【50周年】エルトン・ジョン『Madman Across The Water』:「Tiny Dancer」を収録した過小評価された作品

Elton John - Photo: David Redfern/Redferns

飛躍的な成功を手にしても尚、1971年のエルトン・ジョンは衰え知らずだった。ライヴ・アルバム『17-11-70』と映画『フレンズ~ポールとミシェル』のサウンドトラックを発表した直後の11月、時代を超越するメロディーは彼から溢れるように流れ出し、バーニー・トーピンの鋭いリリックと共に、二人は重要作『Madman Across The Water』を新たに創り出した。

アルバムは、いまだにそう言われるように、UKでは過小評価され、チャートでの成功はどういうわけか短かいものだった。一方でアメリカではUKを代表するシンガーソングライターとして受け入れられてたエルトン・ジョンは早々にゴールド・ディスクを、後にプラチナム・ディスクを獲得している。さらに、今作には時代を代表する「Tiny Dancer」と「Levon」という2つの大ヒット曲が収録されていた。

[(https://www.udiscovermusic.jp/news/elton-john-top-ten-uk-hits-six-decades)レコーディング・セッションと「Levon」

『フレンズ~ポールとミシェル』のサウンドトラックが発売されるのと時を同じくして、1971年2月にアルバム『Madman Across The Water』のレコーディング・セッションは始まった。

エルトンとバーニーとのタッグでサントラを手掛けたことは比較的少なかったが、それは大事な鍛錬への始まりとなった。続く5月に発売されたライヴ・アルバム『17-11-70』は、ますますドラマチックに進化するエルトンのライヴ・パフォーマンスを捉えていた。「My Baby Left Me」とザ・ビートルズの「Get Back」の要素を取り入れた最後の「Burn Down The Mission」では、それを正に証明している。

前作『Tumbleweed Connection』が描き出した壮大なアメリカーナに比べ、『Madman Across The Water』は、1969年のデビュー作品『Empty Sky』のシンプルなピアノ・モチーフに近い作品となっている。プロデューサーのガス・ダッジョンの指揮のもと、信頼できるコラボレーターたちと共にトライデント・スタジオにてレコーディング・セッションが行われ、最初に「Levon」や「Goodbye」を録音し、同年夏に再びスタジオに集まりアルバムを完成させた。

「Levon」のタイトルの意味については諸説あったが、ザ・バンドのリヴォン・ヘルムから付けられた訳ではなく(エルトンと、特にバーニーは彼らのファンであることは事実であるが)、バーニー・トーピンは単純にその名前が好きだったのだ。バーニー・トーピンは2013年にローリング・ストーン誌による取材でこう語っている。

「自由形式に書いたものなんです。興味深いリリックが自然に思い浮かんできたので、それを書き留めたんです」

曖昧になりがちなバーニー・トーピンのリリックは、真実に基づくもので、「Levon」の家系について述べられている。

彼は貧しい家庭に/クリスマスの日に生まれた
ニューヨーク・タイムズ誌が/“神は死んだ”と書くと戦争が始まった
アルヴィン・トスティグに息子が生まれた

(*1970年1月にローマ法王が激しく非難した「神は死んだ」、そして再び4月にマラカイ・マーチンの書籍『The Encounter』についてジェームズ・フィンが書いた記事のタイトル「神は死に、宗教は消えゆく」をはじめ、当時確かに「神は死んだ」という見出しがニューヨーク・タイムズ誌に登場していた)

「Levon」にはドラマーのバリー・モーガン、ベーシストのブライアン・オジャーズ、そしてハルモニウム奏者のブライアン・ディーらも参加している。『Madman Across The Water』からの同シングルは、当時UKで発売されることはなかったが、アメリカで発売されると、クリスマス直前に全米チャートに登場し、1972年2月には最高24位にランクインした。

レコーディング初期の音源で、アルバムの最終トラックとして収録された重々しい「Goodbye」の上品なオーケストレーションは、ポール・バックマスターが手がけたもので、彼は2曲以外すべての収録曲で指揮を担当した。8月にトライデント・スタジオにて行われた3日間のセッションでは、再び共作者たちが集結し、その中には著名人も数人いた。

名曲となった「Tiny Dancer」

バーニー・トーピンは1973年に行われたインタビューで、『Madman Across The Water』のオープニング・トラック「Tiny Dancer」は、実は彼の妻、マキシーン・ファイベルマンについて書いた曲で、彼女は実際にダンサーだったことを明かしている。

毎度のことながら、本来はバーニー・トーピンの世界であるにも関わらず、エルトン・ジョンが彼のリリックを歌うことで、まるでエルトン自身の世界を描いているようにリスナーは思い込んでしまう。

「Tiny Dancer」はアルバムからのセカンド・シングルとしてアメリカで発売された。6分という長さだった為にラジオでのオンエアは制限されるかと思われたが(最高41位にランクイン)、いまだ多くのファンから愛され続けるキャメロン・クロウ監督による2000年の映画『あの頃ペニー・レインと』のサウンドトラックに収録されたことが手助けとなり、神聖な扱いをされるようになった。

