勤務していた2016年9月、妻友希(43)との間に謙智を授かった。約25時間の難産。「ここに命がある。何て尊いんだろう」。初めて抱いたときの感動を、今も鮮明に覚えている。名前には「高い目標を持ち、得た知識を世の中で役立ててほしい」との願いを込めた。
 翌年、家族で大阪府豊中市へ引っ越した。和歌山市にいた浩章の母の体調がすぐれなかったためだ。謙智は2020年4月から幼稚園に通い始め、ウルトラマンや仮面ライダーに憧れる活発な男の子に育ってくれた。

家族旅行中の謙智と父浩章、母友希=2020年10月、兵庫・淡路島

 2021年2月、謙智に39度の熱が出て、かかりつけ医を受診した。新型コロナウイルスの検査は陰性。解熱剤を処方されたが、帰宅後に鼻血が止まらなくなった。再受診して採血検査したところ、血小板が少ない。
 その後も一向に改善しない。5月に市内の総合病院で、6月には大学病院で骨髄を採取して検査した結果、原因不明の再生不良性貧血と診断された。
 耳なじみのない病名に戸惑った浩章は、専門書を読んで詳しく調べた。国指定の難病の一つであることや出血が止まりにくいこと、赤血球や白血球の減少で貧血になりやすく感染症に弱くなること―。重大な病気だと分かったが、心に浮かんだのは「誰でも病気になる。親として、子どものために最善を尽くそう」。悲観は全くなかった。
 複数の専門家にセカンドオピニオンを求め、子どもに専門的な治療ができる名古屋市の病院に入院を決めた。重症でなければ日常生活も可能だが、謙智は当初、5段階のうち「ステージ4(重症)」との診断。幼い子どもは、手や指の消毒を自分一人ではできない。けがや感染を避けるためには外に出ない方が良い場合もある。
 7月末、浩章は病院の近くにアパートの一室を借りた。入院する謙智と、主に付き添う友希を支えるためだ。家族3人での闘病生活が始まった。

 ▽元気いっぱいだったのに「ぼく、死む」

 再生不良性貧血は血液をつくる「造血幹細胞」に異常が起き、赤血球や白血球、血小板が減少する病気。貧血になりやすいほか、感染症への抵抗力が落ちたり、出血が止まらなくなったりするなどの症状が現れる。謙智には「免疫抑制療法」という治療方法が取られることになった。造血幹細胞を攻撃するリンパ球の働きを薬で抑えて血をつくる能力を回復させることがねらいだ。一方、全身がむくむなどの副作用がある。

入院中の謙智=2021年10月

 謙智に与えられたスペースは、カーテンで仕切られた4人部屋の一角。ベッド二つほどの空間で、主に友希と2人で一日の大半を過ごさなければならない。採血や輸血などのため、左腕には心臓まで伸びる中心静脈カテーテルがつながれている。
 血液のがんである白血病とは異なり、再生不良性貧血は軽症ならば感染症やけがに注意すれば、自宅で日常生活も可能だ。幼い子どもの場合は十分な手指の消毒などを一人ではできないため、入院する場合もある。謙智は活発で体を動かすことが大好き。病人とは言え、入院後もベッドの上で笑顔で「修行だ」と腹筋をするほど元気そのものだ。
 そんな謙智は入院当初「僕、しむ(死ぬ)」と何度も口にした。死の意味を本当に理解してではなく、テレビゲームの出来事のような口調だったが、浩章は胸を突かれた。「それは言わないでほしい」と諭すと繰り返さなくなったものの、ストレスから急に大声を出したり「おうちに帰りたい」と口にしたりするようになった。タブレットで幼児向けの通信教育を受けているが、学習やしつけの機会が十分ではないことが悩みの種だ。
 

