「大和魂を忘れるな」英国とアルゼンチンが武力衝突したフォークランド紛争、従軍した日系人を祖母は叱咤した 40年後も残るトラウマ、戦争続く世界に「心が痛む」

紛争で戦死した兵士の写真 フォークランド紛争で戦死した兵士の写真を展示するブエノスアイレスの「マルビナス諸島と南大西洋の島々の資料館」=2月27日(共同)

 南大西洋にある英領フォークランド(スペイン語名マルビナス)諸島の領有権を巡って英国とアルゼンチンが争った紛争から40年がたった。アルゼンチン軍には日系人も従軍し、英軍との苛酷な戦闘を経験した。大きなトラウマ(心的外傷)が残ったと話し、ロシアによるウクライナ侵攻など、争いが続く世界の現状を嘆いている。(共同通信=中川千歳)

 ▽「大和魂を忘れるな」

 

 紛争はフォークランド諸島の領有権を巡り、1982年4月2日に軍事政権下のアルゼンチンが侵攻して勃発。当時の最新型の地対空ミサイルやレーダーなどが用いられた。職業軍人の英国の兵士に対し、アルゼンチン兵は徴兵制で集められた18歳ぐらいの若者がほとんど。最終的に英国が軍事力で圧倒し、6月14日にアルゼンチンの敗北で終結した。ただ、領有権争いは現在も続いている。
 紛争ではアルゼンチン側約650人と英国側約260人が戦死した。京都出身の祖父と鹿児島出身の祖母を持つ日系人のエミリオ・トシロウ・ヤマウチさん(59)も徴兵された。前線の壕で昼夜を問わない英軍の爆撃におびえたという。

ブエノスアイレスの自宅で従軍体験を語るエミリオ・トシロウ・ヤマウチさん=2月26日(共同)

 フォークランドは不毛の孤島。島の気温は氷点下20度近くにまで下がり、南極からの強風が体感温度を下げた。祖母から戦場に手紙が届いた。優しい言葉を期待していたら「おまえは武家の出。大和魂を忘れるな。敵が来たら攻撃せよ」と勇ましい叱咤が並んでいた。

 十分な武器や防寒具、食べ物もなかった。空腹に耐えかねた仲間が羊を探しに行き、地雷を踏んだ。飛び散った遺体をバケツに集めた。ほかにも多くの仲間が死ぬ姿を見た。
 

ブエノスアイレスの自宅で従軍体験を語るエミリオ・トシロウ・ヤマウチさん=2月26日(共同)

 帰還の際はやせ細っており、父が号泣した。父はいわゆる〝日本男児〟。親の死に目に会っても泣かなかない人だっただけに、涙を流す姿にエミリオさんも驚いた。父に最初に頼んだのは精神科医を探してもらうこと。心の傷は深く、5年も通うことになった。 

 「人生観がすっかり変わった。『無常』が何かを知った」とヤマウチさん。従軍前は弁護士になり安定した生活を目指していたが、音楽で戦争のない世界を訴えたいと「ルイス15世」というロックバンドのボーカルとして活躍し、その後僧侶になった。今も戦争が続く世界に「心が痛む」と吐露した。 

 無線技士として従軍したセルヒオ・シマブクさん(60)は、ロシアによるウクライナ侵攻など戦闘を当時の自分たちの姿と重ねる。「全ての兵士が疲れと寒さ、栄養失調に苦しんだ」と回想する。曽祖父が日露戦争を戦い、祖母と母が沖縄戦を体験し生き延びたという家族の歴史が心を支えていたという。

ブエノスアイレス郊外の退役軍人施設で、フォークランド紛争で使用された武器や軍服を示すシマブクさん=2月26日(共同)

 香川県出身の両親を持つ日系2世で横浜市在住の翻訳業アルベルト松本さん(60)は紛争が開始したときには兵役を終えたばかりだったが、子どもの誕生を控えた友人に代わり志願兵として従軍した。戦地では石だらけの地に塹壕を掘る作業に追われた。つらかったが、当時自国の領土を「どんな犠牲を払ってでも守る」との思いだった。だから現在ロシアに侵攻されているウクライナの志願兵の心情が「理解できる」という。

フォークランド諸島にある戦死したアルゼンチン兵の墓地(奥)を訪れた松本さん=2012年3月(本人提供・共同)

 ▽19世紀からの英国の支配

 フォークランド諸島には16世紀に英国人が到来、1833年から英国の実効支配が続く。アルゼンチンはその前からスペインの総督府があったとして、16年に独立した際にアルゼンチン領となったと主張。1965年の国連総会で交渉開始が決議されたが、交渉が妥結しないままアルゼンチンに軍事政権が誕生し、82年の紛争につながった。
 ブエノスアイレス大のファクンド・ロドリゲス教授(国際関係論)は、フォークランド諸島で領有権争いが続いた要因として、パナマ運河開通前は唯一のルートだった大西洋と太平洋を結ぶ要衝に位置していることや、海底油田を有していることなどを挙げた。ただ油田の開発は現在まで採算がとれるものにはなっていないという。

ブエノスアイレスで取材に応じるファクンド・ロドリゲス氏=2月25日(共同)

 ロドリゲス氏は「アルゼンチンにも紛争を始めた責任はある」としながらも「英国に領有権交渉の席に着くことを求めているが英国側は応じず、軍事拠点化を強めている」と批判した。
 

 ▽警戒は続く

 人口約3400人の諸島に、英軍は約1200人(20年11月時点)を駐留させるなど、今も警戒を緩めていない。
 2003年、英国防省はフォークランド紛争に派遣された英海軍の艦船が対潜水艦核爆弾を搭載していたことを明らかにした。英メディアは今年、国家公文書の記録から、艦船3隻に計31の核爆弾が積まれていたことが新たに明らかになったと報じた。
 

フォークランド諸島にある戦死したアルゼンチン兵の墓地で、同じ連隊で死亡した11人の仲間の写真を持つアルベルト松本さん=2012年3月(本人提供・共同)

 松本さんは10年前にフォークランドを訪れた。チリの航空機で英国の軍事施設の中の空港に到着。戦車やミサイルも見え、軍備のものものしさを感じた。
 戦争中、全てがグレーに見えた島の風景が彩り豊かに目に飛び込んできた。幼稚園もスーパーマーケットもあり、住民の8割は英国系で何世代にもわたり生活していることに気付いた。「われわれは領土の主権を主張しているが『この人たちが住んでいるんだ』と実感した」。漁業ライセンスや観光業を主な収入源とする島の経済水準はアルゼンチンよりもずっと高いという。
 

 

ブエノスアイレス郊外で従軍体験を語るセルヒオ・シマブクさん=2月26日(共同)

 諸島で2013年に行われた帰属を問う住民投票では99・8%が英領維持を望んだ。紛争解決の道について、松本さんは「領土問題は資源や国民感情が絡み複雑。1994年のアルゼンチン憲法で明確に領土と言っており、交渉の余地がどんどん狭まっている」と指摘した。 

 シマブクさんは、紛争解決は「外交を通じて行われるべきだ。結局双方が痛手を負うことになる」と語った。

 ロドリゲス教授は紛争から40年を機に「最も責任ある対応とは、双方が交渉の席に着き、次の世代にこの問題を残したままにしないことだ」と話した。

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