広島から世界に羽ばたくため、ウクライナの隣国ポーランドのサッカーチームとプロ契約した若きサッカー選手…。彼がチームに合流してわずか2週間後、ロシアのウクライナ侵攻が始まりました。現地で4か月、何を見たのでしょうか?
ポーランド1部 ピアスト・グリヴィツェ 中島永弥選手
「自分がいるピアストという街にチームがあって、そんなに大きな街ではないが、本当にみんな、サッカーが好きな街ですね」
広島市の皆実高校サッカー部からポーランド1部リーグ「ピアスト・グリヴィツェ」に入団した中島永弥選手です。
かねてから海外挑戦を志していましたが、去年8月の現地練習会でポテンシャルを評価され、プロ契約。2月にチームに合流しました。
しかし…。
そのわずか2週間後、ロシアが、ポーランドの隣国ウクライナに侵攻を始めました。
中島永弥選手
「当時、戦争が始まって、ひどくなり始めた頃、ちょうどチームのキャンプで1週間くらいホテルでチームメイト2人と同じ部屋で過ごした。そのとき、テレビなどで戦争の映像なども流れていた。もう早く終わってほしいと」
永弥さんが住むグリヴィツェは、ポーランドの南西部。ウクライナの国境からは360キロ離れていますが、侵攻直後、街に避難民があふれたといいます。
中島永弥選手
「街を歩いていて、『お金欲しい』とか、『食べ物欲しい』というのは、ウクライナ人か、正確にはわからないが、そういうことは侵攻が始まってから増えたと感じる」
当初、住む予定だったアパートは、多くの避難民が一時的に住むなどしたため、しばらくホテルとチームの寮を行き来したといいます。その後、住む部屋は確保できました。
中島永弥選手
「多少のストレスなどというのはあったが、仕方がないことだし、サッカーに集中しなきゃいけないというふうに自分の気持ちを持っていった」
永弥選手の父で、サッカー解説者・元サンフレッチェ広島の中島浩司さんは…。
元サンフレッチェ広島 父 中島浩司さん
「かなり心配もしたが、妻とは毎日のようにニュースを見て、自分の子どもだけでなく、いろんな方が苦しい思いをしていて、早く終わってほしいという思いを込めて…」
永弥さんから頭上を戦闘機が飛んでいく様子などを電話を通して聞いていると、戦争が他人事でないと感じたといいます。
父 中島浩司さん
「 『お金を欲しい』と 声をかけられることも増えたと話していて、そのあと、悲しい気持ちになったという話もしていたので、たくさんのことは救えないと思うが、そういうことを真剣に考えるきっかけになったのでは」
チームメイトからは、広島のことも聞かれるといいます。
ポーランド1部 ピアスト・グリヴィツェ 中島永弥選手
「自分が広島から来て、昔、原爆が落とされたことをチームメートも当然、知っているので、今、こういうことになって悲しさや怖さというのは当然あるという話はチームメイトとした」
今は暗いという街の雰囲気…。永弥さんは、それが変わっていくことを願いながら、サッカーが「文化」として根付いているこの地でトップチームに上がれるよう日々、努力を続けています。
中島永弥選手
― 広島のみなさんへ
「こういう状況になって本当に日ごろから恐ろしさというのを感じている状況。もう一度、戦争の怖さを考えてもらいたい。そして、早く安全な世界になってほしい」