闘病中の謙智。免疫抑制療法の副作用で、全身がむくんでいる=2021年9月

 友希の負担も気がかりだ。食事や大量の飲み薬の世話に加え、添い寝をしている夜間も点滴の警告音で目を覚ますことが少なくない。外に出られるのは、仕事を終えた浩章と交代する夕方からの約4時間だけ。疲労から、夫婦間でも意識しないと会話がないことがある。
 そんな生活が3カ月ほど続いた2021年10月末、主治医から「骨髄ドナーを探しましょう」と告げられた。免疫抑制療法は効果を上げられなかったためだ。浩章は戻ったアパートで一人おえつした。
 

 ▽究極の選択

 謙智が闘病生活を始めた2021年、家族を襲った苦しみはそれだけではなかった。浩章の母で、和歌山市に住む高齢の和子のがんが判明しており、21年6月からは入退院を繰り返していた。浩章自身もこの頃、肩の腫瘍のため右腕にしびれを感じており、良性だったが除去手術を受ける必要があった。
 浩章は名古屋で入院生活を続ける謙智と友希を支えなければならない。謙智に最善の治療を受けさせるためだったが、和歌山からは遠く離れてしまう。新型コロナウイルスの感染拡大の中、顔を見せに帰ることも少なくなっていた。
 浩章は和歌山に帰り、母と2人きりの病室で「謙智がより良い状態になれるように行動したい」と告げた。最愛の母と最愛の息子。どちらにも最大限のことをしてあげたい。だが、それはかなわないことだった。「究極の選択」を迫られ、これ以上なく胸を締め付けられる思いの浩章に、和子は「謙智のことが一番心配やわ。そうして」と、いつもと変わらず気丈に言葉をかけた。

祖母和子(左上)とビデオ通話する田中謙智と父

 主治医が骨髄移植を検討しようと告げた翌日の10月26日、和子が危篤状態に陥った。直前のビデオ通話が謙智との最期の会話になった。「元気?」とたわいもないことを聞き、跳びはねる謙智を見ていた。翌27日、浩章が手を握って見守る中、和子は84歳で亡くなった。
 同じ月、宮崎市出身の友希は祖父が亡くなり、さらに父も肺がんのため緊急入院した。そんなときでも、謙智のそばを離れられない。心配ばかりが募るのに、故郷に帰ることもできていない。夫婦ともども突きつけられた厳しい判断。看護による肉体的な疲労に加え、精神的な負担も大きくなっていく。
 謙智は2021年10月、日本骨髄バンクに患者として登録し、骨髄ドナー(提供者)が現れるのを待っている。新たな道が見えるはずと膨らむ期待。そこへ、新型コロナ禍がさらに暗い影を落とすことになる。

 ▽付き添い交代できず

 2022年1月末、謙智は入院以来、初めての外泊をした。病状が回復したからではない。多くの患者らと接触する病院スタッフが、新型コロナウイルスに感染したためだった。容体が安定している入院患者は、1週間だけ一時的に退院することとなった。
 ただ、名古屋から大阪府の当時の自宅まで、移動中にさまざまなウイルスや細菌に感染するリスクがある。浩章が病院近くに借りたアパートの部屋は3人で過ごすには狭いため、JR名古屋駅近くのホテルに宿泊した。一度も客室から出なかったが、半年ぶりに川の字になって寝る時間は貴重だった。「新幹線だ」。謙智は窓からの景色にはしゃいでいた。

 2月3日、PCR検査をしてから病室に戻った。だがこれ以降、夕方に認められていた付き添い看護の交代ができなくなり、友希は病院から一歩も外に出られなくなった。シャワーはスタッフ用を週に3回、25分間借りられるだけ。3食のうち唯一アパートで取って息抜きをしていた夕食も、狭い病室で、となった。

