石原慎太郎氏の功績と第三極のジレンマ|和田政宗 石原慎太郎先生が携わった「たちあがれ日本」結党からの流れは、その後の第三極の本格化に大いに寄与した。今回は、私もかつて所属していた第三極のこれまでの流れ、強みと弱みを分析したい。第三極が勢力をさらに拡大するのか、それともしぼんでしまうのか、第三極にとって今回の参院選は大きな岐路となる。

第三極の本格化に大いに寄与した石原氏

先週、石原慎太郎先生のお別れの会があり、献花して手を合わせ、哀悼の誠を捧げてきた。私は石原先生に参議院議員となってからご指導いただき、石原先生が引退した際の所属政党・次世代の党は、その後、平沼赳夫党首のもと、私も政調会長、幹事長を務めさせていただいた。お別れの会に参列し、石原慎太郎先生の精神を私もしっかりと受け継いでいきたいと改めて決意した。

石原先生の功績は国会議員として東京都知事として絶大なるものがあるが、石原先生が携わった「たちあがれ日本」結党からの流れは、その後の第三極の本格化に大いに寄与した。今回は、私もかつて所属していた第三極のこれまでの流れ、強みと弱みを分析したい。

石原慎太郎先生による「たちあがれ日本」結党の精神は、自民党より確固たる保守政党を作ることであった。結党直後の平成22(2010)年の参院選では、保守新党を切望する方々の支持を集め、123万票あまりを獲得し参議院において新たに1議席を確保した。

その後、太陽の党への党名変更を経て、「改革」を前面に掲げる日本維新の会と合流。平成24(2012)年の衆院選では一大ブームを巻き起こし、民主党政権を打倒。54議席を獲得して国政第3党となった。

たちあがれ日本結党の1年前、平成21(2009)年には、渡辺喜美衆院議員が、みんなの党を結党した。みんなの党は現在の第三極の草分け的存在で、規制改革、金融緩和等の金融政策などによる経済成長の促進を訴えた。後のアベノミクスを先取りする考えで、平成22(2010)年の参院選では11議席を獲得、平成24(2012)年の衆院選でも18議席を獲得した。

私もこの考えに共鳴し、私が東日本大震災からの復興を訴え立候補したのもみんなの党からだった。平成25(2013)年の参院選でも私の当選を含め8議席を獲得したが、当時から渡辺喜美氏と江田憲司氏の路線対立があり、結局、江田氏などが離党し、江田氏らは結いの党を結成。その後も執行部の迷走などから、平成26(2014)年にみんなの党は解党となってしまった。

解党の際には、様々な方から「政策は期待できるのに」と残念がられた。与野党にみんなの党にかつて所属していた議員がいるが、現在も規制改革、減税、金融緩和等を前面に打ち出したみんなの党の精神を受け継いでいる方はどれだけいるだろうか。

第三極が議席を減らしたのはなぜか

平成26(2014)年、日本維新の会は分党。政策のなかに左派色のある結いの党と日本維新の会が合流を目指すなかで、維新のなかの石原先生をはじめとする保守派は、結いの党とは同じ党で仕事はできないと、石原先生、平沼赳夫先生らは次世代の党を結成した。まさに「たちあがれ日本」の精神に立ち返った党であった。

待ちに待った保守新党の再びの誕生であり、私はみんなの党解党後、次世代の党に入党した。しかし、平成26(2014)年末の衆院選で大敗。石原慎太郎先生も引退された。その後、私は政調会長、幹事長として党のかじ取りを担うこととなる。

当時の維新の党をはじめ、第三極が議席を減らしたのはなぜか。それはブームが過ぎ去り、地道な支持拡大活動が不足していた議員や候補が議席を得られなかったからと言える。ブームの際は駅頭などで党ののぼりを掲げ街頭演説をしていれば当選するような状態であった。

しかしブームが終われば、結局地道な活動からの得票となる。そして、地道な活動をした方であっても初当選から2年ではなかなか地盤の構築も難しかった。

これは今の自民党が気を付けなくてはならないことで、第二次安倍政権以降の国政選挙はほぼすべて追い風である。自民党各議員各候補が、第三極的活動になっていないか、しっかりと気を引き締めなくてはならない。

第三極にとって今回の参院選は大きな岐路

「第三極の足元は脆弱である」

私が次世代の党の幹事長時代に目指していたのは、衆議院の各小選挙区で1万票を取れる政党になることであった。そうすれば足元がしっかりし、衆院選の11の各ブロックにおいて1議席を確保、参議院選挙の全国比例代表では3議席を確保できる。こうしたことを目指し支持拡大に努めたが、かなり苦戦を強いられた。

自民党のさらに右に旗を立て、その部分での保守層の支持は強かったのだが、党の知名度不足に苦しみ、次の国政選挙である参院選までの時間も限られた。そして、党名変更が中山恭子代表のもとなされた後の平成28(2016)年の参院選では議席獲得がならず、結局、次世代の党も幕を閉じることとなった。私は政策実現のため、無所属を経て自民党に入党した。

一方、一時は議席を減らした日本維新の会がここまで躍進できたのはなぜか。

それは大阪府と大阪市で改革を行い、その実績が支持を得ていること。それをもとに維新系の首長を次々に誕生させてきたことと、関西を中心に多くの地方議員を生み出してきたことにある。維新は、時間をかけてこれらを構築した。

しかしその課題は、維新が第三極であっても「野党」であるというところにある。地方においては首長や議会の多数を獲得することで政策の実現が可能であるが、国政では第三極といえども野党では政策の実現はできない。このジレンマに対し、「維新は国政において実現できことが少ない」との不満が国民にたまる可能性がある。

今回の参院選においても維新が昨年の衆院選のような支持を集めるかが注目であるし、次世代の党の元メンバーなどが参画する保守系の参政党などがどのような支持を集めるか。第三極が勢力をさらに拡大するのか、それともしぼんでしまうのか、第三極にとって今回の参院選は大きな岐路となる。

第三極の戦い方に注目するとともに、何よりも自民党の勝利のため力を尽くしていく。

著者略歴

和田政宗

© 株式会社飛鳥新社