「Tiny Dancer」には、恐らくUKで最も熟練で、多作なペダル・スティール・ギタリストのBJ・コールがフィーチャリングされている。驚くべきことに、UKでシングルとして発売されなかった「Tiny Dancer」だったが、2018年8月に英国レコード産業協会からゴールドディスク(40万の売上)に認定された。同年初めには、アメリカでトリプル・プラチナム・ディスクも獲得した。

リック・ウェイクマン、ミック・ロンソンといったゲスト達

ストローブスを脱退し、イエスに加入しようしていた名キーボード奏者のリック・ウェイクマンも『Madman Across The Water』からのタイトル・トラックなど3曲に参加している。ギタリストのミック・ロンソンをフィーチャリングした初期の頃のヴァージョンは、『Tumbleweed Connection』のセッションにてレコーディングされたものである。

すでにザ・ビートルズやデヴィッド・ボウイなどのセッションに参加し、高く評価されていたエンジニアのケン・スコットは、ガス・ダッジョンに声を掛けられ、自動車事故で怪我をしたロビン・ケーブルの代理として、レコーディングの完成作業に参加することになった。

リック・ウェイクマンのハモンド・オルガンは、カレブ・クエイのエレキ・リード・ギターとジャック・エンブロウのアコーディオンをフィーチャリングした「Razor Face」、そしてエルトンと永遠に結び付けられる二人の共作者をフィーチャリングした「Rotten Peaches」に彩りを加えた。

20歳のブロンドヘア、スコット・デイヴィー・ジョンストンは、「Rotten Peaches」やアルバムのタイトル・トラック、そして「Tiny Dancer」でアコースティック・ギターを演奏をし、「Holiday Inn」ではマンドリンとシタールを弾いている。

フォーク・ロックのマグナ・カルタの元メンバーだった彼は、すぐに正式なエルトンのバンド・メンバーとして迎えられることになる。エルトン・ジョンは、ライヴ・ステージ上で2人目のソロイストが必要だと感じていた。今作で初めてエルトン作品に参加した比類なきセッション兼ツアー・パーカッショニストのレイ・クーパーは3曲にフィーチャリングされている。

ベーシストのディー・マリーとドラマーのナイジェル・オルソンは演奏ではなく、レスリー・ダンカン、トニー・ブローズ、ロジャー・クック、スー&サニー、バリー・セイント・ジョン、ライザ・ストライク、テリー・スティールら、仲間たちと共にバック・ヴォーカリストとして今作に参加。他にも非常に有能なセッション・ミュージシャンでベーシストのハービー・フラワーズも3曲に参加している。

発売当時の評価

1971年11月5日にアルバムが発売されると、英音楽雑誌サウンズでエルトン・ジョンの良きサポーターであったペニー・バレインタインは、アルバムについて次のように称賛している。

「“これが今までで一番素晴らしいアルバム”と言うことは簡単すぎる。なぜなら自分が好きで尊敬するアーティストが作品を出せば、自ずと前作よりも良いと思ってしまうから。でも実際これは今までで一番素晴らしい作品であり、エルトン・ジョンの初期の頃の可能性と才能が詰まっている」

当時のエルトン・ジョンが速いペースで作品をリリースしたことによって『Madman Across The Water』の存在は却って薄れてしまったのかも知れない。1972年5月に41位で全英アルバム・チャートに登場し、それはよもや信じがたいことだが、その順位はエルトン・ジョンの生まれ故郷UKでの本作品の最高位となり、2週目を48位で過ごすとその後はチャートから消えた。

一方で、アメリカでは全く違う結果となり、アルバムは最高8位を記録し、51週間チャート入りした。結果すぐにゴールドディスクを獲得、1993年にはプラチナム・ディスク、1998年にはダブル・プラチナム・ディスクを獲得している。

エルトンは今作リリース直後にペニー・バレンタインにこう語っている。

「それでも好きなアルバムなんだ。でもこのアルバムの制作中はバーニーも僕も本調子ではなかった。その年は8曲しか書いてなかった上に、それぞれ個別に仕事をしていた。だから気に入らない曲があったとしても、それに代わるものがなかったんだ。通常は1年に25曲ぐらい書くので、その年がどれぐらい少なかったのかがわかるはず。“Madman Across The Water”は僕たちの曲作りの最後尾であって、だからこそああいったアルバムを作るのはそれで最後となったんだ」

『Madman Across The Water』が海を超えて広まっていく中、1972年5月には、エルトン・ジョンは「Rocket Man」で人気を集め、後にその曲の名をとったミュージカル伝記映画が公開となった。最高レベルの成層圏に達したエルトン・ジョンは、しばらくの間地上に着陸することはないだろう。

Written By Paul Sexton

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エルトン・ジョン『Madman Across The Water(50周年記念盤)』
2022年6月10日発売

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