病室で一緒に食事をする謙智と父=2022年3月

 救いはインターネットだ。夕食時、ビデオ会議ツールで病室とアパートの浩章をつなぎ、モニター越しに顔を見ながら3人で一緒に食べている。常に会話が続く訳ではないが、互いの存在を感じるだけでもありがたいと思う。ただ、通信用のWi―Fiルーターの費用は自腹。積み重なると負担も大きい。
 その後、PCR検査で陰性ならば、病院側は月に1度の交代を認めてくれることになった。浩章は3月後半に1週間ほど仕事を休み、友希は6週間ぶりに外の空気を吸った。だが5月の大型連休中には謙智が別のウイルスに感染して発熱し、友希と2人で個室に隔離された。浩章は友希の食事や2人の衣類を毎日病院に届けた。
 謙智の入院生活は5月末で10カ月に及んだ。大阪の自宅は売却し、住民票を名古屋に移した。「命を懸けて謙智を守りたい」と語る浩章。少しでもドナーが見つかる可能性を高めるため、ドナー登録への協力を訴え続けている。

父、浩章がSNSに投稿した、骨髄ドナー登録を呼びかける動画

 (ツイッターにアップした動画) https://twitter.com/tanaaan/status/1484083912443711491

 ▽また青い空の下で

 数日おきに行われる検査で、白血球の一種である「好中球」の値が一定を下回ると、謙智は4人部屋を仕切るカーテンの外にさえ出ることができない。ドナーが見つからないまま一進一退の状況が続き、浩章と友希の気分はジェットコースターのように浮き沈みを繰り返している。
 次善の策として今春、骨髄と同じく「造血幹細胞」を含む臍帯血(さいたいけつ)の移植を目指して準備を進めた。ただ、臍帯血移植でも骨髄の場合と同じく、血液がつくられない「生着不全」などのリスクがある。一方、謙智の状態は緊急性が高いとは言えない。悩んだ末、見送りを決めた。
 日本骨髄バンクは2021年12月、前身の財団を含めて30周年を迎えた。実現した親族間以外での骨髄などの移植は2万6千件以上。しかし年間の新規登録患者数約2千人に対し、移植件数は1200件前後にとどまる。ドナーには54歳までの制限があり、若年層の登録増加が大きな課題だ。
 小児病棟にはほかにも、謙智のように血液の病気で苦しむ子どもたちがいる。浩章は24時間付き添って支えるほかの親たちの姿も目にしてきた。「謙智だけじゃない。移植を望む全ての人のためにできることを」と、骨髄バンクや移植について周知する活動を継続。「ドナー休暇制度」の推進など、提供しやすい環境づくりを目指し、勤務先や国会議員にも働きかけている。
 

浩章がSNSに投稿した、家族の望みを訴える動画

 昨年11月以降、SNSに、実名と顔を出してドナー登録を訴える複数の動画を投稿したところ、反響を呼んだ。
 動画には、発症前に兵庫・淡路島に旅行した写真に「3人で青い空の下をまた歩きたい」との一文を入れた。家族で一緒に過ごすことさえ難しくなった今、当たり前の生活が大きな喜びだったのだと強く実感する。
 身近に患者がいない人が、ドナー登録の意義をすぐに理解するのは簡単ではないかもしれない。それでも「自分や大切な人を守ることになるかもしれないと想像力を働かせてみてほしい」と願ってやまない。

 ▽ドナー登録の方法

 対象は18~54歳で、体重が男性で45キロ以上、女性は40キロ以上。がんや心筋梗塞などの病歴がある人、輸血を受けた人、降圧剤の服用中も含め高血圧の人らは登録できない。全国の献血ルームなどの窓口で申込書を提出し、白血球の型(HLA)の検査のため2ミリリットルの採血をする。登録手続きは15分ほどで終了し、費用はかからない。患者とHLAが一致するとバンクから連絡があり、改めて説明を受けた上で提供するかどうかを決めることができる。
 ドナー登録の詳細は日本骨髄バンクのサイトで 
  http://jmdp-donor-special.jp https://t.co/SeuskzryHE"

 

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